Webライターとして生きる

五条ダンのブログ。「楽しく書く」ための実践的方法論を研究する。

「返報性の原理」を悪用したマーケティングは人間不信を生み出す

「私、褒められるのが怖いんです」とでも言おうものなら、おいおい、まんじゅう怖い的なネタ振りかよと突っ込みたくなる。

しかし実際に、僕は褒められるのが怖いし、褒めてくる相手を警戒してしまう。好意から発せられた言葉にも、何か裏があるんじゃないかと怯える、悲しい人間である。

返報性マーケティングが生む人間不信

何年か前にブログセミナーに足を運んだとき、講師の人が最初に口に出した言葉が返報性の原理だった。

講師のプロブロガー曰く。人は他者から好意を受け取ったときに、お返ししなきゃ!と感じる心理がある。だから他者からブログを評価されたければ、まずは相手のブログを評価せよ、と。

はてなブックマークを利用しているブロガーを検索し、彼らのツイッターをフォローしよう。記事のシェア拡散には積極的に協力し、いいね!やポジティブなコメントを書き込んで、相手にどんどん好意を与えるべし。

そうすれば返報性の原理が働き、好意が自分の元へと返ってくる。ブログをホットエントリーに載せたければ、返報性を利用するのが最短経路である。

セミナーの参加者はうんうんと頷いていたが、僕は(こんなん人間不信になるわ!!!)と思った。

また、これは別の話だが「無報酬でイラストレーターに絵を描かせる」あるいは「格安でWebライターに文章を書かせる」ためにブラックな会社は何をするか。

手始めに、相手を褒めて褒めて褒めまくるのである。

どこまでマニュアル化されているかはしらないが、そのようなことをやってくる相手は少なからずいる。

具体的な報酬額・仕事内容の話を伏せて、不自然にベタ褒めしてくる人がいたら要注意だ。

承認欲求の充足と引き換えに仕事をやるのも悪くないが(僕のやってる自治会の仕事もそんな感じだし)ただ、相手の好意が偽りであったら話は別である。

それは、単に都合良く利用されているに過ぎない。

偽りに満ちた賞賛の氾濫は、ネット世界に人間不信を生み出す恐れがある。

返報性マーケティングは承認欲求を食い物にする

貸し借りが残った状態を心は気持ち悪く感じ、解消しようとする。このときの「お返ししなきゃ!」と思う心理を利用するのが、返報性マーケティングである。

今どき、街中でポケットティッシュを貰ったくらいで「お返ししなきゃ!」と感じる人は少ないだろうが、お店のイベントで豪華なプレゼントを手渡されたときは、何か買わないと(契約しないと)申し訳ないなという思考が過ぎる。

いわゆる無料サンプルや試食品の提供も、返報性の原理の活用事例としてよく紹介される。

しかし返報性マーケティングの本質は、相手に精神的な充足感を与えることにある。(精神的に満足しなければ、お返ししなきゃの心理が働きづらい)

例えば服屋に行ったら、店員さんが「お似合いですわぁ」と褒めちぎってくれる。これは返報性の原理の健全な活用事例といえよう。

ブログ論壇でしばしばやり玉にあげられる「互助会」も、まさに承認欲求に訴えかける返報性マーケティングだ。(※意図的にやっている場合の話です。念のため)

相手がブログを更新すればツイッターやフェイスブックでシェアして、好意的な反応をつける。ブックマークのコメント欄では「いい記事ですね!」「勉強になります!」「さすがです!」みたいなポジティブな意見しか書かない。

たとえお世辞だと分かっていても、承認欲求を満たされると「お返ししなきゃ」と強く感じてしまう。なぜならば、お返ししなければ次は見放されて、《承認》されなくなるかもしれないからだ。

だから、お返しとして相手のブログを見に行くし「いい記事ですね!」「勉強になります!」「さすがです!」とブクマする。

僕はブロガーの互助会を悪いものとは思っていないが、もしも「お返ししなければ次からは承認されない」という不安が生ずるのだとすれば、それは大いに問題と感ずる。

お返ししなければ得られない賞賛など、本当の評価ではあり得ないのだから。そもそも見返り目的の褒め言葉など、空しい虚飾である。

返報性マーケティングが一般的になってしまうと、自分に向けられた好意が真実なのか偽りなのか、分からなくなってしまう。

服屋に行って「お似合いですわぁ」と言われるのは、こちらも相手が仕事として褒めてくれるのが明白だから、怖くはない。

ところが、インターネットだと、これが分からない。ゆえに怖い。人間怖い。

Web小説コンテストにおける返報性スパムの闇

小説投稿サイト「カクヨム」で小説コンテストが開催されたときも、レビューやスターの見返りを目的とした不正な評価が問題視された。

投稿作のあらすじだけを読んで「ぐいぐいと引き込まれるファンタジーでした!」「読みやすく軽快な文体!」みたいな、(本当は読んでいないというボロを出さないための)当たり障りのない、しかし作者が喜びそうなレビューを残す。

好意的なレビューを何百件と量産して、その返報性で自作に評価が与えられるのを期待する、スパム的行為。そしてそれは、現実に成功した。

カクヨム小説コンテストの第一回で横行した《好意的レビューの量産戦略》通称、ふぁぼ爆。これはのちにカクヨム運営にスパムとみなされ、一応の対策が図られる形となる。

僕も第一回のカクヨムコンテストに投稿していて、はじめて貰ったレビューがこの《返報性スパム》だった。最初はぬか喜びしていただけに、大変なショックを受けた。

返報性マーケティングが悪い、と言いたいわけではない。

誰だって多かれ少なかれ、人に好意を与えるときは、何かしらの見返りは期待したくなる。それ自体は否定されることではないし、人間はそうやって持ちつ持たれつ、助け合って生きている。

それはそれとして。

見返りが目的で美辞麗句を並べ、相手の小説や絵を褒めるのは、作品に対して失礼なことだ。嘘も方便とは言うが、それはついてはいけない嘘である。

返報性マーケティングの一環として自作を賞賛されるくらいであれば、「読んだけどつまらなかった」という正直な感想の方が百倍ありがたい。

タイトルのとおり。

「返報性の原理」を悪用したマーケティングは人間不信を生み出す。

やってる側も自分の気持ちに嘘をついているわけだから、それは悲しいことに違いない。

(終わり)

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