Webライターとして生きる

五条ダンのブログ。「楽しく書く」ための実践的方法論を研究する。

見えないセカイで戦う「筆力向上」の修行法

海に浮かんだ氷山をイメージしてほしい。僕たちは水面から突き出た氷の塔を見上げて「嗚呼、あの人はなんて筆力が高いんだ。どうすればあの山のようになれるだろう」と感嘆する。

しかし、おそらく目を向けなければならないのは、海の中だ。光の当たらない、見えないセカイにこそ、筆力の本体(・・)が隠される。

前置きはこのくらいにして、さっそく本題に入ろう。

1.情報を隠すと「物語」が生まれる

情報を隠すと、物語になる。

トリックや犯行動機を隠して描けばミステリーになり、謎多きヒロインとの出会いはラブストーリーを生む。SFは世界の驚くべき秘密を暴露する。

小説を読んでいてついつい、ページをめくる指が止まらなくなるのは、隠された情報が適切なタイミングで開示されるからだ。「情報待機」と呼ばれる大変高度なレトリックである。

ゆえに、物語の面白さを分析するならば、場面においてどのような情報が未だ(・・)開示されないかを見つけると良い。

情報待機のレトリックは小説に限らず、ウェブメディアやセールスレターの世界でも好まれる。

作家が苦心して隠したであろう、情報の痕跡を探してみよう。

2.表現を隠すと「文体」が生まれる

同様に、表現を隠すと、文体になる。

ところで世に聞く「文章力」や「筆力」と呼ばれるものが、本当に客観的な指標たり得るのか、正直に言って僕は疑いを持つ。

文体には書き手各々の個性があり、その文章を良い悪いと感じるのも、読者ひとりひとりの感性に委ねられる。一概に筆力の高い低いを他者と比べるべきではない。

しかしながら、自分の持つ「文体」を伸ばすとっておきの修行法がある。知って置いて損はしない。

修行、否、ゲームと言い換えた方が良いだろうか。そう、とってもエキサイティングな遊びがある。

名付けて《縛りプレイ執筆法》だ。

すでに900文字ほど書かれた当記事の文章を読まれて、何だか違和感があるなと首をかしげた方は、相当に鋭い観察眼をお持ちである。よくぞ水面下の氷山を見破った。

今まさに僕がゼエゼエと息を切らして、ナメクジが這うようなスピードで文を書き綴るのは、何を隠そう縛りプレイのせい。ネタバレはあとでするとして、ストイックにルールを守るのがここまできついとは……ヒィィィィ。

縛りプレイ執筆法では具体的に「ある特定の表現を使ってはいけない」と自分に制限を課す。できるだけ、自分がつい多用・乱用しがちな表現を禁止すると、効果的だ。

例えばブロガーさんで、普段から「いかがでしたか」を多用しがちな場合、その表現を禁止してみて、別の表現に置き換える。

姉妹ブログ「ときまき!」の記事では、縛りプレイ執筆法の意義について次のように紹介した。

小説文体を作っていくための最大の秘訣は「自分に制約を課して代替表現を探す」の一点に尽きます。文体を分析するとき「どのような表現が使われているか」ではなく「どのような表現が使われていないか」に着目して見ると面白いです。

( 小説らしい文章の作り方(M式縛りプレイ執筆法) - ときまき! )

小説に限らず、ブログやライティングの腕を鍛えるのにも、縛りプレイは有効だ。表現を縛れば、推敲する手間が生まれる。推敲によって相応しい代替表現を見つけられたならば、表現の幅はより広がるし、苦労した分、確実に自分のものとできる。

そろそろじれったいし、ネタばらしをしよう。

当記事では執筆にあたって、下記の表現を「禁止」した。慣れないうちは、ここまで縛らない方が良いだろう。

でもだんだんと、この縛りが快感となってゆく。

当記事の禁止表現(縛り)リスト

ルール:執筆時に下記の表現を使ってはいけない

  1. ~ので、~(の)ため、そのため、なので
  2. ~という
  3. こと
  4. ~している、~ている
  5. あれ、これ、それ
  6. 逆説の「が」「だが」
  7. ~してしまう、~てしまう、~てしまい
  8. ~したい
  9. 直後文章末尾の語句重複(~する。~する。~だった。~だった。…等)
  10. そこで、そして
  11. じつは
  12. ~など
  13. 必要
  14. もし、あるいは、かもしれない
  15. ~たり、~たり

このルールは以降の文章でも適用される。

いずれも文章中で多用しがちな表現であるものの、使用禁止したところで意外と書き進められるのが分かると思う(だが実際にやってみると簡単そうで骨が折れる。1~5番あたりとくに……)。

執筆にマンネリを感じたときは、ぜひ遊び感覚でやってみよう。

繰り返しになるけれども、特定の表現を使わない(・・・・)と、独特な文体が生まれる。

個性的な文体の書き手を見かけたら、自分が普段は使わないであろう表現を文章中に探してみよう。きっとその人は、意図して言葉を置き換えたはずだ。

3.言葉を隠すと「語彙」が生まれる

「縛りプレイ執筆法」の発展系で、語彙を飛躍的に増やす方法がある。

簡単に言えば、先ほどの表現縛りならぬ《五十音縛り》で、例えば「あ」を禁止すれば「あ」を含む言葉が使えなくなる。

ありがとう、朝、愛、挨拶、アンパン、雨、明暗、不安、エイリアン……のように「あ」を含む語句の使用が禁じられる。

言い換え例は次のとおり。※代替表現でももちろん「あ」は一切使えない

ありがとう → 感謝の言葉を述べた。

→ 窓から陽が差し込み、ウグイスがずっこけたような調子で歌い出す。僕はベッドから体を起こし、眠い目をこすった。

→ 大切な人を思い、心の底から胸を貫くひとつの感情が湧き起こる。

挨拶 → 「おはよう」と彼は朗らかな口調で言った。

アンパン → つややかな丸いパンを両手に頬張ると、中の甘味(かんみ)な食材が舌に触れる。聞くところによると十勝小豆(とかちしょうず)をすり潰して砂糖で煮込んだものらしく、見かけは真っ黒いのに口に入れると大層和やかで芳甘(ほうかん)な味覚をもたらすのだった。(※餡子・小豆(あずき)・味は「あ」を含み、使えない)

残りはぜひ読者諸君で挑戦いただきたい。(決してアンパンで力尽きたんじゃないですよ。震え声)

なお、「あ」の禁止はまだレベル1で、次のステップでは「あ」と「か」の両方を禁止する――と、縛りのレベルを上げてゆく。(理論上はレベル48まである!)

トレーニングの参考書には、筒井康隆の最高傑作『残像に口紅を』を読まれたし。(リンク先はAmazon)

本作は実験小説のひとつであり、ここで述べた縛りプレイのように「あ」や「い」や「う」を含む言葉が次々と使えなくなり、使用語彙がどんどん制約されてゆく。

最後の方では使える言葉が減りすぎて「たんたんめん!」「わんたんめん!」みたいな感じになるのだけれど、とにかく本当に恐ろしい小説で、筒井康隆の圧倒的な筆力を目の前に我々作家志望はただただ打ちひしがれ、地面にひざまずき、静かに涙を流すしかない。

かつて読書メーターに、僕はかような感想を残した。

世界を観測するのは《私》であるが、世界を言い表す語彙の数が、人それぞれ異なるのであれば、私は筒井氏と比べて何と色褪せた世界で暮らしてゐるのだらうかと。この小説を読んで本当に恐ろしくなつたのは、自分自身の「欠落」を自覚させられたからである。

大げさに思われるだろうか。いやいや。本当に本当に、筒井康隆の『残像に口紅を』ほどに僕が恐怖し、影響を受けた小説はこの世に無い。

筒井康隆ご本人さんはこないだツイッターでの投稿が炎上し、物議を醸したけれども、たとえ筒井康隆を好きになれなくても『残像に口紅を』だけは騙されたと思って読んでみてほしい。

まとめ

最後に、当記事で伝えたい事項をまとめておこう。

  1. 特定の情報を隠して、適切なタイミングで開示すると面白い物語が生まれる
  2. 特定の表現を禁止してより相応しい代替表現を探すのは、良い執筆訓練になる
  3. 独特な文体には、使われなかった・・・・・・・表現が隠される
  4. 五十音縛りでボキャブラリーを増やそう
  5. 筒井康隆の『残像に口紅を』は恐ろしい

以上、文章を書く人のお役に立てれば嬉しく思う。

(了)

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VOICEROID起動時の「暫定ライセンス認証エラー」の対処法

先日VOICEROID周りで困ったことがあって、自己解決したので対処法を紹介したい。

1.VOICEROID起動時のエラーについて

今まで何も問題なく使えていたのに、VOICEROIDを起動すると次のようなエラーが表示され、ソフトが立ち上がらなくなる。

『ライセンス認証に失敗しました。暫定ライセンスを含むライセンスが見つかりません。』

僕の場合は、VOICEROID+ 琴葉葵&茜のダウンロード版でこのエラーが発生したが、東北きりたんや弦巻マキなど、他のソフトを使っている人でも同じエラーが出たとの報告がツイッターにあがっていた。

おそらく、Windows 10を使っている人がこのエラーに悩まされているのではないかと思う。

2.エラー対処方法

とくに再インストールや再起動は必要ない。対処法は次のとおり。

https://safenet.gemalto.com/sentineldownloads/?s=&c=End+User&p=Sentinel+LDK&o=Windows&t=Runtime+%26+Device+Driver&l=all

上記リンクのSafeNet社のページにアクセスする。

Sentinel HASP LDK - Windows GUI Run-time Installer』を選択する。

するとダウンロードページに飛ばされるので、ページ最下部の『I Accept』のボタンを押して、インストーラーをダウンロードする。

zipフォルダを解凍して、そのなかの『HASPUserSetup.exe』を実行する。

インストール完了後、VOICEROIDを立ち上げると問題が解決されていることと思う。

3.対処方法の意味と安全性について

僕も詳しくは知らないのだけれど、VOICEROIDをはじめとするソフトウェアの不正コピーを防止するために、ライセンスをチェックする認証ドライバーがあるらしい。

で、このドライバーが古いバージョンのままだと、Win10のアップデートか何かがあった際に、ソフトを起動できなくなってしまう。

そこで、VOICEROIDの認証ドライバーとして使用している『Sentinel HASP LDK』の最新バージョンをインストールし直すことで、問題が解決されるという話。

じつはこの対処方法は、VOICEROIDの制作メーカーである株式会社AIのFAQで紹介されている。

→ Windows10で使えますか? | 株式会社AI(エーアイ)

しかしながら、エラー内容で検索をかけても肝心のこのページが引っかからない。とりあえず困っている人の助けになればと、備忘録も兼ねてブログ記事にした。

お役に立てれば幸いである。

追伸

手前味噌で恐縮だが「VOICEROIDで小説原稿の会話文だけを読み上げさせたい!」と思ったときに便利な、会話文抽出機(小説推敲支援ツール)という無料ツールをこのたび作った。どんな長文原稿であっても、会話文の中身だけを抽出できる。

上記サイトには他にも創作支援系のツールを各種置いているので、時間のあるときに使っていただけたら嬉しく思う。

(了)

ポメラDM200を購入して使ってみた所感(改悪点と改善点のレビュー)

生粋のポメラ愛好家であり、家にはDM20,DM100が並んでいる。未だDM100が現役機として動いているだけに、少々後ろめたい気持ちはあったが、物欲を抑えきれずにポメラDM200を買ってしまった。

この文章はもちろん、ポメラDM200で打っている。

さて、当記事に辿り着くのはおそらくDM200のレビューを探している人であろうから、まだ他のサイトでは書かれていないポメラの長所・短所について記しておきたい。

先にネタバレをしておくと、一旦落としてから持ち上げる戦略で書いていく。

キングジム「ポメラ」シリーズ

(写真:左奥DM20・右奥DM100・中央手前DM200)

ポメラDM200の改悪点・短所について

DM200はDM100と比べると大幅な進化を遂げているが、改悪点が無いと言えば嘘になる。

他のレビューサイトで挙げられている短所としては

  • 画面を開けてから起動までの時間がワンテンポ遅い
  • 電池式じゃなくなった
  • バッテリー充電が終わったのを知らせるランプがない

の3つが有名か。

実はこの他にも、2点残念なところがある。

【短所その1】パソコンとUSB接続するときに余計な手間が増えた

ポメラDM100では、USBケーブルで本機とパソコンを繋げるだけで、ポメラ内部ストレージとSDカードが認識されるようになっていた。

ところが、DM200はUSBケーブルでパソコンと繋げても、充電が始まるだけで何も起こらない。

パソコン側にポメラを認識させるには、まず画面を開けて「メニュー」→「ツール」→「PCリンク」を選択しなければならない。

つまり、DM100と比べると、パソコンにUSB接続するときの手間が増えているのだ。

ポメラ従来機を「テキストファイル専用の外部ストレージ」として使っていた人にとっては、このあたりが残念な改悪点といえるだろう。

【短所その2】カレンダーの表示切り替え機能が無くなった/※解決済み

「ポメラDM200ではカレンダーの表示切り替え機能が無くなっている。」ということを記事には書いていたのだが、16年12月のソフトウェアアップデート「Ver.1.1」にて表示切り替え機能が復活し、この短所は解決された。

これは嬉しい。すでにポメラDM200を購入済みの方は、手動でソフトウェアアップデートをする必要がある。

ソフトウェアアップデートについて詳しくはキングジム公式サイトの

を参照されたし。

(画像は白黒反転モード使用時。本体のスクリーンショット機能※Ctrl+Shift+3 により撮影。以下同)

アップデートを適用するとF4キーで表示切り替えができるように。

旧ポメラのカレンダー画面をスケジュール帳代わりに使っていたから、今回のアップデートでマイナス点が解消されたのは良かった。

(追記)

17年6月のソフトウェアアップデート「Ver.1.3」では、カレンダーメモの本文検索ができる『カレンダーの検索機能』が実装された。

ソフトウェアアップデートにより諸々の短所が改善されているので、購入時のバージョンがアップデートされていないかたまにチェックしておこう。

【短所その3】執筆文字数のリアルタイム表示ができない

ステータスバーに現在の執筆文字数をリアルタイム表示してくれる機能は、実装されていない。

これは従来機でもできなかった。

現在の原稿の文字数を知りたいときは「F10キー」を押すか、もしくは「Altキー」+「i」を押すことで確認できる。

ポメラDM200

(「F10」のショートカットキーでプロパティウィンドウが表示され、総文字数や選択文字数を確認できる。この他にも便利なショートカットキーがたくさんある。「設定」→「ヘルプ」でチェックしておこう)

ボタンワンタッチでひとまずは文字数が分かるので、これについては不満と言えるほどのものではない。(少し惜しい点ではある)

以上、まとめると、ポメラDM200には次のような改悪点・弱点がある。

  1. 起動時間が遅くなった
  2. 電池式じゃなくなった
  3. 充電完了ランプがない
  4. PCとUSB接続するときの手間が増えた(これが一番痛い)
  5. カレンダーの表示切り替えができなくなった(ソフトウェアアップデートで解消)
  6. 文字数をステータスバーでリアルタイム確認することはできない

逆に言えば、上記の6点を除けば大満足で、トータルコスト5万円ほどで買ったのだがまったく後悔していない。

余談:ポメラで日記をつける方法

現在、日記は「ひとつのテキストファイルに書き連ねる方式」で書いている。ポメラでは「F2キー」を押せばタイムスタンプが挿入されるから便利だ。日付の先頭にピリオド(.)を付けておけば、アウトライン機能で日付間を簡単に行き来できる。

そもそもカレンダー画面から入力できる「日付メモ」は何かと使い勝手が悪い。SDカードに移せなかったり、ファイルが日ごとに分割されてしまったり。スケジュール帳代わりに使う分には問題ないものの。

だからポメラで日記をつけるなら、普通にひとつのファイルに書き連ねていった方が便利だと感じる。

ポメラDM200の圧倒的に良くなったところ

結論から書いておくと、ポメラDM200で圧倒的に良くなったのは変換精度である。これは本当に。ポメラユーザーの悲願が叶った。もはやポメラとは呼べないほどに賢くなった。

キングジムの公式サイトを見ると、従来機のDM100は「桜の花が咲きました」を「桜のは長崎真下」と変換するらしい。

らしい、と書いたけれども、実際に手持ちのDM100でやってみたら(ネタではなく)本当にそのように変換される。

従来機の変換機能は、じつに残念だった。

たとえばほんの3秒前に僕は(ネタではなく)と書いたけれども、DM100では(ネタではなく)が一発で変換できずに(寝たではなく)となる。

ところが、DM200は一発で変換できるではないか。(今そのことに感動しているところ)

DM200が初ポメラという人にとっては、今ひとつピンと来ないかもしれないけれど「ポメラの変換が賢くなった」というのは僕らにとってはビッグニュースで、もうこれだけで買う価値があるのではないかと思う。

電池式を捨ててまでして実現させた「漢字変換機能の向上」

これが、ポメラDM200の良いところのおよそ90%を占めるといっても過言ではない。

残りの10%についても、以下に軽く書いておきたい。

【長所その1】WindowsユーザーでもWi-Fiでファイルアップロードできる

ポメラにはファイルをメール経由でアップロードする機能があり、これはWindowsユーザーでも使うことができる。

例えばポメラとGmailをリンクしてアップロードすると「ファイル名が件名」「テキスト内容がメール本文」となって送信先メールアドレスに届くようになっている。

もしもポメラで書いた文章を直接「Evernote」「GoogleDoc」「Googleスプレッドシート」にアップロードしたり、あるいは「Twitter」や「Facebook」に投稿したいと考える人があれば、「IFTTT」で検索してみてほしい。

IFTTTの使い方を知れば、きっとポメラユーザーは幸せになるだろう。

Gmailを経由することにはなるけれど、IFTTTを使えばポメラのテキストを自動的にGoogleドライブにアップロードしたり、あるいはTwitter投稿したりすることも可能となる。

詳しくは解説している他のブログを見てほしいが「ポメラ送信用メールアドレスからGmail」にメールを送り、件名に応じてラベルで振り分けるよう設定しておく。

IFTTTの方で「Gmailの受信箱に◯◯のラベルがついたメールが入ったら」(条件)→「Googleドライブにドキュメントファイルを作成し、メール本文を中身に入れる」(実行)といったようなレシピを作ることができる。

とにもかくにも、IFTTTを使えば、ポメラのアップロード機能はそれなりに便利になるという話。

【補足】上記の方法でアップロードをすると、テキスト内の改行がうまく反映されない問題で躓くかもしれない。IFTTTのAction設定でContentの中身を<pre> {{BodyPlain}} </pre>としておこう。BodyPlainを<pre></pre>で囲うことによって、ちゃんと改行が反映される。

【長所その2】画面の白黒反転・全画面表示ができる

黒画面に白文字。素晴らしい。美しい。

長時間打っていても目が疲れず、非常にありがたい。

全画面表示でステータスバーも非表示にでき、書くことにひたすら集中できる。

良い。

(写真だと暗く見えるが、実際に目で見ると視認性は良い。このくらいの光度が目に負担なく疲れない感じ)

補足:ポメラの液晶保護フィルムについて

ちなみに、ポメラDM200の純正液晶保護フィルムを購入すると「光沢タイプ」と「低反射タイプ」の2種類がついてくる。

黒背景メインで執筆する場合「低反射タイプ(アンチグレア)」のフィルムを貼った方が、自分の顔が画面に映り込む心配がなく良いかと思う。

動画やイラストを見る用途のスマホだったりすると、光沢フィルムが選択肢には入るのだが、少なくとも白黒文字打ち機のポメラであれば「低反射(アンチグレア)フィルム」一択ではないだろうか。

(アンチグレアフィルムを貼ることで、映り込みはDM100と同等レベルに軽減される)

【長所その3】400字詰め原稿用紙モードがある

小説書きやライターにとっては嬉しい機能。ちゃんとステータスバーにはページ数も表示される。(これは従来機にはなかった)

ただ、デフォルトの状態だと少し文字が小さくて(原稿用紙モードは)見づらいかもしれない。

F6キー」でフォントサイズは大きくできるから、好みの大きさに変更すると良いだろう。※縦書き原稿用紙モードでは32dot以上、横書き原稿用紙モードでは48dot以上に(F6キーで)文字サイズを大きくすると、400字詰めのフレームが崩れてしまうので注意。

原稿用紙モードには、縦書き・横書きの両方がある。小説の新人賞だと「原稿用紙換算○○枚」と大抵は書いてあるので、ページ数を目安にしながら書き進めていける。

原稿用紙機能の他に、フレーム表示機能もあり、1ページあたりの文字数と行数を指定できる。

こちらもちゃんとステータスバーにページ数が表示されるため、(長編小説を書き進める場合でも)だいたいの原稿ボリュームの目安がつけられる。

このあたりの便利機能がDM100には無かった。

補足:類語辞典については過度の期待は禁物

DM200より「角川類語新辞典.S」なるものが電子辞書として付いてくるが、これは過度の期待は禁物で、オマケ程度に考えておくと良いと思う。

ライター業をする、あるいは小説を書く上で使う類語辞典となると「日本語大シソーラス」レベルの収録語数がないと、ちょっと使い物にはならなさそうな感じ。

(追記)最新のソフトウェアアップデートで1ファイルあたりの最大文字数が10万文字に!!

17年6月に、けっこう重大なソフトウェアアップデートがあって、「Ver.1.3」では1ファイルあたりの最大文字数が

5万文字 → 10万文字

へと大幅に改良された。

長編小説はまだ1ファイルに収まりきらないが、それでもポメラで小説を書いている人にとって、かなり嬉しいアップデートだ。

今後もアップデートで改善される部分が出てくるかもしれない。

上の公式ページはお気に入りにでも入れておこう。

まとめ「ポメラDM200は良いぞ」

良いところも悪いところも書いたけれども、DM20とDM100を長年愛用してきた者からすると、今回のDM200はすごい。

変換にストレスがない。

もう、本当に、この1点に尽きる。というか、良いところを1つだけ述べるならば、これしかない。

かつてのポメラの変換精度の残念さにイライラさせられてきた人にとっては、ポメラDM200はまさしく神ツールとなるだろう。

もしも、今回のDM200が初めてだよーっという人がいらっしゃったら「とくに変換すごいとは思わないけど、昔のポメラ使いは大変だったんだな……」と察してあげてほしい。

上に書いた(……)の三点リーダーだって、従来機では辞書登録しなければ打てなかったのだ……。

あとこれも余談だけれど、DM200には「アニメ辞書」という補助辞書が入っていて、これを有効にすると……

  • 魔法少女まどか☆マギカ
  • 結城友奈は勇者である
  • 新世紀ヱヴァンゲリヲン
  • ご注文はうさぎですか?
  • アカメが斬る!
  • 戦姫絶唱シンフォギアG

ほら、一発変換できる。(記号は自動付与される)

難読地名の変換も優れていて、

  • 十三(じゅうそう)
  • 喜連瓜破(きれうりわり)
  • 烏丸通り(からすまどおり)
  • 百舌鳥夕雲町(もずせきうんちょう)
  • 播州赤穂(ばんしゅうあこう)

あたりも一発変換。

初期ユーザーとしては、ポメラの変換精度がここまで上がるとは思っていなかった。

(今にして考えてみれば、DM200は価格がノートパソコンと同じくらいだった。これで変換精度が従来機レベルだったら、たしかにガッカリだ)いやしかし何にせよ、これで執筆ライフが捗る。ありがとうキングジム。

Amazon・楽天市場ともに、販売ショップによってセット内容や価格が結構違ってくるので注意されたし。今Amazonで見たら、僕が買ったときよりも3千円ほど値下がりしていて、ぐおおおお……買い急ぎすぎたか……:;(∩´﹏`∩);:

ちょっと偏ったレビューとなったかもしれないけれども、購入を考える人のお役に立てたら嬉しく思う。

(終わり)

ブロガー・Webライター・アフィリエイターになる前に読むべき漫画

小島アジコ氏の『ここは悪いインターネットですね。』および『りちょうとえんさん』を読んだ。

(Kindleストアで販売されていて、Amazonのアプリを入れればPCやスマホでも読める)

端的に述べて、インターネッツの《闇》を凝縮させた漫画作品である。もっと具体的に言うならば、ブロガーやWebライターやアフィリエイターの闇を本作品は描いている。

定職に就いていて、安定した収入を持っている人であれば、本作をユーモラスな風刺漫画として楽しめるだろう。自分とは無関係の他人が、自業自得で崖を転がり落ちてゆく姿を眺めるのは、面白い。(なんて書いたら顰蹙(ひんしゅく)を買うけれども、他人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものだ)

対して、笑えないのが僕のような人間である。

終始、青ざめながら読んでいた。

つまり定職に就いておらず、安定した収入もなく、ブロガーやWebライターやアフィリエイターをしている僕のような人間がこの漫画を読むと、頭を抱えてゴロゴロと床の上をのたうちまわる羽目になる。ムンクの叫びみたいになる。

これは、一部の人たちに対して、極めて高い殺傷能力を誇る漫画である。そして当事者の立場から言わせてもらっても、作中で描かれていることは本質を突いている。

将来、専業のブロガーやWebライターやアフィリエイターを目指す人は、自分の気持ちを確かめるためにも、本書を読んでおくと良いかもしれない。(決して夢を後押しするような内容ではないですよ。念のため)

なお『ここは悪いインターネットですね』収録作の『ブロガー山月記』は筆者のブログでも公開されている。

ブロガー山月記の後作となる『りちょうとえんさん』も、ブロガーの闇をこれでもかというくらいネタにしていて、作中に出てくるネコが唯一の癒やしである。ネコかわいい。生まれ変わったらネコになりたい。

Webライターは本当に「ライター業」なのか?

『りちょうとえんさん』のなかに『ライターストレイドッグス』という話が収録されていて、これがなかなか僕には刺さる。

作中で袁傪が(李徴……お前が言っているのは……多分、ライター業じゃない……)と心の中でツッコミを入れる台詞がある。(p.7)

ここで李徴のやろうとしている仕事が、いわゆるWebライティングであり、1文字単価0.5円とかで記事を買い叩かれるブラックなお仕事である。納品された記事は主にアフィリエイトサイト構築の用途で用いられる。

たしかにこれは、ライター業とは言い難い。何故か? 取材ができないからだ。

Webライターとしておそらく最も有名なヨッピー氏を見れば分かるとおり、ライター業の本質は文章を書くことではなく「取材」にある。取材ができなければ、記事のネタが仕入れられない。(そしてヨッピー氏は取材がめちゃくちゃうまい)

取材は誰かと会ってインタビューするだけにとどまらず、例えばレビュー記事であれば実際に商品を購入して使ってみる、グルメ記事であればレストランへ食べに行く、イベントレポートであれば現地へ足を運ぶのも立派な取材である。

安上がりに済むのもあるけれど、基本的に取材はお金がかかる。相応のコストがかかる。

なお、弁護士や医師や研究者といった専門家ライターの場合は、自分自身(・・・・)が取材対象として価値のある情報を持っている。

取材能力に長けている、専門知識を持っている、珍しい特技がある、人生経験が豊富……何だって構わないのだけれど、価値ある一次情報を手に入れられることが、ライターとして生き残る鍵となる

クラウドソーシングに溢れるWebライティング案件を眺めていると、暗澹たる気分になる。取材費もなく、筆名も出せず、文字単価0.5円かそこらでサプリメントや消費者金融や脱毛エステの紹介記事を書かせる。これはたしかにライター業とは言い難い。

僕はWebライター3年目で、ようやくその当たり前の事実に気づいた。取材もせずに、他のサイトの情報をリライトして自分の記事とする。Webライターやアフィリエイターの多くがやっていることは、どっからどう考えてもおかしいのだと。

これ以上語ると本題から逸れるし、暗くもなるので、また別の機会としたい。

小島アジコ氏の『ここは悪いインターネットですね。』『りちょうとえんさん』は、そういったことを深く考えさせられる漫画である。

あと、漫画に出てくるネコが可愛い。*1

ネコになりたい。

ネコ……。

(終わり)

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*1:ネコが登場するのは『りちょうとえんさん』の方。

ライトノベルの主人公にはなれないと悟った二十歳の誕生日

 二十歳を過ぎた自分が想像できなかったので、僕は二十歳になる前に死ぬのだと思い込んでいた。中学二年生の頃からその思い込みは真実性を帯びていて、やがて自分のもとに《死神の少女》や《灼眼の戦士》や《撲殺天使》が訪れることを信じて疑わなかった。来たる日に備えて、毎朝、木刀で素振りの練習をしたし、夜になれば魔法陣の研究に励んだ。あるいは太陽に手を掲げ呪文を唱えてみたりなどしたが、何一つイベントは起こらなかった。そうこうしているうちに、二十歳の誕生日を迎えた。

 何かとてつもなく大きなものを失った気がした、マイバースデイ。放心状態で街を徘徊し、まだ一月の凍った大気のなかを彷徨い歩いた。空を仰ぐと新規建設された高層マンションの屋上が目に飛び込み、異世界のヒロインはもう二度と天から降りてこない、自分がライトノベルの主人公たり得る権利を剥奪されたかのような絶望感に目眩がする。もっと夢を視ていたかった。

 社会人になる従兄弟は「お前も今日から酒が飲めるな」と明るく言った。「そうですね」と答えたが、親をアル中で失くしている身としては、アルコールだけは死んでも一滴足りとも飲むものかと、そういった気持ちの方が強かった。僕は話題を変えるために「あ、アダルトゲームだってできますし」と一言付け加えた。せめて成人した証拠となるようなものが欲しいと思った。自分専用のパソコンを持っていないのでゲームは買えない。せめて、官能小説を買いに行こうと決心した。

 日が暮れかけていたが、もう一度街へ出かけて、今度は駅前の古本屋に向かう。古本屋にはアダルトのコーナーがあって、そこは一度も足を踏み入れたことがなかった。なんとなく背徳感にそそられて、タイトルに《妹》のつくアダルト小説を十冊ほど両腕に抱え、レジまで持って行った。本の表紙にはアニメ調でエッチな二次絵が描かれてあった。本の点数を数える店員さん(若い男性のアルバイトの人だった)の顔は苦笑いに歪んでいて、僕は耳の先まで真っ赤になった。けれども、このイニシエーションをクリアしたら、自分も大人になれる、そんな期待感でわくわくもしていた。

 深夜、日付が一時を過ぎた頃、学習机の蛍光灯に照らされ、黙々とアダルト小説のページを捲る。読んでいるうちに、だんだんと失望の色が強くなる。これじゃない、これじゃない、これじゃない、僕の求めている物語は――、《死神の少女》がいて《灼眼の戦士》がいて《撲殺天使》がいる物語なのだ。

 カーテンを開けて、満月の浮かぶ夜空に《My Desire is Darkness for Underground…》と呟いた。

(了)

 

※黒歴史ポエムの公開処刑所/二十歳の誕生日に書いた日記より

「返報性の原理」を悪用したマーケティングは人間不信を生み出す

「私、褒められるのが怖いんです」とでも言おうものなら、おいおい、まんじゅう怖い的なネタ振りかよと突っ込みたくなる。

しかし実際に、僕は褒められるのが怖いし、褒めてくる相手を警戒してしまう。好意から発せられた言葉にも、何か裏があるんじゃないかと怯える、悲しい人間である。

返報性マーケティングが生む人間不信

何年か前にブログセミナーに足を運んだとき、講師の人が最初に口に出した言葉が返報性の原理だった。

講師のプロブロガー曰く。人は他者から好意を受け取ったときに、お返ししなきゃ!と感じる心理がある。だから他者からブログを評価されたければ、まずは相手のブログを評価せよ、と。

はてなブックマークを利用しているブロガーを検索し、彼らのツイッターをフォローしよう。記事のシェア拡散には積極的に協力し、いいね!やポジティブなコメントを書き込んで、相手にどんどん好意を与えるべし。

そうすれば返報性の原理が働き、好意が自分の元へと返ってくる。ブログをホットエントリーに載せたければ、返報性を利用するのが最短経路である。

セミナーの参加者はうんうんと頷いていたが、僕は(こんなん人間不信になるわ!!!)と思った。

また、これは別の話だが「無報酬でイラストレーターに絵を描かせる」あるいは「格安でWebライターに文章を書かせる」ためにブラックな会社は何をするか。

手始めに、相手を褒めて褒めて褒めまくるのである。

どこまでマニュアル化されているかはしらないが、そのようなことをやってくる相手は少なからずいる。

具体的な報酬額・仕事内容の話を伏せて、不自然にベタ褒めしてくる人がいたら要注意だ。

承認欲求の充足と引き換えに仕事をやるのも悪くないが(僕のやってる自治会の仕事もそんな感じだし)ただ、相手の好意が偽りであったら話は別である。

それは、単に都合良く利用されているに過ぎない。

偽りに満ちた賞賛の氾濫は、ネット世界に人間不信を生み出す恐れがある。

返報性マーケティングは承認欲求を食い物にする

貸し借りが残った状態を心は気持ち悪く感じ、解消しようとする。このときの「お返ししなきゃ!」と思う心理を利用するのが、返報性マーケティングである。

今どき、街中でポケットティッシュを貰ったくらいで「お返ししなきゃ!」と感じる人は少ないだろうが、お店のイベントで豪華なプレゼントを手渡されたときは、何か買わないと(契約しないと)申し訳ないなという思考が過ぎる。

いわゆる無料サンプルや試食品の提供も、返報性の原理の活用事例としてよく紹介される。

しかし返報性マーケティングの本質は、相手に精神的な充足感を与えることにある。(精神的に満足しなければ、お返ししなきゃの心理が働きづらい)

例えば服屋に行ったら、店員さんが「お似合いですわぁ」と褒めちぎってくれる。これは返報性の原理の健全な活用事例といえよう。

ブログ論壇でしばしばやり玉にあげられる「互助会」も、まさに承認欲求に訴えかける返報性マーケティングだ。(※意図的にやっている場合の話です。念のため)

相手がブログを更新すればツイッターやフェイスブックでシェアして、好意的な反応をつける。ブックマークのコメント欄では「いい記事ですね!」「勉強になります!」「さすがです!」みたいなポジティブな意見しか書かない。

たとえお世辞だと分かっていても、承認欲求を満たされると「お返ししなきゃ」と強く感じてしまう。なぜならば、お返ししなければ次は見放されて、《承認》されなくなるかもしれないからだ。

だから、お返しとして相手のブログを見に行くし「いい記事ですね!」「勉強になります!」「さすがです!」とブクマする。

僕はブロガーの互助会を悪いものとは思っていないが、もしも「お返ししなければ次からは承認されない」という不安が生ずるのだとすれば、それは大いに問題と感ずる。

お返ししなければ得られない賞賛など、本当の評価ではあり得ないのだから。そもそも見返り目的の褒め言葉など、空しい虚飾である。

返報性マーケティングが一般的になってしまうと、自分に向けられた好意が真実なのか偽りなのか、分からなくなってしまう。

服屋に行って「お似合いですわぁ」と言われるのは、こちらも相手が仕事として褒めてくれるのが明白だから、怖くはない。

ところが、インターネットだと、これが分からない。ゆえに怖い。人間怖い。

Web小説コンテストにおける返報性スパムの闇

小説投稿サイト「カクヨム」で小説コンテストが開催されたときも、レビューやスターの見返りを目的とした不正な評価が問題視された。

投稿作のあらすじだけを読んで「ぐいぐいと引き込まれるファンタジーでした!」「読みやすく軽快な文体!」みたいな、(本当は読んでいないというボロを出さないための)当たり障りのない、しかし作者が喜びそうなレビューを残す。

好意的なレビューを何百件と量産して、その返報性で自作に評価が与えられるのを期待する、スパム的行為。そしてそれは、現実に成功した。

カクヨム小説コンテストの第一回で横行した《好意的レビューの量産戦略》通称、ふぁぼ爆。これはのちにカクヨム運営にスパムとみなされ、一応の対策が図られる形となる。

僕も第一回のカクヨムコンテストに投稿していて、はじめて貰ったレビューがこの《返報性スパム》だった。最初はぬか喜びしていただけに、大変なショックを受けた。

返報性マーケティングが悪い、と言いたいわけではない。

誰だって多かれ少なかれ、人に好意を与えるときは、何かしらの見返りは期待したくなる。それ自体は否定されることではないし、人間はそうやって持ちつ持たれつ、助け合って生きている。

それはそれとして。

見返りが目的で美辞麗句を並べ、相手の小説や絵を褒めるのは、作品に対して失礼なことだ。嘘も方便とは言うが、それはついてはいけない嘘である。

返報性マーケティングの一環として自作を賞賛されるくらいであれば、「読んだけどつまらなかった」という正直な感想の方が百倍ありがたい。

タイトルのとおり。

「返報性の原理」を悪用したマーケティングは人間不信を生み出す。

やってる側も自分の気持ちに嘘をついているわけだから、それは悲しいことに違いない。

(終わり)

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自治会がやる赤十字の寄付金集めについて当事者の立場から答えます

毎年5・6月頃になると、町内会や自治会の役員が各家庭を回って「日本赤十字社の活動資金徴収」にやってくる。

僕も自治会に関わるまでは(赤十字社と自治会ってどういう関係性で動いているんだ…?)と不思議に思っていた。

しかし今年の4月から僕は自治会長に選ばれてしまい(経緯については前回の記事を参照)、自治会活動を続けるなかで赤十字運動の概略についておおよそを知るに至る。

ここでは自治会がやっている「赤十字の寄付金集め」について、よくある疑問に一問一答形式で答えていきたい。

【目次】

Q1.そもそも何で自治会が日本赤十字社の寄付金を徴収するの?

A.赤十字から自治会長宛に寄付金集めの協力願いが届きます。強制ではなく、自治会が任意で「協力」しています

5月のあたまに赤十字奉仕団から「赤十字活動資金募集についてのお願い」という書類が自治会に届く。その書類のなかに、徴収した活動資金の振込用紙・専用の領収証・赤十字社のシールなどの必要品も封入されている。

ちなみに赤十字奉仕団とは、日本赤十字社の各都道府県支部のなかに設置されているボランティア組織で、どうやら各市町村にそのような赤十字関連の団体があるらしい。(ここでは便宜上「赤十字」と呼称し、実質的に日本赤十字社の統率下にあるものとして扱う)

インターネットから赤十字に寄付ができるこのご時世に、どうして自治会が?と思わなくもない。

赤十字側の説明によると「赤十字は地域に根差した活動をしているので、自治会には地域住民とのパイプ役として協力してほしい」とのこと。

地域に根差した活動として分かりやすいのが献血活動だ。例えば「○月○日に某所で献血キャンペーンをやりますよー」といった案内も、自治会が回覧板でまわしたり掲示板に貼ったりして告知に協力している。

赤十字奉仕団と行政機関そして自治会は相互に協力し合っている。赤十字の活動報告では「各地区の自治会から○○円の社資を集めた」という実績も開示される。

ただあくまで、日本赤十字社の寄付金集めに協力するのは自治会の善意でありボランティア活動の一環に過ぎない。自治会に寄付金集めの義務や強制があるわけでは、決してない。

Q2.自治会費の徴収と一緒にされるんだけど、赤十字への寄付って強制なの?

A.強制ではないです。また、赤十字社から自治会に対する圧力もありません。完全に任意です

まず、自治会費の徴収と赤十字の徴収が同じタイミングでなされるのは、単に時期的なタイミングがちょうど良いというのと、集金作業の二度手間を避けるくらいの意味しかない。

赤十字社から自治会に対しては「強制ではないので、必ず赤十字会員加入・継続(活動資金納入)の意思確認をしてください」と複数の書類で念押しされている。

したがって寄付金の徴収の際に「意思確認」がまったくなかったとすれば、それは自治会がアウトである。

もしも無理やりに寄付金や募金を徴収しようとするような自治会があったら、すみやかに脱退しよう。(自治会は任意加入団体!)

いずれにせよ、寄付は強制でするようなものではなく、いかなる性質があろうとも断ることができる。というよりも、はじめに意思確認をする義務が自治会側にはある。

Q3.赤十字の「義援金」と「寄付」って何が違うの?

A.義援金は被災地(行政機関)にそのままお金を届けます。自治会で集めている寄付金は「赤十字社の活動資金」として使われます

自治会が赤十字運動で集めたお金というのは、基本的には日本赤十字社の活動資金として使われる。

例えば、献血運動・救急箱の貸出・健康安全講習・生活支援講習・災害時の救援物資調達……等のさまざまな活動費用として運用がされる。

日本赤十字社の各支部のホームページで活動内容は公開されているので、興味のある人は見てみよう。うちの地域は看護師の養成に力を入れている。

Q4.徴収のとき、領収証に住所と氏名を書かされたんだけど何で?

A.寄付した人の連絡先を提出するよう、赤十字から依頼を受けています

とりあえず自治会としては、赤十字社から「2千円以上の寄付をした協力者の住所と氏名を送ってください」と依頼されている。

2017年度からは2千円以上の寄付をした人が「赤十字会員」となるそうで、その会員登録のための情報となる。会員になれば『赤十字NEWS』なる機関誌が自宅に届くとのこと。

加えて、赤十字社への寄付は確定申告時の「所得控除」に使える。その寄付証明として、領収証に住所氏名が必要なのらしい。

Q5.寄付は500円以上じゃないと駄目って自治会の人に言われたんだけどそうなの?

A.誤解です。1円からでも寄付は可能です

500円以上というのは赤十字社が「目安」として定めている金額で、とくに500円以上じゃなきゃ駄目という決まりはない。1円からでも寄付はできる。

一口いくらと決まっているわけではなく、自由に寄付金額は決められる。

Q6.納めた自治会費から勝手に赤十字への寄付金として天引きされていたのだけれど、これってありなの?

A.実務上そのように運営する自治会は少なくないものの、自治会構成員全員の承諾が得られていない場合には「違法」でありアウトです。

先にも述べたとおり、自治会としても「自治会費の徴収」と「赤十字社への寄付金集め」を同時並行でやるのは、少し手間となる。

なので自治会規約の方で「第○条 自治会費のうち○○円を日本赤十字社に毎年寄付する」といったふうに定めておいて、自治会として毎年一定額の納入をするという形を取るのが楽だ。実務上はそのように処理している自治会も少なくない。

自治会規約の方に定められており、自治会員「全員」の同意が得られているのれあれば、自治会費のなかから寄付をすることはまったく問題ない。

しかしながら、たったひとりでも寄付に反対する人が出た場合、これは非常に厄介な問題となる。

なぜならば、特定の団体に寄付をするかどうかは、その人の「思想・信条の自由」の領域であり、本人の意思を無視して強制的に天引きをすると憲法違反になってしまうからだ。

(日本国憲法第19条)

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

たとえ総会で議決された規約であっても、憲法違反とあらばその自治会規約そのものが無効となってしまう。

(民法第90条)

公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

実際、2008年には「自治会費に寄付金を上乗せ徴収しても良いか」が最高裁まで争われた事案がある。そして「公序良俗違反につき寄付金上乗せ徴収の自治会決議は無効」として判決が確定した。(つまり自治会側の敗訴)

赤十字の寄付金集めで苦労する自治会運営の人には気の毒この上ない話であるが、自治会費からの寄付金天引きは違法となりうることは絶対に知っておきたい。

(なおこの判決の件を当ブログの読者さんより教えていただき、2018年11月2日に記事内容を加筆修正しました。感謝申し上げます。)

加えて、自治会として寄付してしまうと(個人は)赤十字社の領収証が貰えない。ゆえに「所得控除に使えない」という節税上のデメリットが生じる。

赤十字としては単に寄付金を集めるだけではなく「赤十字活動を多くの地域住民に知ってもらう」ことを目標としている。したがって、自治会として一括で寄付するといった方法が広まるのは、赤十字側としてはあまり嬉しくはないらしい。

自治会一括納入方式よりも、地域住民ひとりひとりに寄付金のお願いをする方が望ましい。だから寄付金集めの方法について「ぜひご一考ください」と赤十字奉仕団の方から連絡が来ている。

話を最初の質問に戻すが、もしも自治会費の用途に納得が行かない場合は次のような方法を取ろう。

  1. 自治会役員に問い合わせる
  2. 自治会総会で発議する
  3. 自治会を脱退する

繰り返すけれども、自治会が任意加入団体であり、ただのボランティア組織に過ぎないことをお忘れなきよう。

Q6.自治会で集めた寄付金は本当に日本赤十字社に送られているの? ちょろまかされたりしないの?

A.システム上、不正行為はしづらいものと思われます

例えば自治会長をやっている僕が「寄付金として集めたお金をこっそり着服しよう」と考える悪い人間であったとする。その悪事が成功するかどうかとなると、なかなか難しい。

第一点として、他の自治会役員と共謀でもしない限り、そのような不正はできないこと。

第二点として、「赤十字活動資金領収証」は特別なフォーマットでできており、寄付金額の改竄や隠蔽はできない(困難な)形式となっていること。

第三点として、(悲しいことに)寄付金そのものがあまり多くは集まらないため、そもそも着服しようという気が起こらないこと。

その他諸々の理由があり、自治会の方で不正が起こるといったケースはまずないだろうと思われる。なにせ自治会役員自体が善意のボランティア集団であるため、そんなまどろっこしいことして私腹を肥やすくらいであれば、とっくに自治会を抜けている。

ただ万が一、日本赤十字社のロゴや印章の入っていない領収証を手渡された場合には(あやしい……)と疑っても良いかもしれない。

Q7.赤十字社員ってなんなの? 会社なの?

A.まぎらわしいため「赤十字会員」の名称へと変更されました

これまでは寄付した人を「社員」と呼んでいたみたいだが、どう考えてもややこしく誤解を招く。もちろん会社の社員とは何ら関係ない。

なので2017年度からは「会員」へと名称変更された。

ちなみに2000円以上の寄付で「会員」、2000円未満の寄付で「協力会員」となる。

会員になれば住所と氏名が赤十字に登録され、機関誌『赤十字NEWS』が送られてくる。

そのほかの特典の違いはとくにないので、会員と協力会員の区分などはあまり気にせず、寄付したい人が寄付できる金額で協力していくことが大切だと思う。

Q8.自治会を通さずに個人で勝手に寄付をしてもいいの?

A.もちろんOKです。コンビニでもネットでも赤十字社への寄付ができます

あまり知られていないかもしれないが、ファミリーマートの「Famiポート」やローソンの「Loppi」からでも日本赤十字社への寄付ができる。

また、日本赤十字社の公式ホームページからも赤十字会員に加入することができ、寄付にはクレジットカードや口座振替が使える。

自治会としても寄付金集めにまわるのが大変なので、むしろ個人としてどんどん寄付してほしい。

自治会で寄付金を徴収するシステムはどうしても、人手が必要になるし非効率的と言わざるを得ない。コンビニ端末で気軽に寄付をするといった感じに、寄付がもっと気軽にできる世の中になれば良いなと感じる。

Q9.赤十字社のシールを貰ったんだけどどうしたらいいの?

A.お礼の品です。玄関や表札に無理に貼る必要はありません

共同募金をしたときに貰える羽根と同じく、赤十字社の会員シールもお礼の品であって、とくに玄関や表札に貼らなければいけないということはない。

ちなみに、メルカリに赤十字社の社員証シールが出品されていて、しかも驚くべきことに落札されている。こういうことはさすがにやめよう。

赤十字からも、余ったシールは廃棄か返還をするようにと頼まれている。

Q10.自治会での寄付金集めはうまく行っているの?

A.こちらは厳しい状況です

当自治会、および周辺地域の自治会では、集まる寄付金は年々減少傾向にある。うまく行っているとはいえない状況だ。

僕が自治会長を務めているところは、加入世帯数が数百を超えている。しかし、それらすべてで集まった寄付金額を合算しても1万円に満たない。

自治会役員達の労力(本来の人件費)を思えば、自分のポケットマネーから出した方が早いのではないかと思われる。

ベルマーク集めよりかはマシかもしれないが、正直なところ自治会による寄付金集めは(効率性を考えると)無理が生じてきていると感じる。

もしも赤十字の寄付金集めに「強制感」を抱く人がいるとすれば、それは自治会という地域コミュニティの性質そのものが深く関与している。自治会費と一緒に寄付金を集めます!というやり方は、どうにもいただけない。(断りたくても断れない人はいるだろう)

なお、当自治会ではこちらから寄付金をお願いすることは一切なく「寄付をご希望される方は集金に伺いますので、回覧板の名簿に名前をご記入ください」という方式を採っている。

どうにも赤十字奉仕団の決算報告書を読んでいると、活動費集めをちょっと自治会に頼りすぎているのではないかと感じる部分があり、危うく感じる。

とはいえスマートな代替案を持っているわけではなく、赤十字奉仕団だって自治会と同じボランティア組織だから、なかなか大変なのだと思う。

こちらとしては次期自治会へと今まで通りに引き継いでいくしかなく、歯がゆい。

(終わり)

自治会長の権限をもってしても自治会の仕事を減らすのは難しいという話

この春より、地域の自治会の会長となった。加入世帯数が数百とある、それなりに規模の大きい自治会だ。

ところが僕は、好んで会長に立候補したわけでは決してない。

自治会役員の希望者がおらず抽選という形になって、その役員の間でおこなうクジ引きでたまたま、会長に選ばれてしまったという話。

すなわち会長も含め、役員の全員がクジ引きで選ばれたというケースである。

 

先日、上のような匿名の投稿がホッテントリに掲載され、ネットでもかなりの注目を集めた。PTA役員に抽選で選ばれてしまった方による問題提起、そして切実な悲鳴であるが、PTAに限らず自治会にも似たような構造問題があることと思う。

だから僕は、自分が自治会長となった暁には、自治会としての仕事を極力減らし、休みたい人が気兼ねなく休めるような、自由な組織にしたいと考えた。

休みたい自治会役員が、会議では可視化できないという問題

さて、自治会役員による会議が何回か開催されたのだが、そこで驚いたことがひとつある。

役員のみんな、やる気に満ちあふれているのだ。

地域の問題点を見つけてきては、その問題解決のために「こういう活動をすべきだ!」と積極的に提案する。つまりは自治会の仕事をどんどん大きく、増やそうとする。

そのような意見が出ても、役員達は嫌そうな顔をひとつせず、むしろうんうんと大きく頷く。「そうだ、我々の手でなんとかしなければならない」と前向きで意欲的なコメントがどんどん出てくる。

ここは自ら当て馬になってやろうと仕事を減らす提案(・・・・・・・・)をしてみると「いやいや、五条さんが忙しければその分は私たちで引き受けますので」と。ここまで言われてしまえば、こちらとしては引き下がるしかなく。

もちろん、地域貢献のための活動なのだから、良いことには違いない。

引き継ぎもほとんどない状態で、抽選で選ばれた見ず知らずの役員達が集まり、しかし会議では建設的な意見が次々と出される。

もしかしたらこれが日本風の組織の強みなのかもしれないし、美徳なのかもしれない。

しかし悪く言えば「同調圧力」が会議中に形成されないかと、僕は恐れていた。

会議では発言の多い人と、ほとんど何も言わない人とに分かれる。皆、意欲的に振る舞ってはいるが、その本心には温度差があるのではないか――、と。

内心では(こっちは仕事で忙しいんじゃ。とっとと会議を終わらせろや)と思っている役員さんがいたかもしれない。しかし誰も本音は語らないので、僕には皆が本当に自ら好んで活動したがっているのかどうか、判断することができない。

自治会の活動を休みたい、引き受けたくないと思っている役員がいたとしても、(少なくとも自治会長の視点からは)それが可視化されないのだ。

僕も正直に述べると、クジ引きで選ばれた役員の方々がここまで活動に熱心だとは思わなくて、なんというか場の空気に圧倒されてしまった。

(みんなやる気に満ちている。素晴らしい。なんて生産的で建設的な会議なんだ。もしもここが会社の会議室であったのならば、僕は自治会長を職業にしても良いくらいだ)と心の中で舌を巻く程度には、役員会議には良い雰囲気が形成されていた。

「強制参加」を防ぐために自治会長としてできること

たとえ皆がやる気に溢れていたとしても、自治会は「休みたいときに休みたい人が休め、活動したいときに活動したい人が活動する」組織でありたい。

タイトルに「自治会長の権限をもってしても~」と書いたけれども、残念ながら自治会長にそんな大層な権限はなく、ほんとにできることが限られている。会議のイニシアチブを取るにしても、僕のような若輩者ではなかなか……。

ただ幸いなことに、書類作成周りの業務は自治会長に一任されている。こちらで僕は、自分の役割のなかで最善を尽くしていきたいと考えた。

例えば自治会の発行書類を見てみると、次のような強制感のある表現が散見される。

  • ご多用中のところ恐縮ですが、万障お繰り合わせのうえ、ご参加くださいますようお願い申し上げます。
  • ご多忙中のところ誠に恐縮ですが、皆様ご出席くださいますようお願い申し上げます。
  • お忙しいとは存じますが、何卒ご出席くださいますようお願いいたします。

今期の自治会では、書類でこのような表現は一切使わないこととした。

役員といえども報酬が貰えるわけでなく、100%ボランティア活動である。

仕事や家庭の事情に優先させて(それこそ万障繰り合わせてまで)出るべき役員会議やイベントなど、どこにも存在しない。

本当にご多忙中なのであれば、自治会活動などは休むべきなのだ。

役員のひとりやふたり欠席したところで、自治会はきちんと回る。 重要な議題であっても、メールなり電話なりで伝えることができる。だから個々人に無理を強いる空気だけは、決して作ってはいけない。

そこで、各種の書類において次のような表現に置き換えた。

  • ご参加いただける方は、是非ご参加ください。
  • お時間の取れる方はご出席のほどよろしくお願い申し上げます。
  • ご都合がつかず欠席される場合や、その他ご相談事項等ございましたら五条(電話番号/メールアドレス)までお気兼ねなくお知らせください。

ライトな表現に置き換えたくらいで、どの程度の効果があるのかは分からない。

少しでも、自治会の風通しを良くしていければと切に願っている。

自治会活動そのものは、尊重すべきである

詳しいことを書くと簡単に特定されてしまうため、ぼかすしかないのだけれど、当自治会では地域問題を解決するため「行政への働きかけ」を積極的にやっている。

僕も自治会長になるまでは、住民問題解決のために努力する人たちが数多くいたことに気づかなかったし、地域のために市政を動かすという自治会の大きな働きには、ある種の感銘を受けた。

だから「自治会早くなくなれ、なくしてしまえ」とは思わない。自治会の活動そのものは(非効率的な実務は改善するとして)大いに尊重すべきであると感ずる。

先のはてな匿名ダイアリーのPTAにせよ、自治会にせよ、町内会にせよ、団体の総意としては「善意」の気持ちで包まれている。(だからこそ厄介でもあるのだが)

とにかく大切なことは、休みたい人が休めるようにするということ。

任意加入団体である自治会で、しかも無報酬で役割を果たす役員に対して、強制参加を要請するなど絶対にあり得ない。これだけは自治会長として、変えていかなければならない。変えていこうと強く思う。

「五条さん、フリーランスでしたら平日も時間空けられるんですね。心強いですわぁ」

「いやぁ……まぁ……だといいのですがねぇ……あははははは」

(なんでやねん! こっちは有給休暇も取れないんだぞ。仕事を休めば休んだ分だけ、収益が落ちるのに!!!)

なんて、心の中で悲鳴をあげなくて済むように。

1年間の任期のなかで、自治会改革と地域貢献のために努めていきたい。

 

(了)

アドセンスを記事中に入れるのはデメリットが大きいのかもしれない

アドセンス広告をどこに配置すれば効果が高いのか。稼ぎたいブロガーさんにとっては、重大な関心事だと思う。で、他の方のブログハック記事を見てみると「アドセンスを記事中に配置しましょう」の意見が案外多い。

たしかに、アドセンスを記事中に挟み込むことによって、短期的には収益が増える。データとしてはそのとおりである。

ただ数年以上の長期スパンで考えたときに、この配置は損失が大きいのではないかと私的には考えている。

記事中のアドセンスは「クリックされたら」困る

簡単な話、記事中のアドセンスはクリックされたら困るのである。

記事中のアドセンスがクリックされるのは、ユーザーが途中で記事を読むのをやめて、広告主のサイトに移ってしまうことを意味する。

極論を言えば、ユーザーがそこで離脱するのは「記事内容よりも広告内容に興味を惹かれたから」である。

書き手としては、最後まで記事を読んでもらえてこそ本望のはず。読みかけの途中でアドセンスに読者を奪われるというのは、大変悔しいことだ。

これだけなら精神論の話として笑えば良いのだが、記事中のアドセンスがクリックされるならば次のような実利的弊害が生じる。

  • 読了率が下がる
  • ページ滞在時間が減る
  • 内部リンクの回遊率も落ちる
  • 成果報酬型アフィリエイトの機会損失が生じる
  • ユーザビリティを損ねる

このうちのいくつかの項目は反論も可能だが、最後の「ユーザビリティを損ねる」だけはどうしようもない。

記事中アドセンスによって記事が読みづらくなることはあっても、記事が読みやすくなることは決してないからだ。たとえゾウが逆立ちをしたとしても、ユーザビリティへの影響だけはひっくり返しようがない。

ところでGoogleは、これからの時代はSEO(検索エンジン最適化)ではなくSXO(Search Experience Optimization/ユーザー体験の最適化)を重視しますよと言っている。

ユーザー体験の最適化にはさまざまあるが、真っ先に考えなければならないのが「ユーザビリティの向上」である。例えば記事を細切れに6分割くらいしているニュースサイトを見ると、多くのユーザーは(読みづらい! 滅びろ!!)と思うだろう。

ユーザビリティを無視するとはそういうことだ。

もしも長期的な視野に立ってブログを成長させようと思うのであれば、まずは記事中のアドセンスが本当に必要なものなのかどうか、一度見直した方が良いだろう。

より大きく儲けるためには、より遠くを見るということ

もっと言ってしまえば、アドセンス広告をすべて取り払うのも合理的な手段である。広告をクリックする代わりにユーザーが「関連記事」等の内部リンクを回遊してくれれば、その分PVは増える。

うまくいけば直帰率(離脱率)も下がるし、サイト滞在時間も増えるし、指標としては良いことずくめだ。

ブログが軌道に乗るまでは、広告を外して運用した方が伸びやすいですよ」といった趣旨のことは、以前にご紹介した『人気ブロガー養成講座』(かん吉)でも書かれている。(※リンク先は書評記事。本書のp.240を参照)

人気ブログになるまではアドセンス収益といっても、たかだかしれている。アドセンスを貼るくらいであれば「関連記事リンク」「購読ボタン」「フォローボタン」を置いて、それを確実にクリックしてもらう方が利益は大きい。

人間には「目先の利益を過大評価して、遠い場所にある利益を過小評価する」といった認知上の歪みがある。(プロスペクト理論・参照点依存)

だからどうしても、すぐに手に入る収益の方を優先してしまうし、アドセンスを貼らないなんてもったいない! 機会損失だ! と考えてしまう。(プロスペクト理論・損失回避)

僕だって、目先の利益を追って痛い目にあったことが何度もあるので、他人のことはとやかく言えない。

ただ、巷で言われているように「記事の途中にアドセンス広告を入れると効果が高い」が本当なのかどうか、一度疑ってかかる必要があるとは思う。

読んでもらえてこその、ブログなのだから。

本質を見失わないように。

(了)

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代理振込のために名義人のマイナンバーカードを預かるケースがあるという話

すこし驚いたことがあったので、メモしておきたい。

先日、代理人として郵便局(ゆうちょ銀行窓口)から電信払込みをする機会があった。他者名義で高額の振り込みをする際には、当然ながら「委任状」が必要となる。

それに加えて、郵便局からは「名義人と代理人、それぞれの本人証明書類の原本」の提示を求められた。

一般的には運転免許証などで本人確認をするのだが、あいにく名義人が運転免許証やパスポートの類いを持っていない。郵便局から貰った案内書によると、マイナンバーカードが使えるとあるので、これを本人確認に用いることにした。

「ではご本人様と、代理人様のマイナンバーカード合わせて2枚ですね、原本を持って窓口にお越しください」

と、このように郵便局員さんに言われる。なるほどそうかと頷いたのだけれども、ここでふとした違和感が頭をかすめた。

「えっ……あの、そういえばマイナンバーカードって他人に貸したら駄目といったことが言われていたような気がするのですが、このようなケースで他者のマイナンバーカードを預かるというのは、法律上問題ないのでしょうか」

疑問に思ったことを尋ねてみると、郵便局の方は少し首を傾げて、それから笑顔で答えてくれた。

「法律上……といいますか、手続き上は証明書類の原本がなければご本人確認ができませんので、はい。マイナンバーカードをそのまま2つお持ちいただくという形になりますね」

なるほど、たしかに。

渡された「委任状」の書類を見てみると『マイナンバーの提供』のチェック項目もあらかじめ用意されているし、代理人が委任者のマイナンバーカードを取り扱うことは想定内なのだろう。

なお、マイナンバーの提供は「かんぽ生命保険の保険金受け取り」のときなどに使い、今回は(本人証明にカードを使うだけでマイナンバーそのものを提供するわけでないので)この項目にはチェックを入れなくて良いらしい。

 

とりあえず、「代理人として郵便局窓口からお金を振り込むときは、本人確認のために《名義人のマイナンバーカード》を代理人が預かるケースもある」ということについてその日は知ることができた。

(了)


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