Webライターとして生きる

五条ダンのブログ。「楽しく書く」ための実践的方法論を研究する。

「返報性の原理」を悪用したマーケティングは人間不信を生み出す

「私、褒められるのが怖いんです」とでも言おうものなら、おいおい、まんじゅう怖い的なネタ振りかよと突っ込みたくなる。

しかし実際に、僕は褒められるのが怖いし、褒めてくる相手を警戒してしまう。好意から発せられた言葉にも、何か裏があるんじゃないかと怯える、悲しい人間である。

返報性マーケティングが生む人間不信

何年か前にブログセミナーに足を運んだとき、講師の人が最初に口に出した言葉が返報性の原理だった。

講師のプロブロガー曰く。人は他者から好意を受け取ったときに、お返ししなきゃ!と感じる心理がある。だから他者からブログを評価されたければ、まずは相手のブログを評価せよ、と。

はてなブックマークを利用しているブロガーを検索し、彼らのツイッターをフォローしよう。記事のシェア拡散には積極的に協力し、いいね!やポジティブなコメントを書き込んで、相手にどんどん好意を与えるべし。

そうすれば返報性の原理が働き、好意が自分の元へと返ってくる。ブログをホットエントリーに載せたければ、返報性を利用するのが最短経路である。

セミナーの参加者はうんうんと頷いていたが、僕は(こんなん人間不信になるわ!!!)と思った。

また、これは別の話だが「無報酬でイラストレーターに絵を描かせる」あるいは「格安でWebライターに文章を書かせる」ためにブラックな会社は何をするか。

手始めに、相手を褒めて褒めて褒めまくるのである。

どこまでマニュアル化されているかはしらないが、そのようなことをやってくる相手は少なからずいる。

具体的な報酬額・仕事内容の話を伏せて、不自然にベタ褒めしてくる人がいたら要注意だ。

承認欲求の充足と引き換えに仕事をやるのも悪くないが(僕のやってる自治会の仕事もそんな感じだし)ただ、相手の好意が偽りであったら話は別である。

それは、単に都合良く利用されているに過ぎない。

偽りに満ちた賞賛の氾濫は、ネット世界に人間不信を生み出す恐れがある。

返報性マーケティングは承認欲求を食い物にする

貸し借りが残った状態を心は気持ち悪く感じ、解消しようとする。このときの「お返ししなきゃ!」と思う心理を利用するのが、返報性マーケティングである。

今どき、街中でポケットティッシュを貰ったくらいで「お返ししなきゃ!」と感じる人は少ないだろうが、お店のイベントで豪華なプレゼントを手渡されたときは、何か買わないと(契約しないと)申し訳ないなという思考が過ぎる。

いわゆる無料サンプルや試食品の提供も、返報性の原理の活用事例としてよく紹介される。

しかし返報性マーケティングの本質は、相手に精神的な充足感を与えることにある。(精神的に満足しなければ、お返ししなきゃの心理が働きづらい)

例えば服屋に行ったら、店員さんが「お似合いですわぁ」と褒めちぎってくれる。これは返報性の原理の健全な活用事例といえよう。

ブログ論壇でしばしばやり玉にあげられる「互助会」も、まさに承認欲求に訴えかける返報性マーケティングだ。(※意図的にやっている場合の話です。念のため)

相手がブログを更新すればツイッターやフェイスブックでシェアして、好意的な反応をつける。ブックマークのコメント欄では「いい記事ですね!」「勉強になります!」「さすがです!」みたいなポジティブな意見しか書かない。

たとえお世辞だと分かっていても、承認欲求を満たされると「お返ししなきゃ」と強く感じてしまう。なぜならば、お返ししなければ次は見放されて、《承認》されなくなるかもしれないからだ。

だから、お返しとして相手のブログを見に行くし「いい記事ですね!」「勉強になります!」「さすがです!」とブクマする。

僕はブロガーの互助会を悪いものとは思っていないが、もしも「お返ししなければ次からは承認されない」という不安が生ずるのだとすれば、それは大いに問題と感ずる。

お返ししなければ得られない賞賛など、本当の評価ではあり得ないのだから。そもそも見返り目的の褒め言葉など、空しい虚飾である。

返報性マーケティングが一般的になってしまうと、自分に向けられた好意が真実なのか偽りなのか、分からなくなってしまう。

服屋に行って「お似合いですわぁ」と言われるのは、こちらも相手が仕事として褒めてくれるのが明白だから、怖くはない。

ところが、インターネットだと、これが分からない。ゆえに怖い。人間怖い。

Web小説コンテストにおける返報性スパムの闇

小説投稿サイト「カクヨム」で小説コンテストが開催されたときも、レビューやスターの見返りを目的とした不正な評価が問題視された。

投稿作のあらすじだけを読んで「ぐいぐいと引き込まれるファンタジーでした!」「読みやすく軽快な文体!」みたいな、(本当は読んでいないというボロを出さないための)当たり障りのない、しかし作者が喜びそうなレビューを残す。

好意的なレビューを何百件と量産して、その返報性で自作に評価が与えられるのを期待する、スパム的行為。そしてそれは、現実に成功した。

カクヨム小説コンテストの第一回で横行した《好意的レビューの量産戦略》通称、ふぁぼ爆。これはのちにカクヨム運営にスパムとみなされ、一応の対策が図られる形となる。

僕も第一回のカクヨムコンテストに投稿していて、はじめて貰ったレビューがこの《返報性スパム》だった。最初はぬか喜びしていただけに、大変なショックを受けた。

返報性マーケティングが悪い、と言いたいわけではない。

誰だって多かれ少なかれ、人に好意を与えるときは、何かしらの見返りは期待したくなる。それ自体は否定されることではないし、人間はそうやって持ちつ持たれつ、助け合って生きている。

それはそれとして。

見返りが目的で美辞麗句を並べ、相手の小説や絵を褒めるのは、作品に対して失礼なことだ。嘘も方便とは言うが、それはついてはいけない嘘である。

返報性マーケティングの一環として自作を賞賛されるくらいであれば、「読んだけどつまらなかった」という正直な感想の方が百倍ありがたい。

タイトルのとおり。

「返報性の原理」を悪用したマーケティングは人間不信を生み出す。

やってる側も自分の気持ちに嘘をついているわけだから、それは悲しいことに違いない。

(終わり)

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自治会がやる赤十字の寄付金集めについて当事者の立場から答えます

毎年5・6月頃になると、町内会や自治会の役員が各家庭を回って「日本赤十字社の活動資金徴収」にやってくる。

僕も自治会に関わるまでは(赤十字社と自治会ってどういう関係性で動いているんだ…?)と不思議に思っていた。

しかし今年の4月から僕は自治会長に選ばれてしまい(経緯については前回の記事を参照)、自治会活動を続けるなかで赤十字運動の概略についておおよそを知るに至る。

ここでは自治会がやっている「赤十字の寄付金集め」について、よくある疑問に一問一答形式で答えていきたい。

【目次】

Q1.そもそも何で自治会が日本赤十字社の寄付金を徴収するの?

A.赤十字から自治会長宛に寄付金集めの協力願いが届きます。強制ではなく、自治会が任意で「協力」しています

5月のあたまに赤十字奉仕団から「赤十字活動資金募集についてのお願い」という書類が自治会に届く。その書類のなかに、徴収した活動資金の振込用紙・専用の領収証・赤十字社のシールなどの必要品も封入されている。

ちなみに赤十字奉仕団とは、日本赤十字社の各都道府県支部のなかに設置されているボランティア組織で、どうやら各市町村にそのような赤十字関連の団体があるらしい。(ここでは便宜上「赤十字」と呼称し、実質的に日本赤十字社の統率下にあるものとして扱う)

インターネットから赤十字に寄付ができるこのご時世に、どうして自治会が?と思わなくもない。

赤十字側の説明によると「赤十字は地域に根差した活動をしているので、自治会には地域住民とのパイプ役として協力してほしい」とのこと。

地域に根差した活動として分かりやすいのが献血活動だ。例えば「○月○日に某所で献血キャンペーンをやりますよー」といった案内も、自治会が回覧板でまわしたり掲示板に貼ったりして告知に協力している。

赤十字奉仕団と行政機関そして自治会は相互に協力し合っている。赤十字の活動報告では「各地区の自治会から○○円の社資を集めた」という実績も開示される。

ただあくまで、日本赤十字社の寄付金集めに協力するのは自治会の善意でありボランティア活動の一環に過ぎない。自治会に寄付金集めの義務や強制があるわけでは、決してない。

Q2.自治会費の徴収と一緒にされるんだけど、赤十字への寄付って強制なの?

A.強制ではないです。また、赤十字社から自治会に対する圧力もありません。完全に任意です

まず、自治会費の徴収と赤十字の徴収が同じタイミングでなされるのは、単に時期的なタイミングがちょうど良いというのと、集金作業の二度手間を避けるくらいの意味しかない。

赤十字社から自治会に対しては「強制ではないので、必ず赤十字会員加入・継続(活動資金納入)の意思確認をしてください」と複数の書類で念押しされている。

したがって寄付金の徴収の際に「意思確認」がまったくなかったとすれば、それは自治会がアウトである。

もしも無理やりに寄付金や募金を徴収しようとするような自治会があったら、すみやかに脱退しよう。(自治会は任意加入団体!)

いずれにせよ、寄付は強制でするようなものではなく、いかなる性質があろうとも断ることができる。というよりも、はじめに意思確認をする義務が自治会側にはある。

Q3.赤十字の「義援金」と「寄付」って何が違うの?

A.義援金は被災地(行政機関)にそのままお金を届けます。自治会で集めている寄付金は「赤十字社の活動資金」として使われます

自治会が赤十字運動で集めたお金というのは、基本的には日本赤十字社の活動資金として使われる。

例えば、献血運動・救急箱の貸出・健康安全講習・生活支援講習・災害時の救援物資調達……等のさまざまな活動費用として運用がされる。

日本赤十字社の各支部のホームページで活動内容は公開されているので、興味のある人は見てみよう。うちの地域は看護師の養成に力を入れている。

Q4.徴収のとき、領収証に住所と氏名を書かされたんだけど何で?

A.寄付した人の連絡先を提出するよう、赤十字から依頼を受けています

とりあえず自治会としては、赤十字社から「2千円以上の寄付をした協力者の住所と氏名を送ってください」と依頼されている。

2017年度からは2千円以上の寄付をした人が「赤十字会員」となるそうで、その会員登録のための情報となる。会員になれば『赤十字NEWS』なる機関誌が自宅に届くとのこと。

加えて、赤十字社への寄付は確定申告時の「所得控除」に使える。その寄付証明として、領収証に住所氏名が必要なのらしい。

Q5.寄付は500円以上じゃないと駄目って自治会の人に言われたんだけどそうなの?

A.誤解です。1円からでも寄付は可能です

500円以上というのは赤十字社が「目安」として定めている金額で、とくに500円以上じゃなきゃ駄目という決まりはない。1円からでも寄付はできる。

一口いくらと決まっているわけではなく、自由に寄付金額は決められる。

Q6.納めた自治会費から勝手に赤十字への寄付金として天引きされていたのだけれど、これってありなの?

A.実務上そのように運営する自治会は少なくないものの、自治会構成員全員の承諾が得られていない場合には「違法」でありアウトです。

先にも述べたとおり、自治会としても「自治会費の徴収」と「赤十字社への寄付金集め」を同時並行でやるのは、少し手間となる。

なので自治会規約の方で「第○条 自治会費のうち○○円を日本赤十字社に毎年寄付する」といったふうに定めておいて、自治会として毎年一定額の納入をするという形を取るのが楽だ。実務上はそのように処理している自治会も少なくない。

自治会規約の方に定められており、自治会員「全員」の同意が得られているのれあれば、自治会費のなかから寄付をすることはまったく問題ない。

しかしながら、たったひとりでも寄付に反対する人が出た場合、これは非常に厄介な問題となる。

なぜならば、特定の団体に寄付をするかどうかは、その人の「思想・信条の自由」の領域であり、本人の意思を無視して強制的に天引きをすると憲法違反になってしまうからだ。

(日本国憲法第19条)

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

たとえ総会で議決された規約であっても、憲法違反とあらばその自治会規約そのものが無効となってしまう。

(民法第90条)

公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。

実際、2008年には「自治会費に寄付金を上乗せ徴収しても良いか」が最高裁まで争われた事案がある。そして「公序良俗違反につき寄付金上乗せ徴収の自治会決議は無効」として判決が確定した。(つまり自治会側の敗訴)

赤十字の寄付金集めで苦労する自治会運営の人には気の毒この上ない話であるが、自治会費からの寄付金天引きは違法となりうることは絶対に知っておきたい。

(なおこの判決の件を当ブログの読者さんより教えていただき、2018年11月2日に記事内容を加筆修正しました。感謝申し上げます。)

加えて、自治会として寄付してしまうと(個人は)赤十字社の領収証が貰えない。ゆえに「所得控除に使えない」という節税上のデメリットが生じる。

赤十字としては単に寄付金を集めるだけではなく「赤十字活動を多くの地域住民に知ってもらう」ことを目標としている。したがって、自治会として一括で寄付するといった方法が広まるのは、赤十字側としてはあまり嬉しくはないらしい。

自治会一括納入方式よりも、地域住民ひとりひとりに寄付金のお願いをする方が望ましい。だから寄付金集めの方法について「ぜひご一考ください」と赤十字奉仕団の方から連絡が来ている。

話を最初の質問に戻すが、もしも自治会費の用途に納得が行かない場合は次のような方法を取ろう。

  1. 自治会役員に問い合わせる
  2. 自治会総会で発議する
  3. 自治会を脱退する

繰り返すけれども、自治会が任意加入団体であり、ただのボランティア組織に過ぎないことをお忘れなきよう。

Q6.自治会で集めた寄付金は本当に日本赤十字社に送られているの? ちょろまかされたりしないの?

A.システム上、不正行為はしづらいものと思われます

例えば自治会長をやっている僕が「寄付金として集めたお金をこっそり着服しよう」と考える悪い人間であったとする。その悪事が成功するかどうかとなると、なかなか難しい。

第一点として、他の自治会役員と共謀でもしない限り、そのような不正はできないこと。

第二点として、「赤十字活動資金領収証」は特別なフォーマットでできており、寄付金額の改竄や隠蔽はできない(困難な)形式となっていること。

第三点として、(悲しいことに)寄付金そのものがあまり多くは集まらないため、そもそも着服しようという気が起こらないこと。

その他諸々の理由があり、自治会の方で不正が起こるといったケースはまずないだろうと思われる。なにせ自治会役員自体が善意のボランティア集団であるため、そんなまどろっこしいことして私腹を肥やすくらいであれば、とっくに自治会を抜けている。

ただ万が一、日本赤十字社のロゴや印章の入っていない領収証を手渡された場合には(あやしい……)と疑っても良いかもしれない。

Q7.赤十字社員ってなんなの? 会社なの?

A.まぎらわしいため「赤十字会員」の名称へと変更されました

これまでは寄付した人を「社員」と呼んでいたみたいだが、どう考えてもややこしく誤解を招く。もちろん会社の社員とは何ら関係ない。

なので2017年度からは「会員」へと名称変更された。

ちなみに2000円以上の寄付で「会員」、2000円未満の寄付で「協力会員」となる。

会員になれば住所と氏名が赤十字に登録され、機関誌『赤十字NEWS』が送られてくる。

そのほかの特典の違いはとくにないので、会員と協力会員の区分などはあまり気にせず、寄付したい人が寄付できる金額で協力していくことが大切だと思う。

Q8.自治会を通さずに個人で勝手に寄付をしてもいいの?

A.もちろんOKです。コンビニでもネットでも赤十字社への寄付ができます

あまり知られていないかもしれないが、ファミリーマートの「Famiポート」やローソンの「Loppi」からでも日本赤十字社への寄付ができる。

また、日本赤十字社の公式ホームページからも赤十字会員に加入することができ、寄付にはクレジットカードや口座振替が使える。

自治会としても寄付金集めにまわるのが大変なので、むしろ個人としてどんどん寄付してほしい。

自治会で寄付金を徴収するシステムはどうしても、人手が必要になるし非効率的と言わざるを得ない。コンビニ端末で気軽に寄付をするといった感じに、寄付がもっと気軽にできる世の中になれば良いなと感じる。

Q9.赤十字社のシールを貰ったんだけどどうしたらいいの?

A.お礼の品です。玄関や表札に無理に貼る必要はありません

共同募金をしたときに貰える羽根と同じく、赤十字社の会員シールもお礼の品であって、とくに玄関や表札に貼らなければいけないということはない。

ちなみに、メルカリに赤十字社の社員証シールが出品されていて、しかも驚くべきことに落札されている。こういうことはさすがにやめよう。

赤十字からも、余ったシールは廃棄か返還をするようにと頼まれている。

Q10.自治会での寄付金集めはうまく行っているの?

A.こちらは厳しい状況です

当自治会、および周辺地域の自治会では、集まる寄付金は年々減少傾向にある。うまく行っているとはいえない状況だ。

僕が自治会長を務めているところは、加入世帯数が数百を超えている。しかし、それらすべてで集まった寄付金額を合算しても1万円に満たない。

自治会役員達の労力(本来の人件費)を思えば、自分のポケットマネーから出した方が早いのではないかと思われる。

ベルマーク集めよりかはマシかもしれないが、正直なところ自治会による寄付金集めは(効率性を考えると)無理が生じてきていると感じる。

もしも赤十字の寄付金集めに「強制感」を抱く人がいるとすれば、それは自治会という地域コミュニティの性質そのものが深く関与している。自治会費と一緒に寄付金を集めます!というやり方は、どうにもいただけない。(断りたくても断れない人はいるだろう)

なお、当自治会ではこちらから寄付金をお願いすることは一切なく「寄付をご希望される方は集金に伺いますので、回覧板の名簿に名前をご記入ください」という方式を採っている。

どうにも赤十字奉仕団の決算報告書を読んでいると、活動費集めをちょっと自治会に頼りすぎているのではないかと感じる部分があり、危うく感じる。

とはいえスマートな代替案を持っているわけではなく、赤十字奉仕団だって自治会と同じボランティア組織だから、なかなか大変なのだと思う。

こちらとしては次期自治会へと今まで通りに引き継いでいくしかなく、歯がゆい。

(終わり)

自治会長の権限をもってしても自治会の仕事を減らすのは難しいという話

この春より、地域の自治会の会長となった。加入世帯数が数百とある、それなりに規模の大きい自治会だ。

ところが僕は、好んで会長に立候補したわけでは決してない。

自治会役員の希望者がおらず抽選という形になって、その役員の間でおこなうクジ引きでたまたま、会長に選ばれてしまったという話。

すなわち会長も含め、役員の全員がクジ引きで選ばれたというケースである。

 

先日、上のような匿名の投稿がホッテントリに掲載され、ネットでもかなりの注目を集めた。PTA役員に抽選で選ばれてしまった方による問題提起、そして切実な悲鳴であるが、PTAに限らず自治会にも似たような構造問題があることと思う。

だから僕は、自分が自治会長となった暁には、自治会としての仕事を極力減らし、休みたい人が気兼ねなく休めるような、自由な組織にしたいと考えた。

休みたい自治会役員が、会議では可視化できないという問題

さて、自治会役員による会議が何回か開催されたのだが、そこで驚いたことがひとつある。

役員のみんな、やる気に満ちあふれているのだ。

地域の問題点を見つけてきては、その問題解決のために「こういう活動をすべきだ!」と積極的に提案する。つまりは自治会の仕事をどんどん大きく、増やそうとする。

そのような意見が出ても、役員達は嫌そうな顔をひとつせず、むしろうんうんと大きく頷く。「そうだ、我々の手でなんとかしなければならない」と前向きで意欲的なコメントがどんどん出てくる。

ここは自ら当て馬になってやろうと仕事を減らす提案(・・・・・・・・)をしてみると「いやいや、五条さんが忙しければその分は私たちで引き受けますので」と。ここまで言われてしまえば、こちらとしては引き下がるしかなく。

もちろん、地域貢献のための活動なのだから、良いことには違いない。

引き継ぎもほとんどない状態で、抽選で選ばれた見ず知らずの役員達が集まり、しかし会議では建設的な意見が次々と出される。

もしかしたらこれが日本風の組織の強みなのかもしれないし、美徳なのかもしれない。

しかし悪く言えば「同調圧力」が会議中に形成されないかと、僕は恐れていた。

会議では発言の多い人と、ほとんど何も言わない人とに分かれる。皆、意欲的に振る舞ってはいるが、その本心には温度差があるのではないか――、と。

内心では(こっちは仕事で忙しいんじゃ。とっとと会議を終わらせろや)と思っている役員さんがいたかもしれない。しかし誰も本音は語らないので、僕には皆が本当に自ら好んで活動したがっているのかどうか、判断することができない。

自治会の活動を休みたい、引き受けたくないと思っている役員がいたとしても、(少なくとも自治会長の視点からは)それが可視化されないのだ。

僕も正直に述べると、クジ引きで選ばれた役員の方々がここまで活動に熱心だとは思わなくて、なんというか場の空気に圧倒されてしまった。

(みんなやる気に満ちている。素晴らしい。なんて生産的で建設的な会議なんだ。もしもここが会社の会議室であったのならば、僕は自治会長を職業にしても良いくらいだ)と心の中で舌を巻く程度には、役員会議には良い雰囲気が形成されていた。

「強制参加」を防ぐために自治会長としてできること

たとえ皆がやる気に溢れていたとしても、自治会は「休みたいときに休みたい人が休め、活動したいときに活動したい人が活動する」組織でありたい。

タイトルに「自治会長の権限をもってしても~」と書いたけれども、残念ながら自治会長にそんな大層な権限はなく、ほんとにできることが限られている。会議のイニシアチブを取るにしても、僕のような若輩者ではなかなか……。

ただ幸いなことに、書類作成周りの業務は自治会長に一任されている。こちらで僕は、自分の役割のなかで最善を尽くしていきたいと考えた。

例えば自治会の発行書類を見てみると、次のような強制感のある表現が散見される。

  • ご多用中のところ恐縮ですが、万障お繰り合わせのうえ、ご参加くださいますようお願い申し上げます。
  • ご多忙中のところ誠に恐縮ですが、皆様ご出席くださいますようお願い申し上げます。
  • お忙しいとは存じますが、何卒ご出席くださいますようお願いいたします。

今期の自治会では、書類でこのような表現は一切使わないこととした。

役員といえども報酬が貰えるわけでなく、100%ボランティア活動である。

仕事や家庭の事情に優先させて(それこそ万障繰り合わせてまで)出るべき役員会議やイベントなど、どこにも存在しない。

本当にご多忙中なのであれば、自治会活動などは休むべきなのだ。

役員のひとりやふたり欠席したところで、自治会はきちんと回る。 重要な議題であっても、メールなり電話なりで伝えることができる。だから個々人に無理を強いる空気だけは、決して作ってはいけない。

そこで、各種の書類において次のような表現に置き換えた。

  • ご参加いただける方は、是非ご参加ください。
  • お時間の取れる方はご出席のほどよろしくお願い申し上げます。
  • ご都合がつかず欠席される場合や、その他ご相談事項等ございましたら五条(電話番号/メールアドレス)までお気兼ねなくお知らせください。

ライトな表現に置き換えたくらいで、どの程度の効果があるのかは分からない。

少しでも、自治会の風通しを良くしていければと切に願っている。

自治会活動そのものは、尊重すべきである

詳しいことを書くと簡単に特定されてしまうため、ぼかすしかないのだけれど、当自治会では地域問題を解決するため「行政への働きかけ」を積極的にやっている。

僕も自治会長になるまでは、住民問題解決のために努力する人たちが数多くいたことに気づかなかったし、地域のために市政を動かすという自治会の大きな働きには、ある種の感銘を受けた。

だから「自治会早くなくなれ、なくしてしまえ」とは思わない。自治会の活動そのものは(非効率的な実務は改善するとして)大いに尊重すべきであると感ずる。

先のはてな匿名ダイアリーのPTAにせよ、自治会にせよ、町内会にせよ、団体の総意としては「善意」の気持ちで包まれている。(だからこそ厄介でもあるのだが)

とにかく大切なことは、休みたい人が休めるようにするということ。

任意加入団体である自治会で、しかも無報酬で役割を果たす役員に対して、強制参加を要請するなど絶対にあり得ない。これだけは自治会長として、変えていかなければならない。変えていこうと強く思う。

「五条さん、フリーランスでしたら平日も時間空けられるんですね。心強いですわぁ」

「いやぁ……まぁ……だといいのですがねぇ……あははははは」

(なんでやねん! こっちは有給休暇も取れないんだぞ。仕事を休めば休んだ分だけ、収益が落ちるのに!!!)

なんて、心の中で悲鳴をあげなくて済むように。

1年間の任期のなかで、自治会改革と地域貢献のために努めていきたい。

 

(了)

アドセンスを記事中に入れるのはデメリットが大きいのかもしれない

アドセンス広告をどこに配置すれば効果が高いのか。稼ぎたいブロガーさんにとっては、重大な関心事だと思う。で、他の方のブログハック記事を見てみると「アドセンスを記事中に配置しましょう」の意見が案外多い。

たしかに、アドセンスを記事中に挟み込むことによって、短期的には収益が増える。データとしてはそのとおりである。

ただ数年以上の長期スパンで考えたときに、この配置は損失が大きいのではないかと私的には考えている。

記事中のアドセンスは「クリックされたら」困る

簡単な話、記事中のアドセンスはクリックされたら困るのである。

記事中のアドセンスがクリックされるのは、ユーザーが途中で記事を読むのをやめて、広告主のサイトに移ってしまうことを意味する。

極論を言えば、ユーザーがそこで離脱するのは「記事内容よりも広告内容に興味を惹かれたから」である。

書き手としては、最後まで記事を読んでもらえてこそ本望のはず。読みかけの途中でアドセンスに読者を奪われるというのは、大変悔しいことだ。

これだけなら精神論の話として笑えば良いのだが、記事中のアドセンスがクリックされるならば次のような実利的弊害が生じる。

  • 読了率が下がる
  • ページ滞在時間が減る
  • 内部リンクの回遊率も落ちる
  • 成果報酬型アフィリエイトの機会損失が生じる
  • ユーザビリティを損ねる

このうちのいくつかの項目は反論も可能だが、最後の「ユーザビリティを損ねる」だけはどうしようもない。

記事中アドセンスによって記事が読みづらくなることはあっても、記事が読みやすくなることは決してないからだ。たとえゾウが逆立ちをしたとしても、ユーザビリティへの影響だけはひっくり返しようがない。

ところでGoogleは、これからの時代はSEO(検索エンジン最適化)ではなくSXO(Search Experience Optimization/ユーザー体験の最適化)を重視しますよと言っている。

ユーザー体験の最適化にはさまざまあるが、真っ先に考えなければならないのが「ユーザビリティの向上」である。例えば記事を細切れに6分割くらいしているニュースサイトを見ると、多くのユーザーは(読みづらい! 滅びろ!!)と思うだろう。

ユーザビリティを無視するとはそういうことだ。

もしも長期的な視野に立ってブログを成長させようと思うのであれば、まずは記事中のアドセンスが本当に必要なものなのかどうか、一度見直した方が良いだろう。

より大きく儲けるためには、より遠くを見るということ

もっと言ってしまえば、アドセンス広告をすべて取り払うのも合理的な手段である。広告をクリックする代わりにユーザーが「関連記事」等の内部リンクを回遊してくれれば、その分PVは増える。

うまくいけば直帰率(離脱率)も下がるし、サイト滞在時間も増えるし、指標としては良いことずくめだ。

ブログが軌道に乗るまでは、広告を外して運用した方が伸びやすいですよ」といった趣旨のことは、以前にご紹介した『人気ブロガー養成講座』(かん吉)でも書かれている。(※リンク先は書評記事。本書のp.240を参照)

人気ブログになるまではアドセンス収益といっても、たかだかしれている。アドセンスを貼るくらいであれば「関連記事リンク」「購読ボタン」「フォローボタン」を置いて、それを確実にクリックしてもらう方が利益は大きい。

人間には「目先の利益を過大評価して、遠い場所にある利益を過小評価する」といった認知上の歪みがある。(プロスペクト理論・参照点依存)

だからどうしても、すぐに手に入る収益の方を優先してしまうし、アドセンスを貼らないなんてもったいない! 機会損失だ! と考えてしまう。(プロスペクト理論・損失回避)

僕だって、目先の利益を追って痛い目にあったことが何度もあるので、他人のことはとやかく言えない。

ただ、巷で言われているように「記事の途中にアドセンス広告を入れると効果が高い」が本当なのかどうか、一度疑ってかかる必要があるとは思う。

読んでもらえてこその、ブログなのだから。

本質を見失わないように。

(了)

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代理振込のために名義人のマイナンバーカードを預かるケースがあるという話

すこし驚いたことがあったので、メモしておきたい。

先日、代理人として郵便局(ゆうちょ銀行窓口)から電信払込みをする機会があった。他者名義で高額の振り込みをする際には、当然ながら「委任状」が必要となる。

それに加えて、郵便局からは「名義人と代理人、それぞれの本人証明書類の原本」の提示を求められた。

一般的には運転免許証などで本人確認をするのだが、あいにく名義人が運転免許証やパスポートの類いを持っていない。郵便局から貰った案内書によると、マイナンバーカードが使えるとあるので、これを本人確認に用いることにした。

「ではご本人様と、代理人様のマイナンバーカード合わせて2枚ですね、原本を持って窓口にお越しください」

と、このように郵便局員さんに言われる。なるほどそうかと頷いたのだけれども、ここでふとした違和感が頭をかすめた。

「えっ……あの、そういえばマイナンバーカードって他人に貸したら駄目といったことが言われていたような気がするのですが、このようなケースで他者のマイナンバーカードを預かるというのは、法律上問題ないのでしょうか」

疑問に思ったことを尋ねてみると、郵便局の方は少し首を傾げて、それから笑顔で答えてくれた。

「法律上……といいますか、手続き上は証明書類の原本がなければご本人確認ができませんので、はい。マイナンバーカードをそのまま2つお持ちいただくという形になりますね」

なるほど、たしかに。

渡された「委任状」の書類を見てみると『マイナンバーの提供』のチェック項目もあらかじめ用意されているし、代理人が委任者のマイナンバーカードを取り扱うことは想定内なのだろう。

なお、マイナンバーの提供は「かんぽ生命保険の保険金受け取り」のときなどに使い、今回は(本人証明にカードを使うだけでマイナンバーそのものを提供するわけでないので)この項目にはチェックを入れなくて良いらしい。

 

とりあえず、「代理人として郵便局窓口からお金を振り込むときは、本人確認のために《名義人のマイナンバーカード》を代理人が預かるケースもある」ということについてその日は知ることができた。

(了)

けものフレンズ最終話考察「かばんちゃん」が鞄を手放さない本当の理由

当記事では、アニメ「けものフレンズ」の主人公であるかばんちゃんが、どうして《かばんちゃん》と呼ばれなければならなかったのか、その意味について考察する。

なお、けものフレンズ最終話までのネタバレを含むため、未視聴の方はブラウザバックされたし。

下記に最終話とは無関係の、僕の描いた「雪山編:Another」の漫画を置いておく。その間にお逃げください。

(画像:僕はてっきり、雪山編ではこのようにして解決するものと予想していた)

第10話 ロッジ編「かばんちゃんの鞄は《荷物》ではない」

さて、最終話の考察に入る前に、非常に重要な「第10話 ろっじ」の伏線を見ておきたい。

ロッジに到着したサーバルちゃん・かばんちゃん・ラッキービースト一同。アリツカゲラの案内により一通り部屋を見学し終えたあと、サーバルちゃんが次のような発言をする。

サーバル「ねぇ、かばんちゃん。荷物置いたら探検しよ。」

第10話(02:54)

引用したサーバルちゃんの発言は、見過ごせない重大発言である。

何故ならば、この後のシーンにおいて、かばんちゃんは荷物を置いていないからだ。

サーバルちゃんが指す《荷物》は、かばんちゃんの背負っている大きなリュックサックと考えて間違いない。(それ以外に手荷物は存在しない)

ところがかばんちゃんは、背中のリュックを《荷物》とは認識していない。だから探検でも、リュックサックを大事そうに背負って歩いている。

換言すれば、この何気ない台詞は「かばんちゃんにとって鞄は荷物ではなく、置いては行けない大切なものなんですよ」ということを暗に示すシーンといえる。

第11話 セルリアン「明かされたかばんちゃんの鞄の《中身》」

第11話、セルリアンの回では、かばんちゃんの鞄の中身が明かされる。

かばんちゃんの鞄の中には、はじめは何も入っていなかった。

しかしサーバルちゃんとの旅の過程で、鞄の中身はどんどん増えていく。

1話のサバンナ地方では「地図のパンフレット」を手に入れ、2話のジャングル地方では「ロープ」を入手する。(このロープは3話の高山でも使われた)

そして6話の平原では(松明の材料となる)「巻紙」をゲットし、7話の図書館では博士から「マッチ箱」を受け取っていた。

これらのアイテムがすべて鞄のなかに詰め込まれ、11話の対セルリアンのキーアイテムとして用いられたのは言うまでもない。

すなわち、初めは《空っぽ》だった器に入れて運ぶ《何か》こそが、かばんちゃんの鞄たる本質であるのだ。

「空の鞄」が記憶喪失の象徴であるとすれば、「帽子」は覆い隠された謎の象徴だ。鞄には大切なものが詰め込まれ、帽子はやがて脱ぎ放たれる。

問い「かばんちゃんはどうして木登りのとき、鞄を外さないのか」

かばんちゃんは、鞄を頑なに手放そうとしない。作中で鞄を背中から降ろしたのは、温泉に入るときと寝るときくらいであった。

第11話、第12話でもかばんちゃんは木登りをしてみせるが、帽子は取り外しても、鞄を決して手放さなかった。

木登りのときに、重い鞄は邪魔になる。それでも、鞄を降ろさない。どんなときでも鞄をとても大切そうに背負って歩いている。まるでサーバルちゃんとの思い出を、手放すまいとするかのように。

そう、鞄に詰め込まれてゆくのは、旅の記憶であり、想い出なのだ。

もしも二人が初めて出会ったとき、サーバルちゃんが「帽子ちゃん」と呼んでいたならば、鞄がこれほどまでに重要なアイテムとはならなかっただろう。しかし帽子は「ミライさん」の遺したアイテムであって、かばんちゃんのオリジナルではない。

かばんちゃんをかばんちゃんたらしめているのは、サーバルが授けてくれた大切な名前、《鞄》なのである。だからかばんちゃんにとっては、自分が《ヒト》であることよりも《かばん》であることがアイデンティティとなっている。

第12話 最終話「かばんちゃんの記憶はどうして失われなかったか」

ここまで読んでくださった方なら、第12話の大団円がご都合主義的なハッピーエンドでないことはお分かりだろう。

巨大セルリアンに食べられても、かばんちゃんの記憶は失われなかった。

それはかばんちゃんが、想い出(記憶)を鞄の中にしまい込んでいたからだ。

いわゆる記憶のバックアップ(鞄だけに)ということである。

12話のシーンをもう一度、見てみよう。

サーバルとヒグマが、かばんちゃん救出に向かったとき、巨大セルリアンはかばんちゃんの白い鞄を体内から落としてしまう。

これは後にサーバルが「炎の紙飛行機」を飛ばすに至る直接的な伏線ともなるのだが、そもそもの《鞄が無事に救出された》という点が極めて重要である。

つまり、旅の途中で、かばんちゃんが大切に鞄の中へとしまっていた《想い出》が無事であることをこのシーンでは暗示している。

《記憶》が鞄に詰め込まれていたからこそ、フレンズ化を解除されてもかばんちゃんは記憶を留めたままだった。

以上、走り書きとなってしまった。

けものフレンズ、素晴らしい作品だった。

ありがとう。

(了)

テープ起こしは時給1,000円以上は稼ぐべき在宅ワークである

テープ起こしはネット副業の中では始めやすいビジネスで、僕もたまにやっている。自宅にいながらにして時給1,000円くらいはサクッと稼げるし、テープ内容が面白ければ一石二鳥といえよう。

ところがクラウドソーシングにおけるテープ起こしは、価格崩壊が凄まじい。こないだランサーズで見かけたのは「1時間のテープ起こしを3,600円でお願いします!」というもので、このような低単価案件にも募集が殺到していた。

ひどいのだと「1時間2,500円で!」とかも珍しくなく、とにかく買い叩きが凄まじい。買い叩き、というより在宅ワーカーが自分の労働力を安く見積もり過ぎるせいで、恐ろしいデフレ地獄となっている。

参考までに申し上げると、業者相場だと1時間のテープ起こしで15,000円は普通に取ります。つまり適正価格の4分の1の価格で在宅ワーカーは働かされていることとなる。

これを搾取と呼ぶのは簡単だけれども、「自分がいくらで案件を引き受けるか」は本来ならばワーカー自身が決めることであり、クラウドソーシングは自由市場の建前で機能している。厳しいことを言うと、これは搾取というより不当廉売に近い問題であると感ずる。

10分のテープ起こしには1時間かかる

大体の作業目安として、10分のテープ起こしには1時間かかる。慣れないうちは1時間以上かかるかもしれない。

なので先ほどの「1時間で3,600円」のテープ起こしは時給換算すると600円となるし、「1時間で2,500円」の場合は時給416円となる。

クラウドワーカーとしてテープ起こしを引き受ける場合、僕としては適正価格は「1時間で9,000円」(分単価150円)だと考えている。実際にこの前後の単価で引き受けている。

業者と比べると割安感があるし、時給としては1,000~1,500円を達成できる、妥当なラインだと思う。

これは分単価150円のラインなのだが、ランサーズだと分単価40円とか50円とか60円とかが相場として出てきて、ちょっと信じられない。

時給1,000円を下回る単価でテープ起こしを引き受けるのは、僕としてはあまり勧められない。

テープ起こしは目と耳と指を酷使するハードワークである

テープ起こしが安売りされる一因として「テープ起こしなんて誰でもできる仕事なんだから」という考えがあり、たしかにそのような側面があることは否定できない。

しかしテープ起こしは何だかんだいって大変な仕事であり、目と耳と指を酷使する。

例えばテープ起こしで原稿を入力する場合、筆速は4千文字/時を超えるのがふつうだ。人間は30分でおよそ1万5千文字分は話せるから、1時間のセミナーだと起こした原稿の文字数が3万文字近くなることも珍しくない。

僕は普段はWebライターをしていて、その体感として述べるならば「1日の執筆文字数が2万文字」を超えたあたりから、指を痛めやすい。腱鞘炎リスクも高まる。

つまり、1時間のテープ起こし作業における肉体的負担は、一般に考えられているよりずっと大きい。

ちなみに僕は「音声入力ソフト AmiVoice SP2」をテープ起こしには活用している。これを使うと作業は楽にはなるものの、音声入力も万能ではないためやはり指は結構動かす。

(音声入力ソフトに興味のある方は上記記事をご参照ください)

60分のテープ起こしでも、6時間近く音声をループさせて聞くことになるので、耳(聴覚)も酷使する。

パソコンの画面をずっと見ているということで、目(視覚)への負担も大きい。

テープ起こしは肉体的にもなかなかのハードワークである。だから身体のためにも、安売りはすべきではない。

スピードや専門性を売りとして単価を上げる

さっきから安売りは良くないと繰り返し述べているが、では具体的にどうすれば時給1,000円(分単価150円)ラインで仕事を受注できるのか。それが分からなければここまで書いたことはすべて絵に描いた餅に過ぎない。

単価を上げるには2つの方法があって、

  1. 納品スピードを売りにする
  2. 専門性を売りにする

に大きく分けられる。

テープ起こしの依頼を発注するクライアントさんの中には一定数で「とても急いでいる人」がいて、そのような人には即日納品のサービスが非常に重宝される。

この場合お客さんが求めているのは「安さ」ではなくて「早さ」であるので、単価はどれだけ高くても構わない。(もちろん法外なぼったくりでなければ)

そして「とても急いでいる人」は、仕事の業務時間外に大慌てで発注をかけるケースが多々あるから、例えば一般業者の営業時間外(17時~翌9時)あたりを狙ってテープ起こしの注文窓口を開いておけば、案件を獲得しやすい。

そしてもうひとつの王道は専門性を売りにすること。

法学系に強いだとか、金融商品に強いだとか、医療系に強いだとか。自分の専門分野を売りにできれば、テープ起こしだけでなくその先の原稿作成業務も合わせて受注できる可能性が上がる。

専門用語がたくさん出てくるテープであっても、クライアントさんから安心して任せてもらいやすい。

またクラウドソーシングでは「ケバ取り起こし」がほとんどで「整文」や「要約」までできる人は少ない。こちらも専門性としては売りにできる。

「待ち」の姿勢で適正単価案件を獲得する

スピードや専門性を売りにするのは良いとして、それなら一体どうやって高単価で発注してくれるクライアントさんを見つければ良いんだという問題に行き着く。

これは発想の順序が逆で、見つける」のではなく「見つけてもらう」のが正しい戦略である。

テープ起こしの仕事を受注するためのホームページを作って、検索エンジンやリスティング広告などで集客をかける。

あるいはそれが難しければ「ランサーズストア」だとか「WoW!me(ワオミー)」だとかのお仕事出品サービスを活用すると良いだろう。

ワーカーが自由に価格設定できるはずのランサーズストア等でもテープ起こしの相場崩壊は進んでいる。30分1000円でやりますよ!と安売りする出品者も少なくない。

しかし安売り競争から抜け出す勇気が必要である。

専門性やスピードを売りとした出品ページを作って、適正価格で販売する。

根気強く「待ち」の姿勢でいれば、適正単価を支払ってくれるクライアントさんの方からこちらを見つけてくれる。テープ起こしは案件自体がさほど多くはないが、それでも僕の場合は月に1、2件程度は依頼が入ってくる。

正直に言って、テープ起こしだけでは厳しい。

WebライティングやWebデザイン、WordPress運用管理などの業務も合わせて、「待ち」で案件を獲得できる仕組みを複数用意しておきたい。

それができるのならば、ほとんど営業なしで適正単価案件を受注し、生計を立てていくことは不可能ではない。

以上、SOHO・在宅ワークでテープ起こしをされる方、これから始めようとする方のお役に立てれば幸いである。

(終わり)

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ブログを長期運営する秘訣はニーチェと少女漫画が知っている

過去と現在と未来とが直線上に並ぶとする考え方は、二十一世紀において広く信仰される思想のひとつである。

たとえ神様が死んだって、私たちの生きる意味は未来が与えてくれる。

志望校に合格する未来の自分のために受験勉強を頑張り、企業に就職する未来の自分のために就職活動を頑張る。

ニーチェは著書ツァラトゥストラのなかで、このような未来のために生きる人間を「相続人を欲しがっている」と形容する。相続人とはすなわち未来の自分である。

それはさておき。

生きる希望は、未来にある。

未来は、神に代わる《生の指針》となった。

話は変わるが、ブロガーやアフィリエイターといった人たちは、直線的時間観念との相性が良い。

すなわち記事をコツコツと積み上げて、時間とともに収益やアクセス数が増えていく。《未来》が書き手にとっての大きなモチベーションとなる。

ブログの運営報告あるいは収益報告が楽しいのは、自分が成長しているところ(つまり未来へと向かっているところ)を肌で実感することができるからだろう。

ゲームもレベルアップしてさまざまなステータスが得られるから、喜びを感じる。アクセス数や収益は、目に見える未来への希望である。

世の中が上昇トレンドばかりであるなら、僕は今頃、株式投資で大儲けしているはずである。NISA口座に塩漬けされた持ち株など、存在するはずがない。残念ながら、世界は甘くはなかった。

ブログ運営についても、記事数を増やせば収益やPVがどんどん上がっていくという、イージーモードな時代は終わった。これからはむしろ下落相場に耐え忍ぶことを覚悟しなければならない。

収益やPVが下落トレンドにあるなかで、果たして自分のブログ運営のモチベーションを維持できるかどうか。それこそが、ようやく出てきた当記事の本題である。

未来の信仰、直線的時間観念が、いつだって人々を陽気で明るい気分にさせてくれるはずはない。希望の光には絶望の影が生まれる。

存在を持つ者は常に《死》へと向かっており、それと同時に常に一瞬の《生》に輝いている。これもまた、時間の在り方である。

ニーチェの時間論は丸っこい形をしているようなイメージがあるが、ツァラトゥストラに言わせれば時間の本質が円であるとか曲線であるとか、そんな簡単な話でもないらしい。

僕はてっきり、永遠回帰とは「自分の人生が無限ループするとして、その生きることを絶対的に肯定できるか」という命題だと思っていたが、今となってはよくわからない。

それはさておき。

円環的時間観念を用いれば、アクセス数や収益が低迷状態でもブログ運営のモチベーションを維持できるのか。

下記に、ツァラトゥストラ第4部、夢遊病者の歌の一節を引用する。

――もっと遠くのものに、もっと高いものに、もっと明るいものにあこがれようとしている。「相続人がほしいのです」。悩んでいるものは、そう言う。「子どもがほしいのです。私自身ではなく」――

(引用:ニーチェ『ツァラトゥストラ(下)』丘沢静也・訳、光文社古典新訳文庫 p.382)

僕たちは未来に手を伸ばす。もっと収益がほしい。もっとPVがほしい。もっと評価がほしい。成功した未来の自分、相続人を探している。

ツァラトゥストラはかく語りき。

喜びは、相続人をほしがらない。子どもをほしがらない。――喜びは、自分自身をほしがる。永遠をほしがる。回帰をほしがる。すべてが永遠に同じであることをほしがる。

(引用:同上、p.383)

今この瞬間の、一刻一刻と死へと向かっている、刹那の生命がある。

その瞬間において、心の底から喜ぶとき、私たちは瞬間が永遠となることを求める。

 

お願い。時間よ止まって。

この幸せな時間が、永遠に続けば良いのに。

 

僕がちょうど肉じゃがを作っているとき、妹は居間でテレビを観ていて、それは少女漫画原作のアニメDVDだった。ヒロインがこのような台詞を言うのを聞いた。

止まった時間が永遠に続けば良いのにだって? ヒロインは、刹那と永遠を同時に求めている。

ツァラトゥストラ第3部「まぼろしと謎について」の章でも、永遠と瞬間についての謎解きがされる。けれど何度読み返しても、理解の尻尾にさえ指先が触れなかった。

だから僕は、雷に打たれたような衝撃を受けた。

もしかしたらこれこそが、現代を生きる新しい時間の観念かもしれないと、鍋と一緒にわなわなと震えていた。

それはさておき。

PV数と収益が下落トレンドにあったとしても、モチベーションを落とさずにブログを長期運営することはできる。それはニーチェのツァラトゥストラと、少女漫画が教えてくれた。

すなわち

  • 未来の自分を相続人とするのでなく、今ここにいる自分自身のために書くこと
  • 永遠に続いてほしいと心の底から願う、一瞬一瞬の喜びを大切にして書くこと

である。

あまり悲観をせずに、葡萄酒でも一杯飲もう。

(了)

【書評】人気ブロガー養成講座(かん吉)は承認欲求に囚われずに読めば良書となる

菅家伸(かん吉)氏の書いた『ゼロから学べる ブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座』を読んだ。ちなみに本書のタイトルは空白無視で31文字。そしてタイトルには「ブログ運営」「集客」「マネタイズ」「ブロガー」等の重要キーワードが散りばめられている。

ゼロから学べるブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座

ゼロから学べるブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座

  • 作者: 菅家伸,かん吉
  • 出版社/メーカー: ソーテック社
  • 発売日: 2016/10/08
  • メディア: 単行本
  • Amazon楽天ブックス
 

そう、お気づきのとおり、本書自体がSEOを強く意識している。筆者のかん吉氏は日本アフィリエイト協議会の理事をしており、彼の「わかったブログ」もブロガーよりアフィリエイターの方からの知名度が高いのではないかと思う。

アフィリエイトの最前線に立つ彼だからこそ、本書の情報密度は非常に濃い。250ページ超あるなかで、これでもかというくらいにブログ運営のネタを散りばめている。初心者向けの情報も多いが、上級者でも唸ってしまうようなネタもある。

例えば本書のp.141では「自分のブログ記事に一つ目のはてブがついたらIFTTTで通知が行くようにしておき、通知が来たら即座に二つ目のはてブをセルクマする。(そうすればホッテントリ掲載の確率を高められる)」といったハックが紹介されている。

もちろん、やり過ぎるとはてな運営からスパム判定される可能性があることについてもちゃんと触れられている。

これを読んだとき僕は(人気ブログにするためにここまでやるのか……)とドン引き感心してしまった。

本書ではこの他にも、人気ブログを運営するための具体的なノウハウがこれでもか!というくらい紹介されている。ブロガーを目指す人にとって役に立つかどうかと問われたら、そりゃもう圧倒的に役に立つでしょう。情報密度が他の本とは一線を画します。

マネタイズは後回し! まずは信頼を獲得せよ!」が筆者の基本理念であり、そのあたりは僕としても大いに共感する。ブロガーの教科書的なものをお探しの方には、本書をおすすめしたい。

「人気になる」は目的ではなくて結果なのではないか

筆者は「最初からお金を目標にすると良いブログにならない。マネタイズは結果としてやってくるものである」といった趣旨の話を本書(p.16~17)でしている。

僕も同じ考えだ。マネタイズしか頭にないと(病気で苦しむ人に怪しいサプリメントを売りつけるみたいな)読者に対して不誠実なコンテンツに手を染めてしまう。

ブログの収益化はなんだかんだいって、バイトで稼ぐよりは難しい。金儲けのためにブロガーになるという構造には、どこか歪みが生じる。

同じように「人気者になること」も結果として得られるならともかく、最初から目的にするとおかしくなる。人間は簡単に承認欲求の虜になってしまう。他人事のように語っている僕自身も何だかんだ言って、承認欲求を制御できずに暴走することがある。

 前回の記事の繰り返しとなってしまって恐縮だが、ブログ運営において重要なのは次の3つの要素だ。

  1. わーい!
  2. すっごーい!
  3. たーのしー!

※アニメ『けものフレンズ』より

すなわち、

  1. 自分の喜びを相手に伝えようとする気持ち
  2. 自分の驚きを相手に伝えようとする気持ち
  3. 書くことを楽しむこと

この3つを大切にして、ブログを運営していきたい。

筆者も本書のなかで次のように主張する。

ブログを利用すると、「自分が大好きなことをする」と「他人のためにしてあげる」、つまり「自分が好きなことを他人のために頑張る」ことによる成果を、多くの人に届けられます。

【引用 『ゼロから学べる ブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座』菅家伸(かん吉) p.17】

本書はあとの方になるほどソーシャルメディアによる集客だとか、バズらせる戦略だとか、フォロワーの増やし方だとか、あるいは効果的な自己ブランディングだとか、人気ブログを育てるためのノウハウ紹介にページを割いている。

しかし重要なのは上記に引用した最初の部分で、まず第一に「自分が大好きなことをする」のが最も大切だと思う。

自分が心の底から好きなことをしているからこそ、その喜びや感動を読者にも伝えようとする気持ちが生まれる。「伝えたい」という感情を枯らすことなく持ち続けることが、ブロガーには必要なのだ

タイトルにも書いたとおり、承認欲求に囚われずに読めば、本書は良書となるだろう。

筆者は『人気ブログを作る決意を持ちましょう!』と激励するが、僕個人としては、決意よりも『自分の楽しいと思う気持ち』を大切にしてほしい。

「俺は何としてでも人気ブロガーになってやるぜ!」と気負うのではなく、「楽しくブログを運営したいけど、せっかくならたくさんの人に記事を読んでほしいよね!」くらいのスタンスで本書を読みたい。

(終わり)

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プロブロガーになるために就活をやめた大学生は愚か者なのか

「プロブロガーになるために就活やめます!」と高らかに宣言するブログ記事が、はてなブックマークで炎上しコメント欄で袋叩きにされる。はてな界の恒例行事であり、またか、と思わないわけではないのだけれど、胸が痛い。

とくに「新卒切符を投げ捨てるなんてもったいない!!」といった類いのコメントは、心にグサグサと突き刺さる。

僕は、新卒切符を投げ捨てた側の人間ではない。正反対で、新卒切符を大切に握りしめて就活というレールに喜んで乗っていった人間なのだ。

大学三年の十二月には就職活動を始め、そして卒業する大学四年の三月まで就活を続けたが、内定が得られなかった。大手志向ではない。中小企業をメインで受けていたし、ハロワにも足繁く通った。電車を三時間乗り継いで、山奥の農家にまで面接に行った。

新卒カードよりもさらにレアカードである、社長や人事部長のコネも使った。政府がやっている新卒者就職応援プロジェクトにも参加した。バイトからの正社員登用も目指した。

大学卒業後も、二年間は就職活動を続けた。正社員になりたかったし、僕の周りの人間もそれを望んでいた。

そして内定は得られなかった。

就活は全滅した。

自分自身を大いに責めたし、就活自殺は本気で考えた。ただ僕の場合は(せめて死ぬ前に)この負の感情を物語に昇華させて、何本か小説を書き上げたいという気持ちが上回った。現実逃避のための創作といえど、空想が現実を救うことだってある。

現在、僕はWebライティングやブログやアフィリエイトや電子書籍で細々と収益を得て、何とか生計を立てている。

「どうして五条さんはWebライターになったんですか」と聞かれて正直に答えるならば「就活で失敗したからですね」と苦笑いするしかない。(というかリアルでもそう答えている)

正社員と比べると、もちろん不安定な生き方だ。未来が見えない。

来月あたりに国民年金が一年前納で引き落とされるし、国民健康保険も払わなきゃだし、健康診断も自腹だし、有給もボーナスもないしで、本当にきつい。

それでも何とか生きている。

きっと何者にもなれない自分の、精一杯の生存戦略。

ひとつの運命として、受け入れるしかなく。

自分の生き方を肯定できるのは自分だけしかいないのだから、受け入れて、前に進んでいかなければならない。大きな愛と大きな軽蔑を胸に抱えて、生を肯定せよ。

結局のところ、プロブロガーになるために就活をやめた大学生が愚か者なのかどうか、僕にはわからない。きっと誰にもわからない。

タロットカードの愚者(THE FOOL)は行く先に広がる無限の可能性を示すカードである。正位置ならば勇気を後押しする意味を持ち、逆位置ならば軽率さを諫める意味を持つ。

くるくると回る羅針盤を片手に、僕らは答えのない道を歩むしかないのだ。

(了)

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