Webライターとして生きる

五条ダンのブログ。「楽しく書く」ための実践的方法論を研究する。

Chordana Composerで自動作曲した曲をCeVIOに歌わせてみた話

最初に告白しておくと、僕は音楽がまったくできない。音痴だし音感もないし、学校の教室でリコーダーを吹こうものなら、クラスメイトが耳を押さえて逃げ出すレベルだった。

けれど、音楽そのものは好きだ。ニコ動に投稿されたボーカロイドのPVを眺めていると、すごく胸がキュンキュンする。いいな、僕もいつかオリジナルの歌を作って発表したいな……と憧れをずっと抱えて生きてきた。

憧れを今こそ実行に移すとき!

作りました!!(ドーン

それではお聞きください。

「原稿のうた」です。

……………………

………………

…………

……

歌詞がひどい :;(∩´﹏`∩);:

 

さておき、僕は作曲はもちろん、DTMもボーカロイドも動画編集も完全に素人で、右も左も分からない。そんな自分が生まれて初めてつくったオリジナルの音楽が「原稿のうた」である。

これをどのように作ったのか、ということを解説したい。

1.作曲に用いるソフト(Chordana Composer)

Chordana Composer (コーダナ コンポーザー)はカシオ計算機株式会社が販売するスマートフォンアプリだ。

Googleプレイストアでは500円、iTunesストアでは600円で売られている。僕はAndroidユーザーなので、前者を購入した。(若干仕様が異なるらしい)

使い方は簡単。手順は次の通り。

  1. 録音ボタンを押して5秒間、自由気ままにキーボードをぽんぽん叩くか、口笛を吹く。(ハミングも可)
  2. 自動作曲ボタンを押し、ジャンルや曲調などを選択する。あとは全自動で伴奏も含めて作曲される。
  3. WAV形式、もしくはMIDI形式でエクスポートし、Googleドライブなどにアップロードする。

何も難しい作業は一切なく、このアプリを使えば文字通りネコでも作曲ができてしまう。なお伴奏用に「ボーカル部分だけを除いてWAV形式で保存」といったことも可能で、つまりカラオケ用BGMも作れる。

(余談)自動作曲における「著作権」の行方

ここで気になるのが、自動作曲した音楽の著作権は誰に帰属するのさって話である。Chordana Composerについて述べれば、じつは公式回答が得られている。

結論、Chordana Composerで作曲してできた音楽の著作権はユーザーにある。根拠となるソースを下記に2つほど挙げておきたい。

『だからこそ、Chordana Composerが作曲した曲の著作権はユーザーにあるわけなのです。』※開発者インタビュー

(引用:魔法のアプリ、Chordana Composerが持つ作曲テクニックを探る : 藤本健の“DTMステーション”

 『Chordana Composer を使って作られた曲の著作権は作られた方に帰属致します。お客様が作られた曲としてご利用することに問題ありません。 』

※カスタマーレビューに対するカシオ計算機株式会社の回答

(引用:Chordana Composer for Android - Google Play の Android アプリ

 もちろんだからと言って、99.9%を自動作曲ツールの力を借りて作った曲をこの音楽は俺が作曲しました!!と主張するつもりはさらさら無い。

ただ、カシオが「ユーザーの作った曲として自由に使ってもらって構いませんよ」と公式で回答していることはクリエイターには心強いのではないだろうか。

ボカロに歌わせたり、同人ゲームのBGM制作に使ったりと、Chordana Composerの使用用途が広がることを意味するのだから。(それ込みで500円のアプリと考えると、安すぎるくらいだ)

2.歌声の作成に用いるソフト(CeVIO)

今回はVOCALOIDのように歌声が作れるCeVIO Creative Studio Sというソフトを使用した。

詳しくは上の公式サイトをご確認されたし。

お値段は『CeVIO さとうささら ソング&トーク スターター』が10,800円。(※2017年2月2日現在)

ベクターで買うのがおすすめで、セールをよく開催しているのと(追加キャラのソングボイス単体など)オプション商品が一番充実している。(Vector「Cevio」商品ページ

ただ、購入検討中の方は公式サイトにある無料体験版を先に試すのが得策かもしれない。

ちなみに楽天市場やAmazonでも販売されている。

(ショップによって微妙に値段が違うので気になる人は最安値を。おそらくベクターでセール中に買うのが一番安い)

実際の作業画面は下のような感じ。

画面を見るとピアノの鍵盤に棒みたいのが並んでいて、難しそうに思えるかもしれない。

でもじつは、自動作曲アプリの「Chordana Composer」で保存したMIDIファイルをこちらにインポートしているだけで、僕は何もしていない。

※インポートするときはボーカルのトラックだけを選択して読み込む。(全トラックを読み込んで再生すると、PCのスペックによってはフリーズしてしまう……)

今回、CeVIOで必要となる作業は歌詞を入力するだけである。

歌詞入力を終え、あとは音階や音の長さで気になる部分があれば微調整をして、WAV形式でボーカルをエクスポートしたら終わり。

あまりに簡単すぎて、びっくりしてしまう。

(曲に合わせて歌詞を考えるのが、強いて言えば最も難しい作業となる)

 (余談)CeVIOは商用利用できるの?

CeVIOは原則として、商用利用不可である。

が、個人や同人サークルの範囲内であれば(YouTubeやニコニコ動画に投稿して広告収入を得るなど)多少の利益を得ることは許容されている。また、申請をすれば、CDやDVDにして同人誌即売会などで売ったりもできるようで、意外と許されている利用範囲が広い。

詳しくは

を確認しておきたい。

CeVIOは歌わせるだけでなく喋らせる(ナレーション・朗読)機能も備わっており、YouTubeやニコニコ動画を見ると「ゲーム実況」の用途で本ソフトを使っている人が多い印象。

僕ももともとは文章推敲用の朗読ソフトとしてCeVIOを購入した。けれど、長文朗読だとAHS社のVOICEROID(ボイスロイド)の方が綺麗に読み上げてくれるし動作も軽い。純粋な音声読み上げソフトをお探しの方には、ボイスロイドの方を薦めたい。

3.動画編集に用いるソフト(AviUtl)

今回、動画の制作にはフリーソフトであるAviUtlを使用した。

これはちょっと最初の設定や、使い方の習得が(初心者には)難しいソフトで、僕も初心者なのでうまく使い方を説明することができない。

設定方法やソフトの使い方を解説したサイトが多数あるので、インストールの前に読んでおこう。(説明書もなしに直感的に使うのは無理なタイプのソフトです)

「Chordana Composerで自動作曲した曲をCeVIOに歌わせてみる方法」のまとめ

手順をまとめると次の通り。

  1. Chordana Composerで自動作曲し、MIDI形式で保存。ボーカルトラックを除いたバージョンもWAV形式で別途保存しておくと、あとで伴奏用に使える。
  2. CeVIOにMIDIファイルのボーカルトラックを読み込ませ、歌詞を入力。歌声をWAV形式で出力。
  3. AviUtlで、ボーカルWAVと伴奏WAVとを合わせ、動画をつくる。

以上のたった3ステップで冒頭に挙げた「原稿のうた」みたいな動画が作れてしまう。なんとも画期的なことだと思う。

作詞スキル、ボイス調整スキル、動画制作スキル等のレベル上げを頑張れば、(たとえ作曲スキルがなくとも)ボーカロイド・CeVIOのPVを作ることができる。

夢と可能性のある時代を素直に喜ぶとともに、これらの素晴らしいツールを開発してくださった方々に深く感謝したい。

そして次こそは、もっと良い音楽を作れるよう頑張りたい。

読者の皆様におかれましては、ぜひ、僕こと「五条ダン(時巻クラブ) - YouTube」のYouTubeチャンネルをフォローして、今後の音楽活動(?)を暖かい目で見守ってくださればとても喜びます。

(了)

第一回「文学フリマ京都」に初めて出店参加した話

 一月二十二日(日)に開催された、文学フリマ京都に出店参加した。サークルとして出店するのは今回が初めてで、就活の面接並みに緊張をする。ポストカードに販促用のキャッチコピーを書こうにも、手が震えてしまってまともに線が引けない有様だった。

 幸い、隣のブースの方が気さくに話しかけてくださり、打ち解けたフレンドリーな空気に幾分か緊張感が和らいだ(当日はお声掛けくださって本当にありがとうございました)。

 文学フリマが素晴らしいのは、頒布作品の数々から「自分の好きなものを書くんだ!!」という情熱が伝わってくるところだ。この話は去年の九月に行った『文学フリマ大阪』のレポートでも書いた。

 文学フリマ京都には《妖怪変化・もののけ・常世》という京都ならではの出店ジャンルがある。僕も「不思議系ショートショート集」と「退魔師を題材とした百合小説」を持って行くため、このジャンルで出店した。

 同じジャンルのブースを見てまわっていると、民俗学・神話・妖怪・七福神・幽霊など、各々の探求分野は違えども、本当に専門的かつニッチな文学作品が並んでいて、ほとばしるパッションのようなものをひしひしと感じる。これは書店の(商業作品の)棚では決して味わえない感覚で、文フリの醍醐味と言える。

(写真は当日配布した本。B6判二段組、118ページで1冊500円。製本所は『ちょ古っ都製本工房』を利用)

 さて、弊著『創作怪異物語』は有り難いことに二十部も売れた。五部も手に取ってくれれば十分だろうと考えていただけに、これは大きな驚きだった。さらに無料配布の『Web小説バケユリ』の読書案内カードは八十枚も配布できた。二つ合わせてなんと百部も配れたのだ。

 喜びが込み上げると同時に、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちで一杯になる。

 もっと良いものを書かなければいけない。

 もっとうまく書けるようにならなければ。

「五条さんは今後はどのような方向性で書かれるのですか?」

 あるとき、ブースに来たお客さんからこのような質問を投げかけられた。彼は立ち読みをしていた『創作怪異物語』を長机に置き「こちらは純文学系のショートショート集ですよね」と確認する。そして机の右側の『バケユリ』読書カードを持ち上げて「こちらはライトノベル系の百合小説ですよね」と続けた。

 僕は返答に詰まり、頭の中で「うーむ」と悲鳴のような唸り声をあげてしまう。

 僕は文章を書くのが好きだ。だから、何でも書いてきた。Webライターを仕事としているし、趣味の小説でもミステリーからアダルト小説に至るまで、あらゆるジャンルに挑戦し(その数だけ挫折を味わって、それでも)書き続けてきた。

 ケータイ小説の投稿サイト『魔法のiらんど』で少女向け恋愛小説を連載したこともあれば、男性向けハーレム官能小説を電子出版したこともある。

 何でも書けるといえば聞こえは良いが、そのじつ、自分の書きたいことが分からず迷走しているだけなのだ。

 ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェの著作に、次のような一節がある。

「ともかく、君たちが望むことをやれ。――だが、その前にまず、望むことのできる人間になれ!」
(引用:ニーチェ『ツァラトゥストラ(下)』丘沢静也・訳/光文社古典新訳文庫 p.54)

 物書きに向けた言葉に置き換えてみようか。

 ともかく、君たちが書きたいことを書け。――だが、その前にまず、書きたいことを持てる人間になれ!

 僕が「百合……これからの時代は、百合小説が来るのではと思いまして……」としどろもどろに答えあぐねていると、お客さんはそれ以上の追及はせず「では一部ください」と微笑んで、五百円玉を手渡してくれた。

 文学フリマ京都は午後四時をもって終了となる。主催者の方が閉会の辞を述べ、参加者一同の盛大な拍手で締めくくった。手を叩く音のなか、僕の頭のなかでも声が鳴り響く。

 君は何のために小説を書く?
 君は何が書きたい?

 その後、同じく出店参加していた方とマクドナルドで創作談義し、別れてからはひとり、彷徨うオバケのように京都散策をする。神戸方面の新快速電車に乗った頃には、日がすっかり暮れていた。

 神戸に着いたのは夜の九時で、駅前のラーメン屋で夜食とする。カウンター席に座ると、店主のおじさんがやたらと『生姜ラーメン』を薦めてくる。今年の新作らしい。

 喉にじんとあたたかく沁みる生姜のスープを啜り、自分はどんな小説が書きたいのかをひとりで悶々と考えた。割り箸で麺を掻き分けてみると、チャーシューが五枚も入っているではないか。

 そうだな、小説を一冊千円で売るとなると、少なくともこのラーメンと同じくらいの幸福感をお客さんに届けなければいけないわけだ。それは途方もなく難しいことで、簡単じゃない。店主の並々ならぬ努力の日々を思うと、ラーメンの一杯がまことに恐ろしい創作物に思えてきた。

 店を出て、冷たい風に当たる。星は雲に隠れて真っ暗だった。僕はまだ、小説の書き方がわからない。次回の文学フリマに参加するときには、自分なりの答えを見つけておきたい。

(了)

もしもアフィリエイトのメリット紹介記事のピントがズレ過ぎている

ブロガーさんの書いた「ASP比較記事」をいくつか眺めていて、なにせ僕は《もしも》愛用者であるので、もしもアフィリエイトの評判はどんなもんじゃいと調べていた。ところが悲しいことに、紹介記事のピントが、ことごとくズレている。表向きに出ている情報をサクッとリライトしたようなサイトしか見つからない。

多くのサイトでは、もしもアフィリエイトのメリットを下記のように列挙する。

  1. もしも経由でAmazonと楽天のアフィが貼れる
  2. W報酬制度やキャッシュバック制度がある
  3. サイトに合ったプロモーションを機械的に見つけてくれる「自動マッチング」ツールがある
  4. 楽天のモーションウィジェットがある

たしかにどれも事実ではあるが、コアユーザーから言わせてもらうと《もしも》のメリットはそこじゃない! そこじゃなさすぎる!!

あまりこういったポジショントーク的な記事は書きたくないのだけれど、《もしも》のASPとしての真のメリットを誰も書かないのは悔しいので、ここで紹介しておきたい。

1.もしもは振込手数料がかからない

報酬の振込手数料はもしも側が負担してくれる。もしもアフィリエイトは振込手数料がかからない。これが最も重要なことである。

W報酬などは正直どうでもよく、どうしてこの「振込手数料ゼロ!」をASP比較記事の多くが第一に記載しないのか理解に苦しむ。これは本当に大きなメリットなのに。

最大手ASPのA8.netでは、(三井住友銀行以外では)振込手数料が540円もかかる。そして報酬金額が3万円以上の場合には、なんと756円もの振込手数料が差し引かれる。

つまりA8.netにおいて、報酬金額が月に5,000円程度しかない場合、実質的に報酬の10%近くが手数料で引かれてしまう。A8.netでは「1,000円支払方式」も選べるけれども、こんなん手数料が勿体なくて使いようがない。

繰り返すが、もしもなら振込手数料がゼロなのだ。これを真っ先にメリットとして挙げないのでは、書き手が本当にもしもユーザーなのかどうかを疑ってしまう。

(余談)W報酬がいまひとつな理由

他サイトが盛んにメリットとして宣伝している「W報酬制度」は、成果報酬(Amazonは除外)に対して10%のボーナス報酬が翌々月末に振り込まれるというもの。

これ自体はユーザーに嬉しい制度だが、正直に言ってメリットとして実感しない。

というのは、W報酬として具体的にいくら支払われたかが管理画面やレポートで確認できないからだ。

「なんかボーナスが出たらしいけど、それがいくらかはちょっと分からないんだよねー」では、せっかくの素晴らしい制度にもありがたみが感じられない。もしもは本当に勿体無いことをしていると思う。

さっそく公式運営に改善要望を出しておいた。

2.住信SBIネット銀行なら報酬額1円から振り込まれる

もしもは基本的には成果金額1,000円以上から振り込まれるが、住信SBIネット銀行を報酬受取口座に指定した場合に、なんと1円から振り込まれる

もしもが初心者に優しいASPだと言われるゆえんはこれで、つまり露骨な言い方をすれば「稼げないアフィリエイターほど、もしもの優しさが心に沁みる」。

僕も去年にもしもから毎月いただいた報酬は、34円とか56円とか、うまい棒しか買えねーじゃねーか!!とツッコミたくなるほどに悲しいものだったけれど、それでも毎月ちゃんと銀行口座に振り込まれるというのは、嬉しかったしモチベーションも大層上がった。

もしもアフィリエイトは、稼げないアフィリエイターに優しい。

そしてもしこの段階で「もしもアフィリエイト」に登録してみたくなった方は、ぜひ下のリンクから。

しかしメリット解説はもう少し続きます。

3.アマゾン・楽天のアフィリンクの画像サイズの幅が広い

じつは……というほどでもないよく知られた話、アマゾンと楽天のアフィリエイトはA8.net経由でもできる。この2つが使えるのは、もしもの特権ではないわけだ。

しかしながら、A8.netと比べると、もしもの方がアマゾン&楽天のプロモーションは使いやすい。

例えばA8.netでアマゾンの画像を貼り付けるときに、画像サイズは80×80~160×160(px)までのサイズしか選べない。楽天であれば64×64~128×128とさらに幅が狭まる。

これがもしもアフィリエイトであれば、(アマゾン・楽天の両方とも)画像サイズは75×75~500×500(px)まで選ぶことができる。

つまり、アマゾンや楽天の大きな商品画像を貼り付けたいのであれば、ASP経由ではもしもアフィリエイト一択となる。

さらに、もしもアフィリエイトには「かんたんリンク」というツールがあり、アマゾンと楽天のアフィリンクを同時に生成することができる。検索結果一覧と商品個別でタブを切り替えられたりと、A8よりも圧倒的に管理画面が見やすい。

ただ、A8の方がバナーの種類は豊富であるので、このあたりは使い分けたい。

ブロガーに大人気のアフィリンクツール「カエレバ」や「ヨメレバ」も、もしものコードに対応している。

ちなみに、アマゾンで売れた商品は、もしもレポート画面からCSVをダウンロードして確認ができる。(A8はできない)

また、セブンネットショッピングのアフィリエイトも、もしも経由ですることができる。とにかくここで言いたいのは、もしも使いやすい。

4.成果発生と成果承認のたびにメールで教えてくれる(通知ON・OFF可能)

もしもアフィリエイトでは、成果発生と成果承認をメールで教えてくれる。

具体的に

  • どのプロモーションから成果が発生したか
  • 発生した成果報酬額はいくらか
  • どのサイトから売れたか
  • 発生日、承認日はいつか

の4つがメール本文には記載される。

A8.netでは管理画面にハチが飛び回るのがモチベーションのひとつとなるが、もしもアフィリエイトではメールが届くとやったー!と思える。

もちろん、このメール通知はプロモーションごとにONとOFFを切り替えられる。

 (補足)告知メールも配信をON・OFFできる

A8.netからは「広告主からのメッセージメール」が迷惑メール並に毎日大量に届くので(しかも配信解除オプションがなく)困っているアフィリエイターは多いと思う。

しかし、もしもアフィリエイトではプロモーションごとに告知メールのON・OFFを切り替えられる

まとめ

なんだかA8.netに対する愚痴ばかりなってしまって、A8の担当者には申し訳ない。でもユーザーの立場から正直に言わせてもらうとA8.netのデメリットがそのまま裏返しで、もしもアフィリエイトのメリットになっている

つまり、A8.netのデメリットとは

  1. 報酬の振込手数料が高い
  2. アマゾンと楽天のプロモーションが使いづらい
  3. アマゾンと楽天で何が売れたかを確認できない
  4. 広告主からの告知メールが大量に届き、配信停止ができない

対して、もしもアフィリエイトのメリットは

  1. 報酬の振込手数料はかからない
  2. アマゾンと楽天のプロモーションが使いやすい
  3. アマゾンと楽天で何が売れたかを確認できる(csvとしてダウンロード可。楽天は商品名ではなくショップ名が分かる)
  4. 広告主からの告知メールはONとOFFの切り替えができる

以上、もしもアフィリエイトを長年使っているユーザーとしての所感を述べた。

ポジショントークであることを認めたうえで、それでも心の底から「もしもアフィリエイト」をASPのなかでは高く評価していることを強調しておきたい。

あとA8.netの悪いところをたくさん述べたけれども、プロモーションの案件数では圧倒的にA8.netの方が勝っており、アフィリエイターとしてばりばり稼ぐのならA8は外せない、というのは最後に補足しておきたい。

 

(終わり)

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音声認識ソフト『AmiVoice SP2』を半年間使ってみた所感(辛口レビュー)

AmiVoice SP2にはアフィリエイト・プログラムがあるため、どうにもレビュー記事には『お金を稼ぎたい人のポジショントーク』が多い。レビュー記事は、良いところは良い、悪いところは悪いとはっきり書かなければ意味がない。

今回はAmiVoice SP2(音声認識ソフト)を半年間使ってみた所感を書いていきたい。検索経由で当記事にお越しになった方はご存知のとおり、AmiVoice SP2は『声で文章を書くためのソフト』です。

アマゾンで★1の低評価レビューが多いのは何故か?

僕が実際に購入したのは AmiVoice SP2のダウンロード版(Amazon)で、使用感には概ね満足している。しかしアマゾンのカスタマーレビューを見たらびっくり。

★1の低評価がたくさんついているではないか。(パッケージ版の方には44件のカスタマーレビューがあり、うち10人が★1をつけている)

低評価は「音声認識精度が悪い」が主たる理由のよう。

でもちょっと待ってほしい。これについては、購入者側の大きな誤解が潜んでいる。(なお、僕個人はAmazonにレビューをつけるならば★4くらいが妥当と感じる)

「AmiVoice SP2を使えば、MP3の音声データ―を自動で文字起こししてくれる」という誤解

たしかに、AmiVoice SP2に付属してくるソフト「書き起こしエディター」には、MP3を音声認識して自動で書き起こしてくれる機能が備わっている。これを使えば、会議の議事録や講義ノートが全自動で作成できるのでは…!!と、期待していた方も多かったと思う。

しかし、この自動書き起こし機能については、まったく期待してはいけない!

論より証拠、百聞は一見にしかず。手持ちの講義音声データ(MP3)を本ツールで自動書き起こししてみた結果をお見せしたい。

(画像クリックで拡大 ※PC閲覧時)

はい、間の主張シネマのマッコ店舗開発方法です守り通した心のオアシス何でも仕事中で教育する所かっていうぐらいなんですけど明日ね+

といったような日本語のような日本語でない、意味不明な文字列が延々と続く。一昔前のワードサラダ・スパムのようで懐かしい。まったく、読めたものではない。

元音声は、憲法学の講義だ。しかし到底、そうとは思えない。まったく別の会話に認識されてしまっている。

『会議の議事録』や『講義ノート』を自動で作成する用途には、AmiVoice SP2はまったくもって向かない。向かない、というよりも不可能である。

MP3の自動書き起こしは無理!ということは最初に強調しておきたい。★1レビューをつけている人の多くは、できるものだと誤解をしてソフトを買ってしまっている。

誤解を解いておこう。

AmiVoiceについてくる「書起こしエディター」は、テープ起こしを自動でやってくれるツールではない。(本来的な使い方としては)テープ起こしの補助をしてくれるツールなのだ。

これについては後で詳しく。

「音声認識の精度は、マイクの性能ではなくソフトの性能によって決まる」という誤解

これも間違い。ソフト以上に、マイクの性能が音声認識の精度にはめちゃくちゃ影響してくる。アマゾンで★1をつけて「認識精度わるい!使いものにならん!」と怒っている人は、もしかしたら安物のヘッドセットマイクを使っているのではなかろうか。

公式オンラインストアには『PHILIPS SpeechMike Air』という\お値段なんと10万円ッ!/近くする超高性能マイクが販売されている。さすがに、これを買えとまでは言わない。

だがせめて、数千円程度のそこそこ良質なマイクは用意しておきたい。

マイクの種類によって、実際にどのくらい音声認識の精度は変わるのだろうか。AmiVoice SP2で実験してみた。

今回朗読に使用した文章は、夏目漱石の『こころ』冒頭。明らかな誤認識箇所に赤字をつけている。

【千円弱の格安ヘッドセットマイクの場合】

私はそのひとつ練り先生と呼んでいた。だからここで甘さが先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起こすごとに、M先生と痛くなる。筆を執っても心持ちは同じことである。よそよそしい頭文字などとても使う気にならない。

(夏目漱石『こころ』 ※AmiVoice SP2での音声入力例)

150文字の文章だが、誤認識が5ヶ所も出てくる。AmiVoice SP2は、誤認識箇所の修正が柔軟にできない。赤字箇所はキーボード入力で修正してやる必要がある。

ではマイクを変えて同じ文章を読み上げてみると、どうであろうか。

【SONY ECM-PCV80U(4千円で買ったマイク)の場合】

私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起こすごとに、すぐ「先生」と痛くなる。筆を執っても心持ちは同じことである。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

(同上)

誤認識は1ヶ所のみ。「言いたくなる」がどうしても「痛くなる」と認識されるが、それを除けば完璧だ。ちなみに読点や句点も「てん」「まる」と発声することで入力できる。※句読点を自動入力する設定にもできる

マイクの種類ひとつで、認識精度が変わってくる。マイク選びは重要だ。

ちなみに僕が使っているのはSONY エレクトレットコンデンサーマイクロホン ECM-PCV80U [Amazon]というやつ。カラオケで歌うときに使うような、手持ち型のゴツいマイクだ。(昔ケーズデンキで買ったときは4千円くらいしたのだけれど、アマゾンでは現時点で2,960円で販売されている)

カラオケ気分で執筆できるので、私的には気に入っている。

もちろん、ヘッドセットマイクを使用しても構わない。定価4千円以上のものであれば、SONY製でもELECOM製でもそうそうハズレは引かないと思う。(USB接続タイプのマイクを推奨)

とにかくAmiVoice SP2を使うのであれば、マイクには気をつけたいところ。

有料の音声入力ソフト全般に言える「短所」について

まず、購入検討者が気にしていると思われる短所。

「AmiVoice SP2の発売日が2012年と、だいぶ古いソフトであること」については心配いらない。

というのは、AmiVoice SP2は定期的にアップデートを実施しており、販売当初より認識精度も改善されている。

音声認識ソフト AmiVoice SP2(最新アップデート情報)を見たら分かるとおり、直近のアップデートは2017/02/27(Ver 2.13)と新しい。公式がサポートを続けてくれているのは心強い。

AmiVoice SP2を購入したら、最新版にアップデートしたうえで「標準(大)- 汎用音響モデル」をマスター辞書にセットすることをおすすめしたい(詳しくは取扱説明書を)。「標準(大)- 汎用音響モデル」では音声認識が改善されている。

以下では、有料の音声入力ソフト全般に言える短所について述べていきたい。

そもそもGoogle音声入力が無料で使えるのに、有料のソフトを買う必要があるのか?

せやな。僕も無条件には、AmiVoice SP2をおすすめできない。iPhoneにはSiriの音声入力がついている。AndroidにはGoogle音声入力がある。有料ソフトいらんやんって話。

Google音声入力は無料で使うことができ、なおかつ認識精度もAmiVoice SP2と大差ない。実用レベルに達している。

Google音声入力には「読点と句点の制御ができない」「余計な半角スペースが挿入される」といった弱点はある。それも音声入力支援の無料アプリや、半角スペース除去ツールを使えば解消はできる。

無料の音声入力の実力はいかほどだろう? 手持ちのスマートフォン(Google音声入力)で試してみた。読み上げた文章は先程と同じく、夏目漱石『こころ』の冒頭。

【Google音声入力 by Androidスマホの場合】

私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりもその方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起こすごとにすぐ先生と言いたくなる。筆をとっても心も家は同じことである。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。

(読点と句点は補助アプリの『音声入力Voice』を使って入力)

 「心持ち」を「心も家」と誤認識したくらいで、他はAmiVoice SP2と肩を並べる認識精度である。

これほどに優秀な音声入力が無料で使えるとあっては、AmiVoiceやドラゴンスピーチなど有料音声認識ソフトを販売する会社にとって、脅威だと思う。

Google音声入力は、Chromeブラウザを入れている人であれば、Googleドキュメントで使用することができる。つまり、PCでも使える。

長文原稿をがっつり入力するならば、まだAmiVoice SP2の方が利点は多い。(句読点を自由に制御でき、音声入力のオンとオフもショートカットキーで自在に切り替えられるため)

しかしちょっとしたブログ記事を更新する程度で良ければ、スマホの音声入力で十分じゃないかと感じてしまう。

音声入力を使っても執筆速度が速くなるとは限らない

音声入力のメリットを謳うサイトの多くが「音声入力で執筆速度が上がりますよ!!」と宣伝している。

僕は、この主張には疑問を感じている。執筆速度は、入力スピードではなく《思考スピード》に依存するからだ。物理的にどれだけ速く書けても、思考が追いつかなければ意味がない。

という話は、以前にこの記事(音声入力で原稿を書くメリットとデメリット)でも書いたとおり。

「Google日本度入力」や「ATOK」の予測変換機能をフル活用すれば、キーボードでも相当な入力スピードを叩き出せる。ブラインドタッチのできる人が、執筆速度向上のために音声入力を使う理由は、見いだせない。

音声入力で「小説」を書くのは難しい

小説の口述筆記に音声認識ソフトを使いたい人もいるだろう。残念ながら、小説の執筆は音声入力にはあまり向かない(文体によるけれど)。

先程の夏目漱石『こころ』の冒頭文章は、比較的平易な言葉で書かれていた。AmiVoice SP2でもGoogle音声入力でも、ほぼ100%に近い精度で入力できた。

ところが、文体が難しくなると、音声認識の精度は下がる。

江戸川乱歩の『人間椅子』の冒頭文章で試してみよう。

【江戸川乱歩『人間椅子』をAmiVoice SP2で音声入力した例】

良子は、毎朝、夫の盗聴見送ってしまうと、はいつも10時をすぎるのだが、やっと自分の体なって、洋館の方の、夫との共用の書斎へ、閉じこもるのが例になっていた。

佳子が良子になってしまうのは仕方がないとして(このあたりは単語登録で解消できる)、「登庁」が「盗聴」、「それ」が「弦」、「体になって」が「体いなって」と誤入力された。

【Google音声入力を使った例】

よしこは毎朝夫の盗聴を見送ってしまうと、それはいつも10時を過ぎるのだがやっと自分の体になって、羊羹の方の夫と教養の詳細へ閉じこもるのが0になっていた。

一方のGoogle音声入力でも、江戸川乱歩の文体は不得手みたいだ。

体感として、音声認識ソフトは「小説を書くこと」を苦手とする。

濁音に弱い

AmiVoiceのもうひとつの欠点としては「濁音に弱い」というのがある。例えば「ドッグフード」と入力したいのに、何度やっても「ドックフード」になってしまう。

この場合は、「(読み)ドックフード→(登録語句)ドッグフード」として、AmiVoiceの方に単語登録しておけば解消される。

Google音声入力に対してAmiVoice側に利点があるとすれば、《単語登録》や《音響学習》機能を使うことによって、入力精度を向上させられることだろう。

AmiVoice SP2の良いところ

ここまでさんざん愚痴をこぼしてしまったが、僕としてはAmiVoice SP2のカスタマーレビューは★4くらいが妥当ではないかと感じている。

ライターが使う入力支援ツールとして、AmiVoice SP2は十分に実用に耐えうる。

以下ではメリットを挙げていく。

腱鞘炎の発症リスクを下げる

ライターの職業病ともいえるのが腱鞘炎だ。1日に1万文字も2万文字も原稿を書いていれば、当然ながら腕や指を痛めやすい。

僕はこんなレビュー記事を書いといてなんだけれども、執筆では「キーボード入力」をメインで使っている。音声入力の利用頻度は、執筆業務全体のなかで20%ほど。

それでもキーボードでの執筆の合間に音声入力を挟むことで、だいぶ楽に記事作成ができる。今書いているこの原稿も、(現時点で既に5,000文字を超えているのだが)キーボード入力と音声入力のハイブリッド方式で執筆している。

「音声入力は楽」というのはその通りで、1日に1万文字以上の文章を打ち込む必要のある人は、音声入力を導入するメリットは大きいと思う。※執筆速度が上がるわけではないので念のため

AmiVoice SP2には「テープ起こし支援ソフト」が付属している

AmiVoiceには「書起こしエディター」というテープ起こしを支援するソフトが付属している。冒頭に挙げた、MP3を自動書き起こしする機能については使い物にならない。が、それ以外の機能については便利。

テープ起こしの仕事をする人には、極めて役立つことと思う。

テープ起こしの仕事をしている人は、「Okoshiyasu2」などのフリーソフトを使っているかもしれない。この「書起こしエディター」はOkoshiyasu2のゴージャス版みたいな感じのソフトで、文字起こし業務を楽にしてくれる。

再生速度や再生音量の変更はもちろんのこと、ショートカットキーで「再生」「停止」「音声時間情報の挿入」「話者入力」「巻き戻し」等の操作ができる。

本ツールを使えば「聴く→復唱」の手順を繰り返すだけで、楽に文字が入力できる。

テープ起こし業務と音声入力の相性は、とても良い。

あくまで人力での文字起こしを補助するツールと理解されていたならば、アマゾンで★1評価が並ぶことはなかっただろう。

おわりに

ちょっと書き過ぎてしまったかもしれない。

AmiVoice SP2のメリットとデメリットについて、もう一度まとめておきたい。

【メリット】

  • 認識精度は実用に耐え得る
  • テープ起こし支援ソフトが付属している
  • 《音響学習》と《単語登録》で精度を上げられる
  • なんだかんだいって「楽」

【デメリット】

  • 無料で使える高精度の音声入力ソフトの存在(Google音声入力)
  • MP3から自動で書き起こせるわけではない(機能そのものはあるが、実用に耐えない)
  • 濁音の認識が苦手(ドッグフード→ドックフード)
  • 小説の執筆は不得手
  • 安物のマイクは使えない

こんなところだろうか。

ライティングや文字起こしなど、業務でばりばり使う人であれば、すぐに元は取れると思う。コストを気にするのなら、ぶっちゃけ無料で使えるGoogle音声入力で良い(認識精度はそこまで変わらない)。

以上、購入を検討する人のお役に立てたら嬉しく思う。

 

(終わり)

執筆スランプを抜け出すには30分あれば良いという話

文筆業を営む者にとってオバケよりも恐ろしいのが「執筆スランプ」だ。僕は専業Webライターとなって3年になるけれど、スランプオバケにはたびたび悩まされている。

文章を書くのが好きでライターやってるんでしょ?とよく言われる。でもぶっちゃけてしまえば、文章を書くのは基本的には苦しいし、面倒だし、やる気が出ないときもある。(いや、日常茶飯事だ)

それでも、筆一本に生活が懸かっている。

やる気がなくても、本気を出せなくても、あるいはうまく書けなくてベッドの上をのたうち回ることになっても、僕は原稿を書き上げなくてはならない。

すなわち執筆スランプを抜け出すための「実用的なノウハウ」が必要なのだ。

先延ばしをするのは好きでないので、結論を最初に書いてしまおう。僕は執筆スランプを回避するため、あるいは抜け出すために、下記のルールに従って執筆している。

  1. 執筆時にはストップウォッチを用意する。「STARTボタンを押したら書き始める」と条件付けしておく。
  2. ストップウォッチでは「カウントダウンモード」を使い、30分後にアラームが鳴るように設定する。
  3. 調子が悪いときは30分で500文字、調子が良いときは30分で1,000文字を達成するように原稿を書き進める。とにかく、30分だけで良いので集中して取り掛かる。
  4. 30分後にアラームが鳴り、筆が乗っていたらそのまま書き進める。疲れていたら休憩に入り、ストレッチをしたり少し散歩をしたりする。10分~20分くらいの休憩が終わったら、またストップウォッチのボタンを押し、30分間集中して文章を書く。

「ストップウォッチ」は執筆の良き友である

『パブロフの犬』はご存知だろうか。犬に餌を与える前に、ベルの音を鳴らす。習慣を続けていると、やがて犬はベルの音を聞くだけでよだれを垂らすようになる。ロシアの生理学者イワン・パブロフによる『古典的条件づけ』である。

我々人間も『◯◯の合図で△△する』という条件付けをしておくと、物事に取り掛かりやすくなる。学校のチャイムが鳴ったら、授業が始まるのと同じように。

在宅ライターはとくにそうなのだけれど《プライベートモード》と《仕事モード》の切り替えがやりづらい。ついつい執筆中にツイッターのタイムラインをぼーっと眺めたり、ニコニコ動画でアニメを見始めたり、はてなブックマークでブコメ巡りに時間を潰したりと、脱線しがちだ。

1日が終わる頃には原稿がまったく進んでおらず(ああ、僕はなんて意志が弱い人間なんだ!!)と後悔を抱えてベッドに潜り込むハメになる。

それを回避するためのアイテムが……。

ストップウォッチ!!

そう、ストップウォッチは執筆の良き友である。

僕が使っているのはセイコー(SEIKO) ALBA PICCO MULTITIMER ブラック ADME001という3,000円ほどのストップウォッチなのだけれど、重要なのはカウントダウン機能があること。時間をカウントダウンし、アラームを鳴らしてくれる機械であったら何でも代用できる。

キッチンタイマー、目覚まし時計、スマホのカウントダウンアラームでもOK。(ただしスマホを使う場合は、執筆に集中するためツイッターやメールの通知を切っておいた方が良い)

で、冒頭のパブロフの犬とどう繋がるのかと言うと「ストップウォッチのボタンを押したら執筆を開始する」という条件付けがやりたいのだ。

速筆で有名な西尾維新さんも執筆中にストップウォッチを使っている、と言えば、少しは信憑性が増すだろうか。(※ソース:西尾維新さん - あのひとの「ほぼ日手帳」 - ほぼ日手帳2014

とにかく、ストップウォッチのボタンを押したら原稿を書き始める、と決めておこう。

執筆スランプなんて怖くない。「書かなきゃ!」と意気込む必要はまったくない。

ストップウォッチのボタンを押しさえすれば、頭が《執筆モード》へと切り替わるのだから。そのような習慣を身につけておくと、後々楽である。

30分の時間的制約を設けて執筆に集中する

冒頭にも書いたように、ストップウォッチはボタンを押したら「30分のカウントダウン」をし、残り時間ゼロでアラームが鳴るように設定する。もちろん30分でなくても良いのだけれど、集中力は時間的制約のなかで発揮しやすい

ストップウォッチは、集中して原稿に取り掛かるための手助けをしてくれる。

ところで一般的なWebライティングでは、重めの案件だと「1記事6,000文字」くらいの記事ボリュームとなる。執筆には(僕の平均だと)8時間はかかり、なかなかにしんどい。

好きなことを書くならいざ知らず、クライアントの要求に応えた6,000文字を書くのは大層骨が折れる。こうした「大変さ」が執筆スランプを引き起こす。

長編小説を書くのは、さらに挫折しやすい。「あと10万文字も書かなきゃいけないなんて……」と思うと足が竦み、書き進める勇気が削がれてしまう。

だけど思い出してほしい。6,000文字の記事だって、10万文字の長編小説だって、100文字程度の文章の積み重ねに過ぎない。「困難は分割せよ」とデカルトは言った。執筆も同じだ。

「とりあえず30分だけ、500文字だけで良いから書いてみよう」と書き始めてみることは極めて重要である。

たった30分、たった500文字だけでいい。一旦書き始めてしまえば、筆が乗ってくる。書き始めなければ、いつまで悩んでも書けるようにはならない。

「書けない悩み」の大半は「書き始められない悩み」と言い換えられる。とにかく、30分書き続けたなら、頭が執筆モードに切り替わる。

僕の場合は、調子が乗らないときは「30分で500文字だけで良いから書こう」と決めている。500文字でハードルが高ければ、200文字でも構わない。調子が出ているときであれば30分1,000文字も行けるが、とにもかくにも1文字でも2文字でもまずは書き始めることだ。

30分単位で時間を区切って、集中して執筆に取り掛かる。1時間だとハードルが上がるし、10分だと原稿を書くには短すぎる。私的には30分が《執筆モード》に入るのに程よい時間と感じる。

僕は例えば「今日は30分枠×12本で仕事を終わらせよう」と1日の初めにスケジュールを立てている。

「30分だけ」と考えることで物事に取り組むときの面倒臭さが軽減されるし、集中して取り掛かることができる。

これは「ポモドーロ・テクニック」と呼ばれる時間管理術をアレンジしたやり方なのだけれど、仕事になかなか集中できない在宅ライターにはおすすめの方法だ。

詳しくは

の記事にも書いたので、宜しければぜひ。

話が大分バラけてしまったのでもう一度まとめよう。執筆スランプを抜け出すために僕が実践している手法は次のとおり。

  1. ストップウォッチを用意する。ストップウォッチのSTARTボタンを押したら執筆を開始する、という習慣をつける。
  2. 30分のカウントダウンでアラームが鳴るように設定する。「とりあえず30分で原稿を500文字進めよう」と達成できる目標を決める。
  3. やる気が出なくても大丈夫。ストップウォッチのボタンを押したら、とにかく目の前の原稿を1文字でも2文字でも書き進めていくことに集中する。
  4. 30分後にアラームが鳴り、筆が乗っていたらそのまま書き進めても良し。疲れていたら休憩に入ろう。ストレッチをしたり少し散歩をしたりする。10分~20分くらいの休憩が終わったら、またストップウォッチのボタンを押し、30分間集中して文章を書く。

メリハリをつけて「集中」と「休憩」を繰り返すこと。それが、執筆を無理なく持続させる一番のポイントかもしれない。

(終わり)

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「好きなことで生きていく」を巡る、強さと正しさと主にアニメの話

「好きだから、楽しいから」で行動をする強者たち

『灼熱の卓球娘』の第1話を見た。2016年の秋から始まった新アニメだ。可愛い女の子たちが部活で卓球をするお話なのだが、萌えだけでなく(スポ根的な)燃えもあって、面白かった。

1話は《上矢あがり》というツンデレっぽい女の子の視点で話が進む。彼女は卓球部のエースで、校内ランク1位の実力を誇る。人前では謙虚に振る舞うのだけれど、内心では「他者からチヤホヤされること」が大好き。自分が称賛を浴びるイメージを頭に浮かべては、ひとりでニヤニヤと微笑んでしまう。そんな人間味あふれるヒロインだ。

上矢あがりは、誰にもエースの座は渡すまいと、毎朝ひとりで早くに部室に来ては卓球の練習に打ち込む。真面目で努力家で、後輩にも慕われている。彼女の地位は不動のものと思われた。

そこに突如として現れたのが、天才的に卓球がうまい転校生である。転校生は、他者からの称賛とか関係なしに「自分が楽しいから卓球をやる」という最強のメンタルの持ち主だった。あがりと転校生は、エースの座をかけて決戦をすることになる。

作品紹介はこのくらいにして、スポーツにせよボードゲームにせよ「好きだからやるんだ!」の行動原理を持つキャラは、圧倒的強者として描かれる

称賛のため、金のため、エゴや承認欲求のために行動する者は、好きで行動する者の前に打ち破れる。傾向として、フィクションの世界では《楽しさ》が行動原理の《解》として提示されるケースが多い。

麻雀漫画の『咲』でも、主人公は「麻雀って楽しいよね!(ニコッ」と微笑みながら相手を次々とゴッ倒していく。『テニスの王子様』や『ヒカルの碁』もそうなのだが「楽しい」はとにかく主人公にとって、最重要キーワードとなっている。

好きなことで、生きていく」はユーチューバーのキャッチコピーだったか。響きの良い言葉で、実際にこの格言によって人生を動かした人は少なくないだろう。

たしかに、好きをエネルギーに変えられる人は強いのだ。

他者の評価に揺れ動かされない人たち

ところで僕は『グラスリップ』というアニメの熱狂的なファンである。グラスリップを超える神アニメはないと、胸を張って言える。

しかし悲しいことに、グラスリップは世間での評判がすこぶる悪い。悪いどころではなく「史上最悪のクソアニメ」とまで言われ、ネタとして馬鹿にされるくらいなのだが、とにかく不遇の作品である。


グラスリップ 1 [Blu-ray]/Amazon

(Amazonのレビューでも星1が一番多い……)

まったくグラスリップの良さも分からんとは同じアニヲタとして嘆かわしい。と毒づきたくはなるものの、ここで述べたいのは「周りがどんな評価を下そうとも、自分の好きな気持ちは変わらない」という当たり前の事実だ。

好きを行動原理にできる人は、強い。他者から評価されなくても、馬鹿にされても、彼らの心は折れない。エネルギーが自分の内側から湧いてくるからだ。

好きでありながらも自惚れないこと

さておき、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」は、物書きの創作理論書としても使えるのではないかと考えている。ツァラトゥストラが示すのは、孤独な創作者の道である。

《好き》を行動原理とする者は、自惚れたり自己満足に陥ったりで成長できないのが弱点となるのかもしれない。

ツァラトゥストラは、創造する者に道を指し示す。「自分自身に《大きな愛》と《大きな軽蔑》を向けよ」と。

愛する者は、軽蔑しているから、創造しようとするのだ! 自分の愛しているものを軽蔑しなくてすむような人間に、愛の何がわかるのだろう!

兄弟よ、君の愛といっしょに、そして君の創造といっしょに、孤独になるのだ。

(引用:ニーチェ『ツァラトゥストラ(上)』 光文社古典新訳文庫/丘沢静也訳 p.130 創造する者の道について)

「好きなことで、生きていく」は、孤独な道でもある。

小説を書いたとき、生み出した作品は、まず自分自身で愛してやる必要がある。だが、愛だけでは自分を超えられない。愛ゆえの大きな軽蔑を向けて、自惚れることなく前に進んでいかなければならない。

なんとも、険しい道だ。

「好き」「楽しい」は絶対的な正しさではない

僕としては、楽しいならばそれに越したことはないけれど、楽しさに固執する必要もないかなと考えている。冒頭のアニメ『灼熱の卓球娘』でも、チヤホヤされたーい♪というヒロインの欲求にたいそう共感してしまった。彼女にはぜひ幸せになってほしいものだと感ずる。

小説でも漫画でも「作者が何を思って創作したか」は読者にとって重要ではない。作者と作品は、切り離される。好きで書かれた小説も、金のために書かれた小説も、承認欲求のために書かれた小説も、まったく等しい価値を持つ。

おおよそこのような雑感を『灼熱の卓球娘』第1話を観たときに抱いたもので、ここに感想メモとして残しておきたい。

深夜アニメは面白い。

(了)

「主観的な文章はダメ!」というWebライターの縛りと逆張り戦略

Webサイトやブログを運営していて「PVを伸ばしたい」と考えるのであれば、おそらくこれから話す情報は知っておいても損はないと思う。

結論から述べると、Webライターは「主観的な文章」や「自分の体験談」を書くことができない(・・・・・・・・・)。もちろん、すべてのWebライターに当てはまる話ではないのだが、この《縛り》に拘束されているライターはかなり多い。

クラウドソーシングにおける「主観禁止」の原則

一般社団法人日本クラウドソーシング検定協会の発行する「WEBライティング技能検定講座 実践編」のテキストには『客観的でない文章の削除』を推敲時にせよと書かれている。(p.80)

同じく高単価Webライティングのお仕事サイト「サグーワークス プラチナライター」においても、基本的に『主観的な文章や体験談はNG』とされる。

サグーワークスの上記記事では、2つの例文を対比して客観的に第三者目線で書くことの重要性を紹介している。

①「このお店のケーキは北海道産の牛乳と、近くの農場で取れた新鮮な卵を使っていて、大変人気が高いケーキです」

引用:“主観的”ってどういうこと?承認される記事のコツ! | こぶたの鉛筆

②「このお店のケーキはクリームがとても甘くって、使っている卵もスーパーとは違う農場の卵を使っているから美味しいんです!」

引用:同上

  ①の文章は「客観的」だから採用されるが、②の文章は「主観的」だから失格だと書かれている。

主観的な②よりも客観的な①のほうが読者にとって分かりやすいでしょ? だから「私が感じたこと」を書いたらいけませんよといった主旨の記事だが、うーむ……あくまで《読者目線》としては首を傾げざるを得ない。

例えば検索ユーザーがケーキ屋さんの情報を調べているとして、読みたいのは「大変人気が高いケーキです」なんて他人事の文章ではない。「クリームがとっても甘くって美味しい!」という体験談の方が知りたいはずだ。

客観的情報が知りたければ、公式サイトを見れば良い話。①の文章は(辛辣に言わせてもらうならば)ケーキ屋さん公式サイトの情報を焼き直しただけで、新しい価値を生み出せていない。

WEBライティング技能検定講座でも「事実と感想が入り混じった文章は好ましくない。客観的でない文章は削除せよ」と指南されている。僕は(うーん…本当かなぁ……)と思ってしまう。

上記に挙げた①と②の文章なんかは「事実と感想を混ぜる」ことで良くなるのではないか。

(修正案)このお店のケーキはクリームがとっても甘くて美味しいんです。生地には北海道産の牛乳と、近くの農場で取れた新鮮な卵が使われているんだそうです。

このように主観と客観を混ぜても、文章はおかしくならない。

とにかく、Webライターには「主観的な文章は書けない」という縛りが、ある程度は存在する。

「主観を排したい」はクライアント目線なら分かる話

さて、上で書いたのは《読者目線》の話だった。これが《クライアント目線》であれば、主観的な文章を排したい気持ちはよく理解できる。

クラウドソーシングで納品されてきた記事が、体験談や主観記事ばかりだと大変困る。Webメディアとしての整合性や一貫性が取れなくなるし、企業のオウンドメディアで「このケーキ屋さん美味しかった!」と書いてしまえばステマかと疑われてしまう。

ライターの顔が見えない記事の方が、使い勝手は良いのだ。

断り書きをしておくと、「客観的な文章」も「主観的な文章」もケース・バイ・ケースで使い分けられるべきであり、両者は等価値である。優劣もない。当記事は、Webライティングの世界で「客観(第三者目線)」が重視されるのであれば、その逆張りができるのではないかと提案するものである。

ところで、僕もWebメディアをいくつか運営していて、外注化できないものかとランサーズで発注をかけてみた。

そのときは主観的な文章の方を求めていて「ご自身の経験と体験に基づく、料理についての記事を書いてください」という内容でプロジェクトを進めた。しかし、上がってきた記事は(恐ろしいほどに)主観が取り除かれた記事であった。

『トマトにはリコピンが含まれています。リコピンには抗酸化作用があり血糖値を下げる働きがあります。トマトを使った料理は美肌にも良いとされます』

といった情報の羅列。たしかに客観的ではあるものの、どこか無機質で《語り手が今ここに生きている》という実感が得られない。ライターが自分の心を押し殺していると感じさせる記事で、悲しいような申し訳ないような気持ちになった。

サグープラチナライターの2倍くらいの単価で(大盤振る舞いして)発注をかけたのだが、寄せられてきた記事がそのようなものばかりでさすがに参ってしまった。もちろん依頼の仕方が下手だったことは、こちらに責任がある。

今回のミスマッチは「主観的な文章はダメ」という暗黙の認識によるところが大きい。Webライターはなかなか自由には文章が書けない。それは僕自身がそうであるので、痛いほどよく分かる。

「クライアントが求める記事」と「読者が求める記事」の乖離

ここまで述べてきたように「クライアントが求める記事」と「読者(検索ユーザー)が求める記事」との間には少なからず乖離が見られる。そしてWebライターは「主観的に書けない」という制約に縛られている。

それに、クラウドソーシングで発注されるライティング案件は「1文字単価◯円」という取り決めはあるけれど、記事を書くのに必要な「取材費」が貰えるケースはほとんどない。

ゆえにクラウドソーシングライターは、基本的には他のWebサイトから情報を引っ張ってくるしかなく、(赤字になるため)満足な取材ができないといった縛りもある。

逆説的に、こうした現状は(自分で自由に記事を書くことのできる)アフィリエイターやブロガーにとってはチャンスと言える。

すなわち《実際の体験や取材》に基づく主観的な記事が書ければ、コンテンツの差別化が図りやすい

検索ユーザーが知りたいのは本当に(公式サイトを調べた方が早いような)客観的な情報だろうか。Webライティングでは悪手とされる「書き手が何を感じ、何を思い、何を考えたか」という主観的情報は不要なのか。

僕の願望となってしまうが、これからの時代は「体験型コンテンツ」だ。書き手が今ここに生きている、という息遣いの根付いた文章が、ネットには増えてほしい。

終わりに

最後に、このブログで一番アクセスを集めている記事を紹介したい。意外に思われるだろうか。本ブログのテーマ「Webライター」とはまったく関係のない、下記の記事である。

「胃カメラ怖いよぉ……」と泣きべそをかきながら、渋々病院に行ったお話なのだが、かなりたくさんの人に読まれている。

検索キーワードを見ると「胃カメラが怖いので会社を辞めたい」とか「怖い胃カメラの予約キャンセルしたい」とか切実な言葉が並ぶ。そのような人にあの記事が届いたのならば、物書きとしてこれほどに嬉しいことはないし、胃カメラの恐怖をやわらげるのに少しは役立てたのではないかと思っている。

他にも20ほどのWebサイト・ブログを運営していて、やはりアクセス解析で調べると「リアルな実体験や取材」に基づく記事は、集客がうまくいっている。

僕は、Webライター・アフィリエイター・ブロガーとしては成功者側の人間ではない。だから偉そうなことは言えないし、これが正解だともいえない。

ただ、検索ユーザーの需要に応えるWebコンテンツの作り方として「自分にしか書けない体験を書く」というじつにシンプルかつ明快な戦略は《強い》のではないかと感じた今日この頃である。

(終わり)

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ゲオ宅配買取でPSVitaを売った話(備忘録)

PSVitaをゲオ宅配買取で売ったのはもう去年(2016年10月)の話になるのだけれど、とりあえず備忘録というか、メモ書きとして残しておきたい。

PSVitaを売った経緯

もともと不要になって(そのまま捨てるのは勿体無いなと思い)売っただけなので、高値で売りたいとかそういうことは一切考えなかった。近場にリサイクルショップがなく、じゃあまぁゲオの宅配買取でいいかーということで。

ちなみに送料はゲオ側が負担してくれる。こちらはダンボールと梱包材(ぷちぷち)を用意すれば良いだけで、あとは指定の時間に佐川急便の人が家まで引き取りに来てくれた。伝票についても向こう側で用意してくれた。本当に手間なく送れる。

家にはAmazonのダンボール箱が幾つかあったし、プチプチも捨てずに置いていたのがあった。とくに用意しなければならないものはなかった。

一週間後くらいには指定の銀行口座に(PSVitaを売った代金が)入金されていた。

なお、情報は2016年時点のもの。宅配業者だとか入金までの時間だとかは、人によってケース・バイ・ケースだろうと思う。

PSVitaはいくらで売れたのか

結論を述べると、PSVitaのPCH-2000シリーズ(Wi-Fiモデル)本体が1万円で売れた。かれこれ3年前に販売されたゲーム機であるし、1万で売れたのなら上々、不満はない。

ちなみにケーブル類の付属品や外箱、説明書等が完備の状態。箱と説明書を捨てずに丸々押入れに保管しておいたのが幸いだった。一応、箱に詰める前に、メガネクロスで本体を拭いて汚れを落としたり、ブロアー(一眼レフカメラの掃除に使うやつ)で埃を落としたり等の処理はした。

加えて、プレイステーションストアのアカウントと本機とのリンクを解除して、本体を初期化するのもこちら側でおこなった。

本機につけていたメモリーカードについても、フォーマットで初期状態に戻した。

驚いたことにメモリーカードの方にも値がついた。まさか売れるとは思っていなかったので、本機の中に入っていたのが32GBのものだったか64GBのものだったか確認するのを忘れてしまった。とにかくメモリーカードには3,000円の値がついた

この価格で売れた、というのは正直言って、売る時期だとか商品の状態によって変わってくる。あくまで情報は参考程度にするのに留めてほしい。通常は時間が経過するにつれて価値は下がってくるから、(もしもこの記事が読まれるのが2018年とか2019年とかだったら)もうほとんど参考にならない情報だと思う。

ちなみにゲオ宅配買取が何かキャンペーンをやっていたためか、追加で600円くらいのボーナスがついた。

結論として、PSVita(付属品・外箱・取説完備)+メモリーカードで、13,600円で売却することができた。

まとめ

当記事はゲオの宣伝でも何でもなく(たまたま検索でゲオ宅配買取を見つけただけなので)とりあえずどこで売ったとしても売却価格が大きく変わるとは思わない。

高く売りたいならば、ヤフオクだとかで直接売るほうが得策かもしれない。

とりあえず個人の体験談として、何らかのお役に立てれば幸いに思う。

※情報は2016年10月のものです。売却価格を保証するものではありません。

文学フリマ大阪に初めて行ってきた所感

2016年9月18日(日)開催の第四回文学フリマ大阪に一般参加してきた。

学生時代にコミティア大阪に行ったことがあるのだけれど、あのときは人の多さに圧倒されてしまって、結局何も買えないままに帰ってきてしまった。同人誌イベントを実質的に楽しめたのは、今回が初めてだ。

以前の後悔を繰り返さぬよう「買うぞー! いっぱい買うぞー!」と意気込んで会場に足を踏み入れた。その甲斐あってか、1万円ほど散財してしまった。購入冊数は24冊。こんなに大人買いをしたのは人生初で、まさに文フリ恐るべし……。

堺市産業振興センター イベントホール

会場は『堺市産業振興センター イベントホール』地下鉄御堂筋線のなかもず駅のすぐ近くにある。写真を見てのとおり、天気が悪かった。でも人はいっぱい来てた。

1.会場の雰囲気

入り口のところにサークルさんの一覧が掲載されたカタログが置いてあり、無料で貰える。入場料もかからない。入ってみると、小学生・中学生くらいの小さな子どもから、ご年配の方までいて、(イメージとは裏腹に)とても入りやすい雰囲気で驚いた。

ブースの前を歩いていると「どうぞ立ち読みしていってください」「パンフレットもしよければどうぞー」とサークルの方から声をかけられる。

正直なところ、小説は立ち読みでパラパラとページを捲ったくらいでは作品の巧拙を判断するのが難しい。だからサークルの方から声をかけてくださると、私のようなタイプの人間は(よっしゃとりあえず買うか)という方向に気持ちが動きやすい。

売るのであれば、やはり声掛けは重要だなと感じる。

あと、その場で立ち読みをしなくても、壇上スペースの「見本誌コーナー」でじっくりと作品を選定することができる。(声掛けられるの苦手だな…)という方は、最初に見本誌コーナーで買う本を決めてから、ブースの方へ足を運ぶとスムースに購入ができると思う。

人は午後3時過ぎあたりから結構まばらになってきて、空いてくる。コミティア大阪に行ったときはあまりの人の多さに頭がクラクラになってしまったが、文フリ大阪はゆっくりとブースを周れて良かった。(私なんかは会場を5周くらいはしてた)

本を買うと、おまけのくじ引きがあったり、飴ちゃんやお饅頭を貰ったり(さすが大阪?)、著者の方がサインをしてくださったり、トートバッグをつけてくれたりと、サービスに特色を出しているサークルさんも多く、やはりこういうのはイベントならではの雰囲気があって、なかなか楽しかった。

2.本について

プリンターで印刷したのをホッチキス留めした簡易的な冊子から、商業書籍顔負けのお洒落な装丁の本まで、さまざまある。ISBNコード付きの本もあった。

小説に限らず、詩、漫画、評論、絵本、ノベルゲーム、CD等、形式に囚われない作品が文フリには出されていて、ジャンルは非常に幅広い。《文学》の本質は《自由》であることを深く実感させられる。

文学フリマ大阪

今回の戦利品。合計で24冊手に入れて、使った金額は1万円ほど。正直ちょっと(初参加でテンションが舞い上がっていて)買いすぎた。通常の予算では5千円もあれば十分ではないかと思う。

購入した本のジャンルは純文学・SF・ライトノベル・百合・ホラー・アダルト・ファンタジー…etc

コミケではないけれど、財布に入っているお金をすべて使い切ってしまいたくなるような衝動に襲われる。気になる作品が多過ぎる。次回からは事前に予算をしっかり決めておかねば。

24冊で1万円だから、平均すると1冊416円くらいか……。しかし上記冊数には、無料配布でいただいたものや、まとめ買い割引のものも含まれている。なので1冊あたりだと平均600円~800円くらいになるとは思う。

値段としては、300円、500円、600円、800円、1000円の価格設定の作品が多い印象。文学フリマだから安く買えるといったことはなく、一般的な書店で出回っている商業書籍の価格帯とほぼ変わらない。(あくまで消費者目線だと割高に感じるとは思う)

紙の本を作って出版するというのは結構なコストがかかるもので、文フリで1冊1000円で売ったとしても「たいていは赤字だよー」とサークルの方は話していた。

3.文フリが終わってからが本番である

本は読むものである。作品は読まれなければ意味がない。

そしてもし最後まで読んだのならば、感想を著者の方へ届けたい。

読者としては、むしろここからが本番パートだ。私も買った本は積読にせず、じっくりと手に取って読んでいきたい。

今回文学フリマ大阪に一般参加してみて、ああ、これは私も出店参加してみたいな…と心底感じた。なんといっても作品の自由度が高い。自分の好きなものを書くんだ!という意志が、展示されている作品からひしひしと伝わってきて、売り手も買い手も創作に対して真摯であり、そのような雰囲気が、とても良かった。

来年も文フリ大阪に行きたいなと強く思った。決して入りづらい場所でも怖い場所でもないので、興味のある方はぜひ。

(終わり)

映画『君の名は。』小説を書くという視点から見た《夢》に関する創作的考察

※本記事は映画『君の名は。』の物語核心部分に触れる。これから映画を視聴される方にとっては、ネタバレとなる。すでに視聴済みであることを前提に話を進めるので、未視聴の方は避難されたし。


君の名は。(Amazonプライムビデオ)

『君の名は。』において僕がもっとも心を動かされたシーンについて

本題から入る。

『君の名は。』の作中シーンで、僕がもっとも心を揺さぶられたのは瀧(たき)が糸守町の風景デッサンを完成させた、あの場面である。風景画が完成されたところで、僕はすでに泣いてしまっていた。

この記事では「なぜ瀧が風景画を完成させることが凄まじいことなのか」の1点に絞って、僕の得た創作的考察を伝えたい。

なお、記事中では「瀧の視点での物語」について取り扱う。混乱の元となるので、この視点は固定しておきたい。

0.前提条件の確認

大前提として、瀧(たき)と三葉(みつは)の入れ替わり現象が《夢》により生み出されるものであることを強調しておきたい。作中でも描かれているとおり、あの現象は「不思議な現実」ではなくて「不思議な夢」である。

神秘体験はあくまで夢の延長線上にある現象であり、決してSFが起きているわけではない。その辺りを混同していると「どうしてスマホで日記を付けていたのに時間のズレに気づかないんだ」なんておかしな疑問が湧いてくる。

夢なのだから、夢世界で体験した出来事は忘却されて当然である。また、夢の世界で現在の西暦を気にして違和感を持つことなど(たとえ明晰夢状態であったとしても)大変な困難を伴う。

「瀧(in三葉)が初日でバイトをあれだけ自然にこなしているのはおかしい」といった疑問も、その入れ替わり現象が、夢をベースとして実現されていることを考えれば不思議でもなくなる。理論武装するならば、ユングの集合的無意識云々の話を持ち出しても構わない。

とにかく、瀧と三葉は《夢》を見ていて、その《夢の世界》のなかで入れ替わっていた。この前提条件だけは絶対に譲れないので、しつこいようだけど繰り返しておく。本作で描かれる神秘現象は《夢》が主であり、《入れ替わり》は従たる性質を持つ。

1.実存性が否定されるヒロイン

瀧が糸守町の風景画を書き上げた時点では、(瀧視点で)三葉の実存性は確かなものとなっていなかった。つまり、三葉は《夢》の生み出した空想上の産物で、現実世界には存在していない可能性が大いにあった。

女子高生と入れ替わる程度のことは、明晰夢の技法を用いれば僕たちでも再現できる。明晰夢下では、視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚は現実のそれと変わらないほどにリアルで鮮明であり、もちろん作中で描かれたように胸を揉むことだってできよう。

瀧(in三葉)が最初のダイブ時に「ええ夢やわー」と言っていたことからも、やはり神秘体験としては(現実ではなく)夢寄りなのだ。

電話番号やメアドを交換しても通じないし、三葉がこの世に存在していることはどうやっても証明できない。

「日記があるじゃないか」と思われるかもしれないが、あれこそ僕たちでも容易に再現できる。空想したキャラクターを身体に憑依させて文章を書く。小説書きにとっては日常茶飯事であり、トランス状態に入れれば執筆時の記憶はなくなる。

女子生徒の日記を書くことくらい、太宰治もやっている。(と勢いで書いたが、この部分はきっと突っ込みをくらうだろう。女生徒は太宰がゼロから創作したものではない)

さておき、とにかく重要なことは瀧にとって三葉は「夢の世界で出会った存在のあやふやな人物」に過ぎないということ。出会う、という表現が妥当かどうかは微妙だが「夢の世界で知った」と置き換えても構わない。

なにしろ、作中でも描かれているとおり、入れ替わり時の体験は忘却されゆく。この世界に生きていないかもしれない、夢の世界にしかいない空想上の人かもしれない。

そのような実存性が否定され得るヒロインを瀧は好きになったのだ。

だからはっきり言って「君の名は。」はそんな生易しい恋愛物語ではない。夢の世界で知り合った人物に恋をする、という狂気的な構造が内包されている。

※「夢じゃなかったんだ!」という台詞も作中には出てくるが、それはあくまで、瀧が風景画を描き上げるシーン以降の話となる。(ゆえにここでは扱わない)物語のポイントとしてはやはり、まだ出会っていない人物に恋をする(≒不確かな存在に恋をする)というところだと感じる。

2.糸森町の風景画を描く行為は何を指すのか

「どうして瀧は入れ替わり時に住所を確認しなかったの? 風景画を描くときはGoogle画像検索で『糸森町』を検索したら一発じゃん。あと高校通ってたら学校名も絶対覚えているよね」

なんて野暮な質問を投げかける人は、記事をここまで読んでくださった読者のなかにはひとりもいないことと信じている。

承知のとおり、たとえ明晰夢状態であったとしても《現住所を確認したうえで、それを記憶していること》は不可能に近い。基本的に、文字だとか数字だとか、そういった情報は(夢のなかで知り得たとしても)記憶できない。

これは、夢日記歴10年の僕が保証する。瀧も三葉も、忘却されゆく夢の世界で、ものすごくうまくやっていた。それ以上の機転を求めるのはあまりにも酷である。

ここまでくればもうお察しかもしれない。

「瀧が糸森町の風景画を描いた」という事実が、その事実以上の衝撃を齎すことを。

そう、瀧が描いたのは、ただの風景画ではないのだ。実体験に基づく記憶を頼りに描いた絵画でもないのだ。

彼は《夢》で見た風景を描いたのだ。

瀧が描いたのは、夢の世界である。

ちょっと気を逸らせば記憶から零れ落ちてしまう、しゃぼん玉のように儚くて脆い、夢の風景である。

作中であのシーンはわりとサラッと流された気もするが、瀧があの絵を描くためにどれほどの苦労と執念を費やしたのか、想像に難くない。

瀧は、三葉と現実で会うために、あの絵を描いた。

実在しないかもしれない少女のために、描いたのだ。

僕が深く感動を得たのは、瀧のやっていた行為が、僕たちのやっている「小説を書く」という行為と極めて似ていたからだ。

僕は小説を書く。

見た夢を忘れないために。空想で終わらせないために。架空の少女を実存させるために。

瀧は、あの風景画を描き上げた瞬間、藝術家となっていた。僕の目には、そう見えた。

3.名前を忘れるということ

夢のなかで友人や恋人をつくった経験のある人は、僕以外にもいると思う。(夢って願望を叶えるものだから)

僕は、じつは、初恋の相手が「夢で知り合った人物」だった。

当時は夢日記と明晰夢に傾倒していて、夢で起きた体験はかなり鮮明に(現実と変わらないくらいに)記憶していられた。

初恋は高校生の頃。夢の世界で。相手の顔も名前も、まったく記憶に残っていない。覚えていない。たしかに僕は、彼女と出会って一目惚れをしたというのに。

夢のなかで、初恋の人とデートをしていて、僕は「このセカイは夢である」という事実に気づいてしまった。あともう少しで目覚ましのアラームが鳴るであろうことも知っていた。

だから彼女に別れを告げて、最後に名前を聞いた。君の名を教えてほしいと。

彼女は名前を教えてくれた。

決してその名だけは忘れるものかと思った。

目が覚めてすぐに、枕元にあった夢日記を開いて、彼女の名を書き留めようとした。けれど、名前が出てこない。あれほど好きだった彼女の笑顔も、思い出そうとすればするほどに色褪せていった。

夢を忘れてしまうのは、なんて悲しいことだとショックを受けた。

僕が覚えていたのは「大切な人を失った」という事実のみである。

夢を忘れるのが怖い。

夢を忘れたくない。

その恐怖と悲しみが原体験となって、僕は小説を書き始めるようになった。

夢のセカイで出会った人の名前は、記憶していられない。それは実際の明晰夢でも、「君の名は。」の世界でも、共通する掟のようである。

いつも何かを探している。

失い、忘れてしまった、何かとても大切なものを。

それを見つけるための行為が、小説を書くことであり、絵を描くことであり、音楽を奏でることである。

「君の名は。」は綺麗なハッピーエンドで、瀧も三葉も最終的には救われた。しかし、現実に生きる僕は、忘れた記憶を取り戻すことはできない。初恋の人に会うことも。

これからもきっと、僕は小説を書き続ける。忘れてしまった、何かを探して。

映画「君の名は。」で僕が心を動かされたのは、瀧の体験があまりにも自分の実体験と似ていて、なによりも「好きになった人を忘れたくない」という悲痛な叫びが胸に響いたからだ。

僕たちは日常生活のなかで、忘れたことを忘れている。

忘却を忘却していられるから、何事も無く生きていられる。

でも、本当は瀧のように、探さなければならないものなんだ。

見つかるとしても、見つからないとしても。

(了)

 


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