Webライターとして生きる

五条ダンのブログ。「楽しく書く」ための実践的方法論を研究する。

ブログを長期運営する秘訣はニーチェと少女漫画が知っている

過去と現在と未来とが直線上に並ぶとする考え方は、二十一世紀において広く信仰される思想のひとつである。

たとえ神様が死んだって、私たちの生きる意味は未来が与えてくれる。

志望校に合格する未来の自分のために受験勉強を頑張り、企業に就職する未来の自分のために就職活動を頑張る。

ニーチェは著書ツァラトゥストラのなかで、このような未来のために生きる人間を「相続人を欲しがっている」と形容する。相続人とはすなわち未来の自分である。

それはさておき。

生きる希望は、未来にある。

未来は、神に代わる《生の指針》となった。

話は変わるが、ブロガーやアフィリエイターといった人たちは、直線的時間観念との相性が良い。

すなわち記事をコツコツと積み上げて、時間とともに収益やアクセス数が増えていく。《未来》が書き手にとっての大きなモチベーションとなる。

ブログの運営報告あるいは収益報告が楽しいのは、自分が成長しているところ(つまり未来へと向かっているところ)を肌で実感することができるからだろう。

ゲームもレベルアップしてさまざまなステータスが得られるから、喜びを感じる。アクセス数や収益は、目に見える未来への希望である。

世の中が上昇トレンドばかりであるなら、僕は今頃、株式投資で大儲けしているはずである。NISA口座に塩漬けされた持ち株など、存在するはずがない。残念ながら、世界は甘くはなかった。

ブログ運営についても、記事数を増やせば収益やPVがどんどん上がっていくという、イージーモードな時代は終わった。これからはむしろ下落相場に耐え忍ぶことを覚悟しなければならない。

収益やPVが下落トレンドにあるなかで、果たして自分のブログ運営のモチベーションを維持できるかどうか。それこそが、ようやく出てきた当記事の本題である。

未来の信仰、直線的時間観念が、いつだって人々を陽気で明るい気分にさせてくれるはずはない。希望の光には絶望の影が生まれる。

存在を持つ者は常に《死》へと向かっており、それと同時に常に一瞬の《生》に輝いている。これもまた、時間の在り方である。

ニーチェの時間論は丸っこい形をしているようなイメージがあるが、ツァラトゥストラに言わせれば時間の本質が円であるとか曲線であるとか、そんな簡単な話でもないらしい。

僕はてっきり、永遠回帰とは「自分の人生が無限ループするとして、その生きることを絶対的に肯定できるか」という命題だと思っていたが、今となってはよくわからない。

それはさておき。

円環的時間観念を用いれば、アクセス数や収益が低迷状態でもブログ運営のモチベーションを維持できるのか。

下記に、ツァラトゥストラ第4部、夢遊病者の歌の一節を引用する。

――もっと遠くのものに、もっと高いものに、もっと明るいものにあこがれようとしている。「相続人がほしいのです」。悩んでいるものは、そう言う。「子どもがほしいのです。私自身ではなく」――

(引用:ニーチェ『ツァラトゥストラ(下)』丘沢静也・訳、光文社古典新訳文庫 p.382)

僕たちは未来に手を伸ばす。もっと収益がほしい。もっとPVがほしい。もっと評価がほしい。成功した未来の自分、相続人を探している。

ツァラトゥストラはかく語りき。

喜びは、相続人をほしがらない。子どもをほしがらない。――喜びは、自分自身をほしがる。永遠をほしがる。回帰をほしがる。すべてが永遠に同じであることをほしがる。

(引用:同上、p.383)

今この瞬間の、一刻一刻と死へと向かっている、刹那の生命がある。

その瞬間において、心の底から喜ぶとき、私たちは瞬間が永遠となることを求める。

 

お願い。時間よ止まって。

この幸せな時間が、永遠に続けば良いのに。

 

僕がちょうど肉じゃがを作っているとき、妹は居間でテレビを観ていて、それは少女漫画原作のアニメDVDだった。ヒロインがこのような台詞を言うのを聞いた。

止まった時間が永遠に続けば良いのにだって? ヒロインは、刹那と永遠を同時に求めている。

ツァラトゥストラ第3部「まぼろしと謎について」の章でも、永遠と瞬間についての謎解きがされる。けれど何度読み返しても、理解の尻尾にさえ指先が触れなかった。

だから僕は、雷に打たれたような衝撃を受けた。

もしかしたらこれこそが、現代を生きる新しい時間の観念かもしれないと、鍋と一緒にわなわなと震えていた。

それはさておき。

PV数と収益が下落トレンドにあったとしても、モチベーションを落とさずにブログを長期運営することはできる。それはニーチェのツァラトゥストラと、少女漫画が教えてくれた。

すなわち

  • 未来の自分を相続人とするのでなく、今ここにいる自分自身のために書くこと
  • 永遠に続いてほしいと心の底から願う、一瞬一瞬の喜びを大切にして書くこと

である。

あまり悲観をせずに、葡萄酒でも一杯飲もう。

(了)

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