Webライターとして生きる

五条ダンのブログ。「楽しく書く」ための実践的方法論を研究する。

自治会長の権限をもってしても自治会の仕事を減らすのは難しいという話

この春より、地域の自治会の会長となった。加入世帯数が数百とある、それなりに規模の大きい自治会だ。

ところが僕は、好んで会長に立候補したわけでは決してない。

自治会役員の希望者がおらず抽選という形になって、その役員の間でおこなうクジ引きでたまたま、会長に選ばれてしまったという話。

すなわち会長も含め、役員の全員がクジ引きで選ばれたというケースである。

 

先日、上のような匿名の投稿がホッテントリに掲載され、ネットでもかなりの注目を集めた。PTA役員に抽選で選ばれてしまった方による問題提起、そして切実な悲鳴であるが、PTAに限らず自治会にも似たような構造問題があることと思う。

だから僕は、自分が自治会長となった暁には、自治会としての仕事を極力減らし、休みたい人が気兼ねなく休めるような、自由な組織にしたいと考えた。

休みたい自治会役員が、会議では可視化できないという問題

さて、自治会役員による会議が何回か開催されたのだが、そこで驚いたことがひとつある。

役員のみんな、やる気に満ちあふれているのだ。

地域の問題点を見つけてきては、その問題解決のために「こういう活動をすべきだ!」と積極的に提案する。つまりは自治会の仕事をどんどん大きく、増やそうとする。

そのような意見が出ても、役員達は嫌そうな顔をひとつせず、むしろうんうんと大きく頷く。「そうだ、我々の手でなんとかしなければならない」と前向きで意欲的なコメントがどんどん出てくる。

ここは自ら当て馬になってやろうと仕事を減らす提案(・・・・・・・・)をしてみると「いやいや、五条さんが忙しければその分は私たちで引き受けますので」と。ここまで言われてしまえば、こちらとしては引き下がるしかなく。

もちろん、地域貢献のための活動なのだから、良いことには違いない。

引き継ぎもほとんどない状態で、抽選で選ばれた見ず知らずの役員達が集まり、しかし会議では建設的な意見が次々と出される。

もしかしたらこれが日本風の組織の強みなのかもしれないし、美徳なのかもしれない。

しかし悪く言えば「同調圧力」が会議中に形成されないかと、僕は恐れていた。

会議では発言の多い人と、ほとんど何も言わない人とに分かれる。皆、意欲的に振る舞ってはいるが、その本心には温度差があるのではないか――、と。

内心では(こっちは仕事で忙しいんじゃ。とっとと会議を終わらせろや)と思っている役員さんがいたかもしれない。しかし誰も本音は語らないので、僕には皆が本当に自ら好んで活動したがっているのかどうか、判断することができない。

自治会の活動を休みたい、引き受けたくないと思っている役員がいたとしても、(少なくとも自治会長の視点からは)それが可視化されないのだ。

僕も正直に述べると、クジ引きで選ばれた役員の方々がここまで活動に熱心だとは思わなくて、なんというか場の空気に圧倒されてしまった。

(みんなやる気に満ちている。素晴らしい。なんて生産的で建設的な会議なんだ。もしもここが会社の会議室であったのならば、僕は自治会長を職業にしても良いくらいだ)と心の中で舌を巻く程度には、役員会議には良い雰囲気が形成されていた。

「強制参加」を防ぐために自治会長としてできること

たとえ皆がやる気に溢れていたとしても、自治会は「休みたいときに休みたい人が休め、活動したいときに活動したい人が活動する」組織でありたい。

タイトルに「自治会長の権限をもってしても~」と書いたけれども、残念ながら自治会長にそんな大層な権限はなく、ほんとにできることが限られている。会議のイニシアチブを取るにしても、僕のような若輩者ではなかなか……。

ただ幸いなことに、書類作成周りの業務は自治会長に一任されている。こちらで僕は、自分の役割のなかで最善を尽くしていきたいと考えた。

例えば自治会の発行書類を見てみると、次のような強制感のある表現が散見される。

  • ご多用中のところ恐縮ですが、万障お繰り合わせのうえ、ご参加くださいますようお願い申し上げます。
  • ご多忙中のところ誠に恐縮ですが、皆様ご出席くださいますようお願い申し上げます。
  • お忙しいとは存じますが、何卒ご出席くださいますようお願いいたします。

今期の自治会では、書類でこのような表現は一切使わないこととした。

役員といえども報酬が貰えるわけでなく、100%ボランティア活動である。

仕事や家庭の事情に優先させて(それこそ万障繰り合わせてまで)出るべき役員会議やイベントなど、どこにも存在しない。

本当にご多忙中なのであれば、自治会活動などは休むべきなのだ。

役員のひとりやふたり欠席したところで、自治会はきちんと回る。 重要な議題であっても、メールなり電話なりで伝えることができる。だから個々人に無理を強いる空気だけは、決して作ってはいけない。

そこで、各種の書類において次のような表現に置き換えた。

  • ご参加いただける方は、是非ご参加ください。
  • お時間の取れる方はご出席のほどよろしくお願い申し上げます。
  • ご都合がつかず欠席される場合や、その他ご相談事項等ございましたら五条(電話番号/メールアドレス)までお気兼ねなくお知らせください。

ライトな表現に置き換えたくらいで、どの程度の効果があるのかは分からない。

少しでも、自治会の風通しを良くしていければと切に願っている。

自治会活動そのものは、尊重すべきである

詳しいことを書くと簡単に特定されてしまうため、ぼかすしかないのだけれど、当自治会では地域問題を解決するため「行政への働きかけ」を積極的にやっている。

僕も自治会長になるまでは、住民問題解決のために努力する人たちが数多くいたことに気づかなかったし、地域のために市政を動かすという自治会の大きな働きには、ある種の感銘を受けた。

だから「自治会早くなくなれ、なくしてしまえ」とは思わない。自治会の活動そのものは(非効率的な実務は改善するとして)大いに尊重すべきであると感ずる。

先のはてな匿名ダイアリーのPTAにせよ、自治会にせよ、町内会にせよ、団体の総意としては「善意」の気持ちで包まれている。(だからこそ厄介でもあるのだが)

とにかく大切なことは、休みたい人が休めるようにするということ。

任意加入団体である自治会で、しかも無報酬で役割を果たす役員に対して、強制参加を要請するなど絶対にあり得ない。これだけは自治会長として、変えていかなければならない。変えていこうと強く思う。

「五条さん、フリーランスでしたら平日も時間空けられるんですね。心強いですわぁ」

「いやぁ……まぁ……だといいのですがねぇ……あははははは」

(なんでやねん! こっちは有給休暇も取れないんだぞ。仕事を休めば休んだ分だけ、収益が落ちるのに!!!)

なんて、心の中で悲鳴をあげなくて済むように。

1年間の任期のなかで、自治会改革と地域貢献のために努めていきたい。

 

(了)

アドセンスを記事中に入れるのはデメリットが大きいのかもしれない

アドセンス広告をどこに配置すれば効果が高いのか。稼ぎたいブロガーさんにとっては、重大な関心事だと思う。で、他の方のブログハック記事を見てみると「アドセンスを記事中に配置しましょう」の意見が案外多い。

たしかに、アドセンスを記事中に挟み込むことによって、短期的には収益が増える。データとしてはそのとおりである。

ただ数年以上の長期スパンで考えたときに、この配置は損失が大きいのではないかと私的には考えている。

記事中のアドセンスは「クリックされたら」困る

簡単な話、記事中のアドセンスはクリックされたら困るのである。

記事中のアドセンスがクリックされるのは、ユーザーが途中で記事を読むのをやめて、広告主のサイトに移ってしまうことを意味する。

極論を言えば、ユーザーがそこで離脱するのは「記事内容よりも広告内容に興味を惹かれたから」である。

書き手としては、最後まで記事を読んでもらえてこそ本望のはず。読みかけの途中でアドセンスに読者を奪われるというのは、大変悔しいことだ。

これだけなら精神論の話として笑えば良いのだが、記事中のアドセンスがクリックされるならば次のような実利的弊害が生じる。

  • 読了率が下がる
  • ページ滞在時間が減る
  • 内部リンクの回遊率も落ちる
  • 成果報酬型アフィリエイトの機会損失が生じる
  • ユーザビリティを損ねる

このうちのいくつかの項目は反論も可能だが、最後の「ユーザビリティを損ねる」だけはどうしようもない。

記事中アドセンスによって記事が読みづらくなることはあっても、記事が読みやすくなることは決してないからだ。たとえゾウが逆立ちをしたとしても、ユーザビリティへの影響だけはひっくり返しようがない。

ところでGoogleは、これからの時代はSEO(検索エンジン最適化)ではなくSXO(Search Experience Optimization/ユーザー体験の最適化)を重視しますよと言っている。

ユーザー体験の最適化にはさまざまあるが、真っ先に考えなければならないのが「ユーザビリティの向上」である。例えば記事を細切れに6分割くらいしているニュースサイトを見ると、多くのユーザーは(読みづらい! 滅びろ!!)と思うだろう。

ユーザビリティを無視するとはそういうことだ。

もしも長期的な視野に立ってブログを成長させようと思うのであれば、まずは記事中のアドセンスが本当に必要なものなのかどうか、一度見直した方が良いだろう。

より大きく儲けるためには、より遠くを見るということ

もっと言ってしまえば、アドセンス広告をすべて取り払うのも合理的な手段である。広告をクリックする代わりにユーザーが「関連記事」等の内部リンクを回遊してくれれば、その分PVは増える。

うまくいけば直帰率(離脱率)も下がるし、サイト滞在時間も増えるし、指標としては良いことずくめだ。

ブログが軌道に乗るまでは、広告を外して運用した方が伸びやすいですよ」といった趣旨のことは、以前にご紹介した『人気ブロガー養成講座』(かん吉)でも書かれている。(※リンク先は書評記事。本書のp.240を参照)

人気ブログになるまではアドセンス収益といっても、たかだかしれている。アドセンスを貼るくらいであれば「関連記事リンク」「購読ボタン」「フォローボタン」を置いて、それを確実にクリックしてもらう方が利益は大きい。

人間には「目先の利益を過大評価して、遠い場所にある利益を過小評価する」といった認知上の歪みがある。(プロスペクト理論・参照点依存)

だからどうしても、すぐに手に入る収益の方を優先してしまうし、アドセンスを貼らないなんてもったいない! 機会損失だ! と考えてしまう。(プロスペクト理論・損失回避)

僕だって、目先の利益を追って痛い目にあったことが何度もあるので、他人のことはとやかく言えない。

ただ、巷で言われているように「記事の途中にアドセンス広告を入れると効果が高い」が本当なのかどうか、一度疑ってかかる必要があるとは思う。

読んでもらえてこその、ブログなのだから。

本質を見失わないように。

(了)

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代理振込のために名義人のマイナンバーカードを預かるケースがあるという話

すこし驚いたことがあったので、メモしておきたい。

先日、代理人として郵便局(ゆうちょ銀行窓口)から電信払込みをする機会があった。他者名義で高額の振り込みをする際には、当然ながら「委任状」が必要となる。

それに加えて、郵便局からは「名義人と代理人、それぞれの本人証明書類の原本」の提示を求められた。

一般的には運転免許証などで本人確認をするのだが、あいにく名義人が運転免許証やパスポートの類いを持っていない。郵便局から貰った案内書によると、マイナンバーカードが使えるとあるので、これを本人確認に用いることにした。

「ではご本人様と、代理人様のマイナンバーカード合わせて2枚ですね、原本を持って窓口にお越しください」

と、このように郵便局員さんに言われる。なるほどそうかと頷いたのだけれども、ここでふとした違和感が頭をかすめた。

「えっ……あの、そういえばマイナンバーカードって他人に貸したら駄目といったことが言われていたような気がするのですが、このようなケースで他者のマイナンバーカードを預かるというのは、法律上問題ないのでしょうか」

疑問に思ったことを尋ねてみると、郵便局の方は少し首を傾げて、それから笑顔で答えてくれた。

「法律上……といいますか、手続き上は証明書類の原本がなければご本人確認ができませんので、はい。マイナンバーカードをそのまま2つお持ちいただくという形になりますね」

なるほど、たしかに。

渡された「委任状」の書類を見てみると『マイナンバーの提供』のチェック項目もあらかじめ用意されているし、代理人が委任者のマイナンバーカードを取り扱うことは想定内なのだろう。

なお、マイナンバーの提供は「かんぽ生命保険の保険金受け取り」のときなどに使い、今回は(本人証明にカードを使うだけでマイナンバーそのものを提供するわけでないので)この項目にはチェックを入れなくて良いらしい。

 

とりあえず、「代理人として郵便局窓口からお金を振り込むときは、本人確認のために《名義人のマイナンバーカード》を代理人が預かるケースもある」ということについてその日は知ることができた。

(了)

けものフレンズ最終話考察「かばんちゃん」が鞄を手放さない本当の理由

当記事では、アニメ「けものフレンズ」の主人公であるかばんちゃんが、どうして《かばんちゃん》と呼ばれなければならなかったのか、その意味について考察する。

なお、けものフレンズ最終話までのネタバレを含むため、未視聴の方はブラウザバックされたし。

下記に最終話とは無関係の、僕の描いた「雪山編:Another」の漫画を置いておく。その間にお逃げください。

(画像:僕はてっきり、雪山編ではこのようにして解決するものと予想していた)

第10話 ロッジ編「かばんちゃんの鞄は《荷物》ではない」

さて、最終話の考察に入る前に、非常に重要な「第10話 ろっじ」の伏線を見ておきたい。

ロッジに到着したサーバルちゃん・かばんちゃん・ラッキービースト一同。アリツカゲラの案内により一通り部屋を見学し終えたあと、サーバルちゃんが次のような発言をする。

サーバル「ねぇ、かばんちゃん。荷物置いたら探検しよ。」

第10話(02:54)

引用したサーバルちゃんの発言は、見過ごせない重大発言である。

何故ならば、この後のシーンにおいて、かばんちゃんは荷物を置いていないからだ。

サーバルちゃんが指す《荷物》は、かばんちゃんの背負っている大きなリュックサックと考えて間違いない。(それ以外に手荷物は存在しない)

ところがかばんちゃんは、背中のリュックを《荷物》とは認識していない。だから探検でも、リュックサックを大事そうに背負って歩いている。

換言すれば、この何気ない台詞は「かばんちゃんにとって鞄は荷物ではなく、置いては行けない大切なものなんですよ」ということを暗に示すシーンといえる。

第11話 セルリアン「明かされたかばんちゃんの鞄の《中身》」

第11話、セルリアンの回では、かばんちゃんの鞄の中身が明かされる。

かばんちゃんの鞄の中には、はじめは何も入っていなかった。

しかしサーバルちゃんとの旅の過程で、鞄の中身はどんどん増えていく。

1話のサバンナ地方では「地図のパンフレット」を手に入れ、2話のジャングル地方では「ロープ」を入手する。(このロープは3話の高山でも使われた)

そして6話の平原では(松明の材料となる)「巻紙」をゲットし、7話の図書館では博士から「マッチ箱」を受け取っていた。

これらのアイテムがすべて鞄のなかに詰め込まれ、11話の対セルリアンのキーアイテムとして用いられたのは言うまでもない。

すなわち、初めは《空っぽ》だった器に入れて運ぶ《何か》こそが、かばんちゃんの鞄たる本質であるのだ。

「空の鞄」が記憶喪失の象徴であるとすれば、「帽子」は覆い隠された謎の象徴だ。鞄には大切なものが詰め込まれ、帽子はやがて脱ぎ放たれる。

問い「かばんちゃんはどうして木登りのとき、鞄を外さないのか」

かばんちゃんは、鞄を頑なに手放そうとしない。作中で鞄を背中から降ろしたのは、温泉に入るときと寝るときくらいであった。

第11話、第12話でもかばんちゃんは木登りをしてみせるが、帽子は取り外しても、鞄を決して手放さなかった。

木登りのときに、重い鞄は邪魔になる。それでも、鞄を降ろさない。どんなときでも鞄をとても大切そうに背負って歩いている。まるでサーバルちゃんとの思い出を、手放すまいとするかのように。

そう、鞄に詰め込まれてゆくのは、旅の記憶であり、想い出なのだ。

もしも二人が初めて出会ったとき、サーバルちゃんが「帽子ちゃん」と呼んでいたならば、鞄がこれほどまでに重要なアイテムとはならなかっただろう。しかし帽子は「ミライさん」の遺したアイテムであって、かばんちゃんのオリジナルではない。

かばんちゃんをかばんちゃんたらしめているのは、サーバルが授けてくれた大切な名前、《鞄》なのである。だからかばんちゃんにとっては、自分が《ヒト》であることよりも《かばん》であることがアイデンティティとなっている。

第12話 最終話「かばんちゃんの記憶はどうして失われなかったか」

ここまで読んでくださった方なら、第12話の大団円がご都合主義的なハッピーエンドでないことはお分かりだろう。

巨大セルリアンに食べられても、かばんちゃんの記憶は失われなかった。

それはかばんちゃんが、想い出(記憶)を鞄の中にしまい込んでいたからだ。

いわゆる記憶のバックアップ(鞄だけに)ということである。

12話のシーンをもう一度、見てみよう。

サーバルとヒグマが、かばんちゃん救出に向かったとき、巨大セルリアンはかばんちゃんの白い鞄を体内から落としてしまう。

これは後にサーバルが「炎の紙飛行機」を飛ばすに至る直接的な伏線ともなるのだが、そもそもの《鞄が無事に救出された》という点が極めて重要である。

つまり、旅の途中で、かばんちゃんが大切に鞄の中へとしまっていた《想い出》が無事であることをこのシーンでは暗示している。

《記憶》が鞄に詰め込まれていたからこそ、フレンズ化を解除されてもかばんちゃんは記憶を留めたままだった。

以上、走り書きとなってしまった。

けものフレンズ、素晴らしい作品だった。

ありがとう。

(了)

テープ起こしは時給1,000円以上は稼ぐべき在宅ワークである

テープ起こしはネット副業の中では始めやすいビジネスで、僕もたまにやっている。自宅にいながらにして時給1,000円くらいはサクッと稼げるし、テープ内容が面白ければ一石二鳥といえよう。

ところがクラウドソーシングにおけるテープ起こしは、価格崩壊が凄まじい。こないだランサーズで見かけたのは「1時間のテープ起こしを3,600円でお願いします!」というもので、このような低単価案件にも募集が殺到していた。

ひどいのだと「1時間2,500円で!」とかも珍しくなく、とにかく買い叩きが凄まじい。買い叩き、というより在宅ワーカーが自分の労働力を安く見積もり過ぎるせいで、恐ろしいデフレ地獄となっている。

参考までに申し上げると、業者相場だと1時間のテープ起こしで15,000円は普通に取ります。つまり適正価格の4分の1の価格で在宅ワーカーは働かされていることとなる。

これを搾取と呼ぶのは簡単だけれども、「自分がいくらで案件を引き受けるか」は本来ならばワーカー自身が決めることであり、クラウドソーシングは自由市場の建前で機能している。厳しいことを言うと、これは搾取というより不当廉売に近い問題であると感ずる。

10分のテープ起こしには1時間かかる

大体の作業目安として、10分のテープ起こしには1時間かかる。慣れないうちは1時間以上かかるかもしれない。

なので先ほどの「1時間で3,600円」のテープ起こしは時給換算すると600円となるし、「1時間で2,500円」の場合は時給416円となる。

クラウドワーカーとしてテープ起こしを引き受ける場合、僕としては適正価格は「1時間で9,000円」(分単価150円)だと考えている。実際にこの前後の単価で引き受けている。

業者と比べると割安感があるし、時給としては1,000~1,500円を達成できる、妥当なラインだと思う。

これは分単価150円のラインなのだが、ランサーズだと分単価40円とか50円とか60円とかが相場として出てきて、ちょっと信じられない。

時給1,000円を下回る単価でテープ起こしを引き受けるのは、僕としてはあまり勧められない。

テープ起こしは目と耳と指を酷使するハードワークである

テープ起こしが安売りされる一因として「テープ起こしなんて誰でもできる仕事なんだから」という考えがあり、たしかにそのような側面があることは否定できない。

しかしテープ起こしは何だかんだいって大変な仕事であり、目と耳と指を酷使する。

例えばテープ起こしで原稿を入力する場合、筆速は4千文字/時を超えるのがふつうだ。人間は30分でおよそ1万5千文字分は話せるから、1時間のセミナーだと起こした原稿の文字数が3万文字近くなることも珍しくない。

僕は普段はWebライターをしていて、その体感として述べるならば「1日の執筆文字数が2万文字」を超えたあたりから、指を痛めやすい。腱鞘炎リスクも高まる。

つまり、1時間のテープ起こし作業における肉体的負担は、一般に考えられているよりずっと大きい。

ちなみに僕は「音声入力ソフト AmiVoice SP2」をテープ起こしには活用している。これを使うと作業は楽にはなるものの、音声入力も万能ではないためやはり指は結構動かす。

(音声入力ソフトに興味のある方は上記記事をご参照ください)

60分のテープ起こしでも、6時間近く音声をループさせて聞くことになるので、耳(聴覚)も酷使する。

パソコンの画面をずっと見ているということで、目(視覚)への負担も大きい。

テープ起こしは肉体的にもなかなかのハードワークである。だから身体のためにも、安売りはすべきではない。

スピードや専門性を売りとして単価を上げる

さっきから安売りは良くないと繰り返し述べているが、では具体的にどうすれば時給1,000円(分単価150円)ラインで仕事を受注できるのか。それが分からなければここまで書いたことはすべて絵に描いた餅に過ぎない。

単価を上げるには2つの方法があって、

  1. 納品スピードを売りにする
  2. 専門性を売りにする

に大きく分けられる。

テープ起こしの依頼を発注するクライアントさんの中には一定数で「とても急いでいる人」がいて、そのような人には即日納品のサービスが非常に重宝される。

この場合お客さんが求めているのは「安さ」ではなくて「早さ」であるので、単価はどれだけ高くても構わない。(もちろん法外なぼったくりでなければ)

そして「とても急いでいる人」は、仕事の業務時間外に大慌てで発注をかけるケースが多々あるから、例えば一般業者の営業時間外(17時~翌9時)あたりを狙ってテープ起こしの注文窓口を開いておけば、案件を獲得しやすい。

そしてもうひとつの王道は専門性を売りにすること。

法学系に強いだとか、金融商品に強いだとか、医療系に強いだとか。自分の専門分野を売りにできれば、テープ起こしだけでなくその先の原稿作成業務も合わせて受注できる可能性が上がる。

専門用語がたくさん出てくるテープであっても、クライアントさんから安心して任せてもらいやすい。

またクラウドソーシングでは「ケバ取り起こし」がほとんどで「整文」や「要約」までできる人は少ない。こちらも専門性としては売りにできる。

「待ち」の姿勢で適正単価案件を獲得する

スピードや専門性を売りにするのは良いとして、それなら一体どうやって高単価で発注してくれるクライアントさんを見つければ良いんだという問題に行き着く。

これは発想の順序が逆で、見つける」のではなく「見つけてもらう」のが正しい戦略である。

テープ起こしの仕事を受注するためのホームページを作って、検索エンジンやリスティング広告などで集客をかける。

あるいはそれが難しければ「ランサーズストア」だとか「WoW!me(ワオミー)」だとかのお仕事出品サービスを活用すると良いだろう。

ワーカーが自由に価格設定できるはずのランサーズストア等でもテープ起こしの相場崩壊は進んでいる。30分1000円でやりますよ!と安売りする出品者も少なくない。

しかし安売り競争から抜け出す勇気が必要である。

専門性やスピードを売りとした出品ページを作って、適正価格で販売する。

根気強く「待ち」の姿勢でいれば、適正単価を支払ってくれるクライアントさんの方からこちらを見つけてくれる。テープ起こしは案件自体がさほど多くはないが、それでも僕の場合は月に1、2件程度は依頼が入ってくる。

正直に言って、テープ起こしだけでは厳しい。

WebライティングやWebデザイン、WordPress運用管理などの業務も合わせて、「待ち」で案件を獲得できる仕組みを複数用意しておきたい。

それができるのならば、ほとんど営業なしで適正単価案件を受注し、生計を立てていくことは不可能ではない。

以上、SOHO・在宅ワークでテープ起こしをされる方、これから始めようとする方のお役に立てれば幸いである。

(終わり)

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ブログを長期運営する秘訣はニーチェと少女漫画が知っている

過去と現在と未来とが直線上に並ぶとする考え方は、二十一世紀において広く信仰される思想のひとつである。

たとえ神様が死んだって、私たちの生きる意味は未来が与えてくれる。

志望校に合格する未来の自分のために受験勉強を頑張り、企業に就職する未来の自分のために就職活動を頑張る。

ニーチェは著書ツァラトゥストラのなかで、このような未来のために生きる人間を「相続人を欲しがっている」と形容する。相続人とはすなわち未来の自分である。

それはさておき。

生きる希望は、未来にある。

未来は、神に代わる《生の指針》となった。

話は変わるが、ブロガーやアフィリエイターといった人たちは、直線的時間観念との相性が良い。

すなわち記事をコツコツと積み上げて、時間とともに収益やアクセス数が増えていく。《未来》が書き手にとっての大きなモチベーションとなる。

ブログの運営報告あるいは収益報告が楽しいのは、自分が成長しているところ(つまり未来へと向かっているところ)を肌で実感することができるからだろう。

ゲームもレベルアップしてさまざまなステータスが得られるから、喜びを感じる。アクセス数や収益は、目に見える未来への希望である。

世の中が上昇トレンドばかりであるなら、僕は今頃、株式投資で大儲けしているはずである。NISA口座に塩漬けされた持ち株など、存在するはずがない。残念ながら、世界は甘くはなかった。

ブログ運営についても、記事数を増やせば収益やPVがどんどん上がっていくという、イージーモードな時代は終わった。これからはむしろ下落相場に耐え忍ぶことを覚悟しなければならない。

収益やPVが下落トレンドにあるなかで、果たして自分のブログ運営のモチベーションを維持できるかどうか。それこそが、ようやく出てきた当記事の本題である。

未来の信仰、直線的時間観念が、いつだって人々を陽気で明るい気分にさせてくれるはずはない。希望の光には絶望の影が生まれる。

存在を持つ者は常に《死》へと向かっており、それと同時に常に一瞬の《生》に輝いている。これもまた、時間の在り方である。

ニーチェの時間論は丸っこい形をしているようなイメージがあるが、ツァラトゥストラに言わせれば時間の本質が円であるとか曲線であるとか、そんな簡単な話でもないらしい。

僕はてっきり、永遠回帰とは「自分の人生が無限ループするとして、その生きることを絶対的に肯定できるか」という命題だと思っていたが、今となってはよくわからない。

それはさておき。

円環的時間観念を用いれば、アクセス数や収益が低迷状態でもブログ運営のモチベーションを維持できるのか。

下記に、ツァラトゥストラ第4部、夢遊病者の歌の一節を引用する。

――もっと遠くのものに、もっと高いものに、もっと明るいものにあこがれようとしている。「相続人がほしいのです」。悩んでいるものは、そう言う。「子どもがほしいのです。私自身ではなく」――

(引用:ニーチェ『ツァラトゥストラ(下)』丘沢静也・訳、光文社古典新訳文庫 p.382)

僕たちは未来に手を伸ばす。もっと収益がほしい。もっとPVがほしい。もっと評価がほしい。成功した未来の自分、相続人を探している。

ツァラトゥストラはかく語りき。

喜びは、相続人をほしがらない。子どもをほしがらない。――喜びは、自分自身をほしがる。永遠をほしがる。回帰をほしがる。すべてが永遠に同じであることをほしがる。

(引用:同上、p.383)

今この瞬間の、一刻一刻と死へと向かっている、刹那の生命がある。

その瞬間において、心の底から喜ぶとき、私たちは瞬間が永遠となることを求める。

 

お願い。時間よ止まって。

この幸せな時間が、永遠に続けば良いのに。

 

僕がちょうど肉じゃがを作っているとき、妹は居間でテレビを観ていて、それは少女漫画原作のアニメDVDだった。ヒロインがこのような台詞を言うのを聞いた。

止まった時間が永遠に続けば良いのにだって? ヒロインは、刹那と永遠を同時に求めている。

ツァラトゥストラ第3部「まぼろしと謎について」の章でも、永遠と瞬間についての謎解きがされる。けれど何度読み返しても、理解の尻尾にさえ指先が触れなかった。

だから僕は、雷に打たれたような衝撃を受けた。

もしかしたらこれこそが、現代を生きる新しい時間の観念かもしれないと、鍋と一緒にわなわなと震えていた。

それはさておき。

PV数と収益が下落トレンドにあったとしても、モチベーションを落とさずにブログを長期運営することはできる。それはニーチェのツァラトゥストラと、少女漫画が教えてくれた。

すなわち

  • 未来の自分を相続人とするのでなく、今ここにいる自分自身のために書くこと
  • 永遠に続いてほしいと心の底から願う、一瞬一瞬の喜びを大切にして書くこと

である。

あまり悲観をせずに、葡萄酒でも一杯飲もう。

(了)

【書評】人気ブロガー養成講座(かん吉)は承認欲求に囚われずに読めば良書となる

菅家伸(かん吉)氏の書いた『ゼロから学べる ブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座』を読んだ。ちなみに本書のタイトルは空白無視で31文字。そしてタイトルには「ブログ運営」「集客」「マネタイズ」「ブロガー」等の重要キーワードが散りばめられている。

ゼロから学べるブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座

ゼロから学べるブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座

  • 作者: 菅家伸,かん吉
  • 出版社/メーカー: ソーテック社
  • 発売日: 2016/10/08
  • メディア: 単行本
  • Amazon楽天ブックス
 

そう、お気づきのとおり、本書自体がSEOを強く意識している。筆者のかん吉氏は日本アフィリエイト協議会の理事をしており、彼の「わかったブログ」もブロガーよりアフィリエイターの方からの知名度が高いのではないかと思う。

アフィリエイトの最前線に立つ彼だからこそ、本書の情報密度は非常に濃い。250ページ超あるなかで、これでもかというくらいにブログ運営のネタを散りばめている。初心者向けの情報も多いが、上級者でも唸ってしまうようなネタもある。

例えば本書のp.141では「自分のブログ記事に一つ目のはてブがついたらIFTTTで通知が行くようにしておき、通知が来たら即座に二つ目のはてブをセルクマする。(そうすればホッテントリ掲載の確率を高められる)」といったハックが紹介されている。

もちろん、やり過ぎるとはてな運営からスパム判定される可能性があることについてもちゃんと触れられている。

これを読んだとき僕は(人気ブログにするためにここまでやるのか……)とドン引き感心してしまった。

本書ではこの他にも、人気ブログを運営するための具体的なノウハウがこれでもか!というくらい紹介されている。ブロガーを目指す人にとって役に立つかどうかと問われたら、そりゃもう圧倒的に役に立つでしょう。情報密度が他の本とは一線を画します。

マネタイズは後回し! まずは信頼を獲得せよ!」が筆者の基本理念であり、そのあたりは僕としても大いに共感する。ブロガーの教科書的なものをお探しの方には、本書をおすすめしたい。

「人気になる」は目的ではなくて結果なのではないか

筆者は「最初からお金を目標にすると良いブログにならない。マネタイズは結果としてやってくるものである」といった趣旨の話を本書(p.16~17)でしている。

僕も同じ考えだ。マネタイズしか頭にないと(病気で苦しむ人に怪しいサプリメントを売りつけるみたいな)読者に対して不誠実なコンテンツに手を染めてしまう。

ブログの収益化はなんだかんだいって、バイトで稼ぐよりは難しい。金儲けのためにブロガーになるという構造には、どこか歪みが生じる。

同じように「人気者になること」も結果として得られるならともかく、最初から目的にするとおかしくなる。人間は簡単に承認欲求の虜になってしまう。他人事のように語っている僕自身も何だかんだ言って、承認欲求を制御できずに暴走することがある。

 前回の記事の繰り返しとなってしまって恐縮だが、ブログ運営において重要なのは次の3つの要素だ。

  1. わーい!
  2. すっごーい!
  3. たーのしー!

※アニメ『けものフレンズ』より

すなわち、

  1. 自分の喜びを相手に伝えようとする気持ち
  2. 自分の驚きを相手に伝えようとする気持ち
  3. 書くことを楽しむこと

この3つを大切にして、ブログを運営していきたい。

筆者も本書のなかで次のように主張する。

ブログを利用すると、「自分が大好きなことをする」と「他人のためにしてあげる」、つまり「自分が好きなことを他人のために頑張る」ことによる成果を、多くの人に届けられます。

【引用 『ゼロから学べる ブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座』菅家伸(かん吉) p.17】

本書はあとの方になるほどソーシャルメディアによる集客だとか、バズらせる戦略だとか、フォロワーの増やし方だとか、あるいは効果的な自己ブランディングだとか、人気ブログを育てるためのノウハウ紹介にページを割いている。

しかし重要なのは上記に引用した最初の部分で、まず第一に「自分が大好きなことをする」のが最も大切だと思う。

自分が心の底から好きなことをしているからこそ、その喜びや感動を読者にも伝えようとする気持ちが生まれる。「伝えたい」という感情を枯らすことなく持ち続けることが、ブロガーには必要なのだ

タイトルにも書いたとおり、承認欲求に囚われずに読めば、本書は良書となるだろう。

筆者は『人気ブログを作る決意を持ちましょう!』と激励するが、僕個人としては、決意よりも『自分の楽しいと思う気持ち』を大切にしてほしい。

「俺は何としてでも人気ブロガーになってやるぜ!」と気負うのではなく、「楽しくブログを運営したいけど、せっかくならたくさんの人に記事を読んでほしいよね!」くらいのスタンスで本書を読みたい。

(終わり)

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プロブロガーになるために就活をやめた大学生は愚か者なのか

「プロブロガーになるために就活やめます!」と高らかに宣言するブログ記事が、はてなブックマークで炎上しコメント欄で袋叩きにされる。はてな界の恒例行事であり、またか、と思わないわけではないのだけれど、胸が痛い。

とくに「新卒切符を投げ捨てるなんてもったいない!!」といった類いのコメントは、心にグサグサと突き刺さる。

僕は、新卒切符を投げ捨てた側の人間ではない。正反対で、新卒切符を大切に握りしめて就活というレールに喜んで乗っていった人間なのだ。

大学三年の十二月には就職活動を始め、そして卒業する大学四年の三月まで就活を続けたが、内定が得られなかった。大手志向ではない。中小企業をメインで受けていたし、ハロワにも足繁く通った。電車を三時間乗り継いで、山奥の農家にまで面接に行った。

新卒カードよりもさらにレアカードである、社長や人事部長のコネも使った。政府がやっている新卒者就職応援プロジェクトにも参加した。バイトからの正社員登用も目指した。

大学卒業後も、二年間は就職活動を続けた。正社員になりたかったし、僕の周りの人間もそれを望んでいた。

そして内定は得られなかった。

就活は全滅した。

自分自身を大いに責めたし、就活自殺は本気で考えた。ただ僕の場合は(せめて死ぬ前に)この負の感情を物語に昇華させて、何本か小説を書き上げたいという気持ちが上回った。現実逃避のための創作といえど、空想が現実を救うことだってある。

現在、僕はWebライティングやブログやアフィリエイトや電子書籍で細々と収益を得て、何とか生計を立てている。

「どうして五条さんはWebライターになったんですか」と聞かれて正直に答えるならば「就活で失敗したからですね」と苦笑いするしかない。(というかリアルでもそう答えている)

正社員と比べると、もちろん不安定な生き方だ。未来が見えない。

来月あたりに国民年金が一年前納で引き落とされるし、国民健康保険も払わなきゃだし、健康診断も自腹だし、有給もボーナスもないしで、本当にきつい。

それでも何とか生きている。

きっと何者にもなれない自分の、精一杯の生存戦略。

ひとつの運命として、受け入れるしかなく。

自分の生き方を肯定できるのは自分だけしかいないのだから、受け入れて、前に進んでいかなければならない。大きな愛と大きな軽蔑を胸に抱えて、生を肯定せよ。

結局のところ、プロブロガーになるために就活をやめた大学生が愚か者なのかどうか、僕にはわからない。きっと誰にもわからない。

タロットカードの愚者(THE FOOL)は行く先に広がる無限の可能性を示すカードである。正位置ならば勇気を後押しする意味を持ち、逆位置ならば軽率さを諫める意味を持つ。

くるくると回る羅針盤を片手に、僕らは答えのない道を歩むしかないのだ。

(了)

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辛口書評『ミニサイトをつくって儲ける法』は本当に儲かるのか?

ミニサイトをつくって儲ける法』(和田亜希子・著/日本実業出版社)という本を書店で購入し、読んだ。ひとりのブロガー兼アフィリエイターとしての素直な感想を書いていきたい。辛口書評とあるが、実際には中辛くらい。

評価すべきところについては大いに評価されるべき書籍だと思う。本書を読もうかどうか迷っている人を想定し、質疑応答形式で書評を進めていきたい。

ほったらかしでも月10万円!  ミニサイトをつくって儲ける法

ほったらかしでも月10万円! ミニサイトをつくって儲ける法

 

 Q1.サブタイトルに「ほったらかしでも月10万円!」とあるけれど、本書を読めば本当に月10万円稼げるようになるの?

【回答】

短期的・中期的スパンでは無理です。最低でも2年以上、できれば5年くらいミニサイト作りに取り組む気持ちであれば、達成可能でしょう。本書は手っ取り早く稼ぐためのノウハウ本ではありません。

【より詳しい回答】

本書には「ほったらかしでも月10万円!」という射幸心をドバドバと煽りそうなサブタイトルが設定されている。だがこれは正直いただけない。

なぜならば、本書はサイト作りで《儲ける》ための書というよりかは、サイト作りを《楽しむ》ための書であるからだ。

例えば本書ではミニサイトのテーマの一例として「くらげマニアのための水族館」の紹介サイトを作るのはどうですか?(p.69)といった提案をしている。

また冒頭ではミニサイトの一例として『ベランダで鳩が卵を産んだ』というサイトを紹介している。

「くらげ博物館!」のようなマニアックでニッチなサイトを作ることは本当に楽しいのだけれど、少なくとも稼ぐのは主軸ではない。こういったサイトは月に1000円くらいの収益が出れば大万歳で、少なくとも専業アフィリエイターが手をつける事業ではないだろう。

だから繰り返すけれども、本書は趣味として楽しくサイト作りをしましょう!が趣旨に近い。せっかくサイトを作るのだから、(その趣味の活動経費+αくらいは)マネタイズできるようになればOK。「儲けは第二」の色が強いのではないかと感ずる。

本書がおすすめなのは、次のような人である。

  • アフィリエイトが「楽しくない」と感じているアフィリエイター
  • 雑記ブログが「稼げない」と感じているブロガー

上記2つに該当する人には、間違いなくおすすめできる。

その理由は、ミニサイトは雑記ブログよりは稼ぐことができ、アフィリエイトサイトを作るよりかは楽しいからだ。図にするとこんな感じ。

だから、ブロガーとして稼げている人や、アフィリエイトが楽しい人には、本書はあまり必要ではないかもしれない。ブロガーでもアフィリエイターでもない、第三の選択肢(ミニサイト職人)を目指す人は本書を手に取ってほしい。

Q2.「くらげマニアのための水族館」の話が出てきたけど、そんなニッチなサイトでほんとにマネタイズ可能なの?

【回答】

Google AdSenseやクラゲ関連グッズのアフィリエイトなどで、月1000円も行ければ上々だと思います。マネタイズ自体は可能。本書ではこうしたミニサイトを『電子書籍』に繋げるアイデアなども紹介されており、そのあたりは興味深いです。

【より詳しい回答】

くらげマニアをターゲットにした情報サイトを立ち上げるメリットはひとつあって、それはなんといっても競合が少ない(もしくはいない)ところだ。

それが儲からない分野であればあるほど(マネタイズ目的の)ブロガーやアフィリエイターは参入してこない。だからニッチ分野であれば、ミニサイトといえども検索上位を狙うことができる。そもそもの競合がいないから、記事の更新をしなくても検索順位が落ちない。まさにブルーオーシャンだ(そのブルーオーシャンに金脈が埋まっているかは知らない)。

で、マネタイズについてだが、本書記載の方法でミニサイトを作った場合(宝くじよりかは高い確率で)サイトが大化けすることはあり得る。

例えば「サーバルキャット」の専門サイトはどうだろう?

サーバルキャットのコンテンツで稼ぐことなど、2016年以前は誰にも思いつかなかった。ところが2017年に「けものフレンズ」というアニメが大ヒットし、そのメインキャラであるサーバルちゃんが話題となった。今ならば、サーバルキャットの専門サイトはかなりのアクセスを稼ぐことができる。

もしもサーバルキャットのミニサイトを事前に仕込めていたのなら、けものフレンズがヒットしたタイミングで、けもフレ関連記事でも書いてツイッターでPRすれば良い。サイトは一躍有名となる。

サーバルキャット専門サイトの運営者ということで、他のWebメディア媒体からライティングの依頼が来るかもしれない。もしかしたらそれを機に、有名ブロガー並みの著名人となれるかもしれない。

これはもちろん、取らぬ狸の皮算用だ。

けれども、ミニサイトを複数作っていれば、そのうちのひとつが(まぐれ当たりでも)月10万円くらいは軽く稼げるサイトになる可能性は大いにある。

もちろん、自分の興味のない分野には手を出すべきではないし、サイト量産が推奨されるわけではない。

あくまでミニサイト作りは「儲け先行」ではなく「楽しさ先行」で考えたいものなのだ。

もしも本書を読んでミニサイトで稼ごうとする人がいるならば、以下の三つの格言を胸に刻み込んでほしい。

  • わーい!
  • すっごーい!
  • たっのしー!

※けものフレンズの台詞より

もう少し伝わる言葉に訳すると

  1. 喜ぶこと/喜ばせること
  2. 好奇心を持つこと
  3. 楽しむこと/楽しませること

この3つである。この3つが(長期的スパンでの)サイト運営には欠かせない、本当に大切な指標となる。

「ミニサイトをつくって儲ける法」のなかではこのようなことが明言されているわけではないものの、「楽しく作れるサイトを運営しよう」「サイトを作って誰かを喜ばせよう」と読者をポジティブな気持ちにさせてくれる。

そこは本当に、本書の素晴らしいところだと思う。

Q3.本書の役に立つところと役に立たないところを教えて

役に立つところはすでに述べたとおり。

従来の価値観ではミニサイトといっても「DHAサプリメントランキング」だとか「にんにく卵黄の口コミまとめ」だとか、そんなんばかり。

アフィリエイト色が強すぎて(稼げるけれども)あまり楽しくはないサイト作りが、この手のノウハウ本ではよく紹介されていた。

しかし本書では、稼ぐことよりもまず、自分が作っていて喜びを感じるような、そんな楽しいサイト作りを提唱している。

これからの時代に必要な、大切な価値観であると思う。(だからこそ個人的には『ほったらかしでも月10万円!』の扇情的なサブタイトルが残念でならない)

ミニサイトの具体例(実際のサイトのURL)もたくさん載っているし、実物のサイトを見ながら本書を読み進めれば得られる気づきは多いと思う。

逆に役に立たないのは「第3章 〈制作編〉短期間で効率よくつくるには?」の章。この章は本書にはいらないのではないかと思う。

HTMLだとか無料ブログだとかWordPressの使い方だとかが書かれているものの、ちょっと情報が中途半端に浅い。

ライブドアブログの新規登録方法や初期設定の方法なども書かれているのだけれど、蛇足かなという気がする。でも読者がまったくのネット初心者であれば、やはり必要な情報なのだろうか。うーむ……。

いらないとまでは言い過ぎかもしれないが、「第3章 〈制作編〉短期間で効率よくつくるには?」の章にあまり役立つ情報は見いだせなかった。他の章は良いと思う。

本書のなかでは(初心者を想定して)ブログサービスやWordPressでミニサイトを作る方法を紹介している。

しかし完結型のミニサイトであれば「静的サイト」として作った方が立ち上げも管理も楽で、むしろWordPressなんかでミニサイトをつくるのは面倒が多いと思う。

個人的にはミニサイトは「手打ちHTML」で作るのをおすすめしたい

最低限のHTML、CSSの知識があれば作れるし、レスポンシブデザインは難しいと思われるかもしれないけれど、最初からスマホ想定でワンカラムのデザインにしても良いし。レスポンシブも言うほど難しくはない。

JavaScriptができれば凝ったアニメーションの面白いサイトも作れるし、PHPができればいろいろと楽ができる。

HTML,CSS,JavaScript,PHPの4つはミニサイト作りをやるのであれば、知っていて絶対に損はしないので、無理のない範囲で少しずつ勉強していくと良いだろう。

まとめ

「ほったらかしでも月10万円! ミニサイトをつくって儲ける法」は次のような人におすすめです。

  • 雑記ブログで稼げないことに悩んでいるブロガー
  • アフィリエイトが楽しくないことに悩んでいるアフィリエイター

ミニサイトは、ブログほどに自由ではありませんが、アフィ特化サイトをつくるよりは自由度が高く、楽しいです。

ミニサイトは、アフィ特化サイトほどに稼げませんが、雑記ブログよりはずっと稼ぎやすいです。

アフィリエイターにもブロガーにもなりきれない人のために「ミニサイト職人」という第三の選択肢を与えてくれる。そこが本書の最大の魅力といえる。

(終わり)

 

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「簡易書留」は配達完了メールを受け取ることができるという話

僕は「簡易書留」を利用する機会が多く、書留で出すためにしょっちゅう郵便局に足を運ぶ。しかし、簡易書留で配達完了メールが届くサービスを知ったのは、つい先日のことだった。今まで知らなかったことが悔やまれる。これは便利なので簡単にご紹介したい。

郵便局の「郵便追跡サービス」はゆうパック以外でも利用できる

荷物の配達状況をネットで確認できる「郵便追跡サービス」だが、僕はこれまで、ゆうパック専用のサービスだと思い込んでいた。ところが実際は、ゆうパックの他にもさまざまな郵便物で利用可能だ。

配達完了メールも、この郵便追跡サービスから申し込める。

詳しくは

こちらの公式サイトをご覧いただきたい。

郵便追跡サービスは、下記のような郵便物で利用できる。

  • 一般書留・現金書留・簡易書留・特定記録郵便
  • レターパック・レタックス・配達時間帯指定郵便・新特急郵便
  • ゆうパック・ゆうパケット・クリックポスト
  • EMS・国際小包・国際書留

簡易書留だと、郵便窓口で送ったときに「書留・特定記録郵便物等受領証」なるA4サイズの紙、もしくはレシートのようなものを手渡される。

ここに「お問い合わせ番号」(11桁~13桁の数字)が記載されている。

お問い合わせ番号を上記の郵便追跡サービス(個別番号検索)にかければ、配達状況の詳細を見ることができる。

送り相手が不在で配達できなかったときは「ご不在のため持ち戻り」といったステータスが表示されるし、担当の郵便局に書留が到着した際は「配達予定日」も記載される。

そして、郵便追跡サービスの検索結果ページの下部に「配達完了メール通知サービスのお申し込み」なるボタンがあって、ここからメールアドレスを登録すると、配達完了報告メールを受け取れる。もちろん無料で利用できる。

簡易書留の配達完了メール通知サービスはこんなときに便利

簡易書留で出す書類は、とにかく確実に期日までに送り先に到着したことを知って、心理的な安心を得たいものが多い。

高校や大学の願書であったり、履歴書やエントリーシートであったり、あるいは〆切必着の小説原稿であったり。

そんなときはとにかく、簡易書留を出してすぐに、追跡サービスの「配達完了メール通知サービス」に申し込んでおくと良いだろう。申し込むといってもメアド登録だけなので、5分もあれば大丈夫。

さておきこないだ郵便局に行ったら「Webで内容証明郵便が送れますよ」という案内パンフレットが置いてあってびっくりした(e内容証明 - 日本郵便)。

こちらもまた利用する機会があったら、ブログでレビューしてみたい。

(終わり)


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