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【書評/自己啓発書の楽しみ方】ソース~あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。

「僕の人生を変えた◯◯冊の書籍」といったタイトルで、自己啓発書のラインナップをお勧めすると、手斧を持ったはてなブックマーカーがやってくる。彼らは「いい年してそんな本しか読んでいないとは嘆かわしい。低俗な自己啓発書に身をやつしていないで古典文学を読め」と説教をする。

似たようなことをショーペンハウアーも言っていて、彼のほうがさらに毒舌である。次から次へと出版される「凡俗な新刊書」を『毎年無数に孵化するハエのようだ』と形容して、そんな本は投げ捨ててしまえ!とさえ言っている。

詳しくはショーペンハウアー『読書について』(鈴木芳子 訳/光文社古典新訳文庫)を読むといいだろう。創作者には大いに役立つ劇物である。

おっと、大幅に話が逸れた。今回ご紹介するのは『ソース~あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。』(マイク・マクマナス 著)だ。

ソース?あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。

ソース?あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。

 

Amazonには157件のカスタマーレビューが並び、5つ星の絶賛コメントで溢れている。いわゆる、自己啓発書である。

1.自己啓発書はつまらないのか

僕の読書スタイルは「超」雑食で、純文学、海外文学、ライトノベル、ケータイ小説、ボーイズ・ラブ、百合、ありとあらゆる書物を好む。そのなかでも自己啓発書は好きで、一時期中毒になっていた。

もちろん、自己啓発書を読んだからといって、人生が好転したりポジティブ人間になったりはしなかった。本は、そう簡単に人を変えたりはしない。夢野久作の『ドグラ・マグラ』を三回目に読んだときは流石に何かが変わりそうな気はしたが……。

それでも自己啓発書が面白いのは「読者を変えてやろう」という気概が感じられるからである。実際に読んだ直後はかなり良い気分になれるし、そのように感情を突き動かせるだけで相当な筆力である。

「ソース」は少なくとも、物書きとしては勉強となる部分が多い書籍であった。すなわち、いかにして読者にポジティブな気分になってもらうか、という技術が籠められている。

2.レトリックを受け止める

本作から一箇所のみ、それもまったく重要ではない、何の変哲もない一文を引用してみたい。(できれば下の引用文章を3回ほど繰り返して読んで欲しい)

テラスはあちこちゆがんで、まるでラクダの背中のようでした。お話にならないほどひどい代物です(大工仕事が得意な人が見れば、腹を抱えて笑うかもしれません)。

(引用:ソース~あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。 Kindle版 マイク・マクマナス 著/以下同)

(補足:著者は自宅のテラスを自分の手で作りました。著者は不器用ながらも、大工仕事が好きです)

引用部分だけではわかりにくいかもしれないが、著者は上記のエピソードを通じて「得手不得手を言い訳にせず、やりたいことをやるべきだ!」という教訓を示している。

《抽象的な主張》を《具体的なエピソード》に仮託して、文脈を通じて読者に(暗に)教訓を伝える。このようなレトリックを諷喩(ふうゆ)という。

もっとも、このあとで著者がエピソードに籠めた意味をタネ明かししまくっているので、厳密には諷諭とは言えないかもしれないが、自己啓発書では諷諭がよく用いられる。

自分が作ったテラスの歪みを「まるでラクダの背中のよう」と形容する。これは直喩の技法だ。それにしても、何故ラクダなのだろうか。ヒトコブラクダでもフタコブラクダでも構わないけれども、ラクダの背中は相当にきつい曲線を描いている。

もしも本当に「ラクダの背中のような」テラスを作ってしまったら、それこそ立っているのも難しいだろう。

ゆえに上記の「ラクダの背中のような」の直喩は、歪んでいることをかなり大げさに(オーバーリアクションに)表現している比喩であることが分かる。このようなタイプのレトリックを誇張法と呼ぶ。

誇張法がもたらす効果はユーモアであり、簡単に言えば文章を楽しくさせる。もしも上の引用文章が次のようだったらどうだろう。

テラスはあちこち歪んでいました。お話にならないほどひどい代物です。(改変例文)

ほら、ラクダの比喩が無くなっただけで、随分と文章が暗い感じになるでしょう? ところが、ラクダを間に挟むと、ユーモアが出て明るくなるのです。これが、レトリックの偉大なる効果だ。

自己啓発書は、読者をポジティブな気分にさせることを目的とする。ポジティブにさせるには、笑わせるのが一番だ。笑ってもらうのに、レトリックは大いに役立つ。

引用例文は、読む人をなるべく暗くさせないようにしよう、という「読者への配慮」が見られる。大いに見習いたい。

そろそろくどくなってきたけれども、さらに解説を進める。

(大工仕事が得意な人が見れば、腹を抱えて笑うかもしれません)

引用例文の丸括弧でくくられた一文。これも立派なレトリックで挿入法という。(ちなみに、丸括弧のことを『パーレン』と書くと、通っぽくてカッコイイ!)

 ↑ みたいな文章がまさに挿入法で、このレトリックでは文章の流れを一旦せき止める。そしてあまり重要ではない(?)文章を挿し入れることで、文の雰囲気を整えることを目的とする。

例文では、丸括弧の直前にある

お話にならないほどひどい代物です

の一文がけっこう強い言葉で、読者の心証を考えるとバランスを取りたくなる。「ひどい」の形容詞が、ネガティブなイメージを無意識化に与えてしまうかもしれない。

そこで「ひどい」を中和する語句として「笑い」を入れておきたい。すべては読者をポジティブにさせるためである。

もう一度、引用例文を眺めて欲しい。

テラスはあちこちゆがんで、まるでラクダの背中のようでした。お話にならないほどひどい代物です(大工仕事が得意な人が見れば、腹を抱えて笑うかもしれません)。

読者のことが考えられた、よくできた文章である。

「歪んだテラス」と「ラクダの背中」

「お話にならないほどひどい代物」と「腹を抱えて笑う」

ネガティブなイメージとポジティブなユーモアが見事に調和し、文章全体としてバランスが保たれているのが分かるだろう。

自己啓発書を馬鹿にする人は、自己啓発書が「読者を良い気持ちにさせよう」とする技術と執念の力を甘くみている。ここで挙げた例文は、たまたま目についたふつうの一文に過ぎない。

3.速読では見つけられない面白さ

悲しいことに、自己啓発書はパラパラーっと流し読みにされることが多く、精読される機会は少ない(かもしれない)。

世の中には、本を早く読もう!をモットーとする『速読術』が溢れている。速読も役立つことはあろうし、否定はしない。

でも、立ち止まらなければ見つけられない面白さが、読書には存在する。自己啓発書に限らず、純文学でもケータイ小説でも、虫眼鏡で観察するようにして文章を読んでいくと興味深い発見が多い。

僕はこれを『ミクロの読書術』と呼んでいる。文章を扱う仕事を目指す人は、ぜひミクロの読書術を試してみて欲しい。「木を見て森を見ず」と言われるけれど、ときには「葉の細胞」を見ることが役立つこともある。

4.結局、書評はどうなったの?

タイトルに『書評』と書いておきながら、未だに内容に関する記載がない。だが、僕が今この瞬間、この文章を書いているのは、まさに本書を読んだからに他ならない。

『ソース~あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。』

タイトルのとおり、著者の主張は首尾一貫している。

つまり、自分のワクワクすることを今すぐ実行せよ!ということである。

僕は本を読んで、文章のレトリックを解析することが何よりもワクワクする。自分の発見したことをブログに綴るのは、もっとワクワクする。

今こうして文章を書いていることそのものが、本書に影響を受けた何よりの証拠で、これをもって書評とさせていただきたい。

(終わり)

ソース?あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。

ソース?あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。

 

※2016年9月1日現在は、Amazon Kindle Unlimited の対象本となっています。


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