Webライターとして生きる

五条ダンのブログ。「楽しく書く」ための実践的方法論を研究する。

ブログを1000記事書くのはどのレベルの労力なのか

 僕がアフィリエイト法人に勤めていた頃は、50記事もあればコンテンツ量の多いサイトだなぁ……なんて先輩と言い合っていた。1000記事となるとあまりにも膨大で、ちょっとイメージができない。

「ブログ飯」すなわちブログで月に10万円以上を稼いで生計を立てている人のサイトを見ると、1000記事超えは決して珍しくない。1000記事を書くためには、果たしてどの程度のレベルの労力が必要なのだろうか。

Webライターに1000記事を依頼した場合の金額

 僕は本業がWebライターだ。ただしライターはライターでもピラミッドの底辺に位置する物書きなので、文字単価はすっごく安い。ブログ記事であれば、1文字単価0.8円から請けることにしている。

(これでも、ランサーズ報酬獲得金額上位20%の認定ランサーに選ばれている。クラウドソーシングには1文字単価0.1円などといった恐ろしい仕事が溢れかえっている)

 で、クリック広告型の収益で食っていくとなると、ボリューム的には1記事2,500文字前後が理想かな、と思う。このブログも毎回そのくらいの文量になっている。

 なので1記事あたりの受け取り金額は2,500×0.8=2,000円。つまり1記事あたりの費用は2,000円と考えれば良い。

 1000記事すべてをWebライターに依頼した場合にかかる総費用はだから2,000×1000=2,000,000円。つまり、200万円!!!

 まぁこんなもんだよね、と思う。Webライター的感覚としては、破格の安さだ。ブログ1000記事をすべて外注した場合には、(よほど搾取しない限りは)当然にこの程度の費用はかかる。

1000記事に必要な文字数、執筆時間、日数

 これも先ほど書いたとおり、1記事2,500文字だとすれば、1000記事だと計250万文字。長編小説25冊分くらいのボリュームだ。速筆な小説家でも25冊の長編原稿を上げるとなれば2年はかかる。1000記事、というのはそのくらいに恐ろしい。

 ただしブログ記事であれば、小説のように「キャラ、世界観、プロット設定」や「推敲、改稿」などの作業がない(もしくは小説ほどには時間がかからない)ため、2年よりかは短縮できる。

 本業でライターをやるとして、無理をしない範囲だと1日に1万文字(1日4記事)は書ける。なので250日(8~9ヶ月)あれば1000記事は達成できる計算となる。あくまで専業ブロガーとなった場合の皮算用であるため、兼業でやるとなるとやはり3年くらいはかかるだろう。

記事数や文字数にこだわる必要性はあるか

 このブログ「Webライターとして生きる」は1000記事を目指してはいなくて、(まぁ100記事くらいは続けばいいな、でも僕いつも三日坊主だからな……)なんて考えている。ブログなのだからマイペースにやったらいいのではないかと思う。

 たしかに「目標1000記事!」「目標100万文字!」みたいに具体的な数値で目標を立てたほうが、モチベーションは上がるかもしれない。ランニングやウォーキングでも、何キロメートル走ったとか何万歩あるいたとか、そういった目に見える数字があった方が習慣の続く人は多いだろう。

 僕は悲観主義者ではないのだけど、自分はいつ死ぬのだろうかと毎晩考えてしまって、まるで未来の視えなくなった予知能力者のように目の前が真っ暗に感じることがある。

 1000記事を達成するまで自分が生きている、というイメージがまったくできない。だからその日その日で、書けるものを書くように心がけている。

書くことは命がけである

 書くことに限らず、僕たちは刻一刻と命を削り、新しい自分を刻み続けている。1000記事を書くのには、それこそ膨大な時間を費やす。果たして自分が今書いているものは、自分の命を懸けるのにふさわしいものか否か、よく考えなければならない。

 仮に収益目的でブログをやるにしても、お金というのは本質的に虚無であり、泡沫のような存在である。お金はとても大切なものであるが、それそのものを目的とした場合に、人々の生活は脅かされる。

 僕はミヒャエル・エンデの『モモ』を愛読していて、もう5回は再読している。読むたびに自分のなかでホラー味が増してゆく。決して資本主義や拝金主義を否定するわけではないし、僕自身もお金は欲しいしジャブジャブ稼ぎたいさ。(というより生活が……)

 とにかく、文章のひとつひとつには、生身の人間の血が流れている。文章は血で書かれなければいけない*1。書き手が自覚的であるか否かに関わらず、文章を書くのは命がけの行為だ。1000記事を本気で目指すのには、相応の覚悟がいる。

所有サイトを分散させるという選択肢

 ブログで1000記事を書くのは、一極集中型の考え方だ。僕は「卵をひとつの皿に盛るな」という分散投資の格言が好きなので、どちらかと言えば所有サイトは分散させる方が好みである。

 つまり1ブログ1000記事ではなくて、10ブログ100記事、というのも戦略としてはありだろうと感じる。分散させた分ひとつのブログの戦力は落ちるが「くくく、ブログAがやられたか……だが奴は四天王のなかでも最弱」「ブログBの自己ブランディングが失敗しても、まだ代わりはあるぜ」みたいな分散運営の安心感はある。

 じつは僕は筆名(ペンネーム)も分散型で、現在活動中のものだけでも10のペンネームを使い分けている。(将来は怪人二十面相になりたい)

 運営しているブログやサイトも、合わせると20程ある。(まったく稼げていないけれども)

 もしも1000記事にハードルを感じるのであれば、僕のように50記事~100記事くらいのブログをちょこちょこ作ってみるのも面白いと思う。自分のタイプに合ったブログ運営を楽しもう。

(了)

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*1:ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』血でもって書け!

ランサーズでの「直接取引の誘い」には絶対に応じてはならない

 ランサーズを長らくやっていると、クライアントからたびたび「直接取引」の誘いを受けることがある。ランサーズではシステム利用手数料が20%も取られるため、ランサーズを介さずに出来る直接取引は大変魅力的に見える。

 例えば1万円の仕事を受けたとしても、システム利用手数料を差し引けば8000円しか(ふところ)に入ってこない。これが直接取引ならば1万円まるまるが貰える計算だ。

 だからランサーズ上でクライアントから直接取引を持ちかけられたら、ついつい誘惑に負けてしまいそうになる。しかし「ランサーズを介さない直接取引の誘い」には絶対に応じてはならない。仮にランサーズ運営にバレなかったとしても、やるべきではない。

 これからその理由を説明する。

大前提「ランサーズを介さない直接取引」は規約違反である

 言うまでもないことだが、ランサーズ上で「ランサーズを介さない直接取引」の誘引をすることは、ランサーズ利用規約に反する行為である。

 直接取引の誘引とはつまり、ランサーズのメッセージ欄に自分のメールアドレスや電話番号、スカイプIDなどを書き込んで「ランサーズではなくこちらに連絡ください。直接取引がしたいので」と持ちかけることだ。

 規約では、誘引だけでなく誘引に応じることも禁止されている。話を持ちかけたクライアントだけでなく、要求に応えたランサー側もアウトということだ。

ランサーズ利用規約 第33条 違約金及び損害賠償等

2.会員が第24条第1項第12号に違反し、本サービスを介さずに直接取引(直接取引を誘引した場合、または直接取引の誘因に応じた場合を含む)をした場合には、会員は前項に定める損害賠償金とは別に、違約金として、当該行為がなければ支払われていたと推定される第10条で定める弊社手数料の2倍に相当する金額(その額が100万円に満たない場合は100万円)を支払うものとします。

(引用:利用規約 | ランサーズ) 

参考:クライアントと直接取引をしてもいいですか? | ヘルプ | クラウドソーシング「ランサーズ」

 

 上記のとおり、直接取引の誘引に応じてしまうとアカウントを停止されることはもちろんだが、最低でも100万円の違約金を請求される恐れがある。もっとも「最低100万円」の部分は法律上妥当とは言えない金額であると感ずるし、実際に100万円を請求されたという話は聞かない。

 しかし、いずれにせよこのようなリスクを冒してまでクライアントの直接取引の誘いに乗っかるのは、愚策である。

 ちなみに、ランサーズのサイト文章の「引用」は、利用規約の第24条で禁止されている。ただしこの引用禁止の規定は「著作権法上認められている引用」までをも制限するものではない。揚げ足を取られる可能性があるので、念のため事前に弁解しておく。

 ランサーズを使って稼ごうとしているのであれば利用規約に違反してはいけないのは当然のことだし、クライアントとの直接取引がやりたいのであれば初めからランサーズを利用すべきではない。

もしも直接取引に応じた場合、受注者側が損をする

 ランサーズを介さない直接取引ができれば、クライアントは節約になるし、受注者側はシステム手数料で取られていた分が報酬として入ってくる。

 一見すると、Win-Winの関係だが、ここに大きな罠が存在する。大抵の場合、直接取引に応じてしまうと受注者側がトラブルに巻き込まれて手痛い損害を受けてしまうのだ。その理由は、簡単に説明できる。

クライアントが悪意の場合

 クライアント側が「ランサーズ利用規約に抵触するのを知っていて」直接取引を持ちかけてきた場合を想定してみよう。

 果たして、利用規約さえ守らない相手が、直接取引で締結した契約を守ってくれるだろうか? よくよく考えてみれば、このような相手と直接取引をすること自体が大変なリスクであることが分かるだろう。

 そう。だからクライアント側が利用規約に関して悪意である場合、このような誘いに乗ってしまうことそのものが失策も良いところなのだ。のちのちにトラブルに巻き込まれるのが恐ければ、決して直接取引の誘いには応じてはならない。

 僕も知り合いにランサーズ仲間が何人かいて、彼らのなかには直接取引に応じた人たちもいる。はっきり言って、良い話はひとつも聞かない。どうしてかトラブるのである。みんな、直接取引の誘惑に負けてしまったことを激しく悔いている。

クライアントが善意の場合

 ランサーズを初めて使う人や、クラウドソーシングに慣れていない人などで、このパターンは多い。ランサーズで発注をかける際にいちいち利用規約になんぞ目を通さないので「発注前にメールアドレスや電話番号の交換ができて当然でしょ?」と考えている。

 つまり、利用規約を知らない(法律用語ではこれを善意という)クライアントが直接取引を持ちかけてくる場合だ。これは一概に相手を責められない。ランサーズのチャット画面はお世辞にも使いやすいとは言えないし、ランサーズ上の取引の「ナビゲーションガイド」には、不親切なところもある。

 だからこそ、このようなクライアントと出会ったときには「ランサーズの正しい使い方」を教えてあげるのも、ランサーの役割のひとつだと思う。

『直接取引は利用規約に反しますので、連絡のやり取りはランサーズのメッセージ機能にてお願い致します。』といったことを素直に伝えたら大丈夫。

 ちなみに、メールアドレスの交換そのものが禁じられているわけではない。例えば「サイト制作」「SEO」などの仕事を請ける際に、Googleウェブマスターツールや、WordPressの権限設定をしなければならない。このときに相手方にメールアドレスを知らせる必要性が出てくる。

 その場合には連絡先公開申請という正規の手続きを経て、メールアドレスや電話番号を交換することができる。

参考:連絡先公開申請ってなんですか? | ヘルプ | クラウドソーシング「ランサーズ」

クライアントから直接取引を持ちかけられたらどうしたらいい?

 相手が明らかに悪意の場合には、無視しても構わない。メッセージを返すのであれば、(相手が善意であることもあるので)クライアントの気を害してしまう文面とならないように配慮しておきたい。

 下記に返信メッセージの例文を載せるので、コピー・改変するなりして、ご自由に使っていただけたら嬉しい。


○○様

ご連絡誠にありがとうございます。

お誘いいただいた直接取引の件ですが、大変申し訳ございません。ランサーズ利用規約にて直接取引は禁止されておりますので、当方ではお受けいたしかねます。

ぜひランサーズを通してご依頼をいただけましたら幸いです。

メールアドレスや電話番号の交換は、まずランサーズでご発注をいただき、仮入金(エスクロー)後であれば可能となります。詳しくはこちらのページ(連絡先公開申請ってなんですか? | ヘルプ | クラウドソーシング「ランサーズ」 http://www.lancers.jp/faq/A1014/401 )をご確認ください。

その他、ランサーズの使い方等でご不明な点がございましたら、お気軽にご相談ください。

どうぞよろしくお願い申し上げます。


 以上、ランサーズでクライアントから直接取引を誘われても「きっちり断ろう」ということをひたすら書いてきた。

 ランサーズで仕事を受注している方、発注している方のお役に立てたのなら幸いです。

(了)

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「認定ランサー指名料」は実質的な手数料値上げなのか?

 クラウドソーシングの『ランサーズ』で、新たに補償付き認定ランサーなる制度が開始された。例えば、著作権侵害や納期遅延などでクライアント側に損害が発生した場合に、ランサーズから損害賠償金の補償がされるという制度だ。

 名も知らぬ相手に仕事の外部委託するというのは、不安を伴う。だから「補償付き認定ランサー」は、たしかにクライアントにとって、とても安心できる仕組みだと思う。

 これでクラウドソーシングへの発注が活性化すれば良いのだが、この制度にはいくつかの批判もある。ここでは「補償付き認定ランサー」の懸念される点を包み隠さず書いていきたい。

補償付き認定ランサーの問題点

 ランサーズの認定ランサー制度には、次のような疑問の声があがっている。

1.認定ランサー指名料は、実質的な手数料値上げではないのか

 認定ランサーにプロジェクトを依頼する場合、クライアント側は「認定ランサー指名料」として依頼金額の2%を負担しなければならない

 2%なら、1万円の依頼で200円なので、大したことはないと思われるかもしれない。しかし、ランサーズではこれとは別に「システム利用手数料」で20%が取られる。

 さらに消費税の8%も考えると、依頼金額のじつに30%も費用が発生することとなる。クライアント側としては、できるだけコストを抑えたい。ならば「認定ランサーよりもむしろ非認定ランサーに依頼した方が得じゃないの?」と考えるだろう。

1-a.手数料はクライアントとランサーのどちらが負担するのか?

 ランサーズのサイトによれば、次のようになっている。

  • 認定ランサー指名料(2%)→クライアントが負担
  • システム手数料(20%)→ランサーが負担

 つまり、プロジェクトを発注してもらうときに「ランサーズシステム手数料込みで○○円で承ります。消費税、認定ランサー指名料はご負担をよろしくお願い申し上げます」と了承を得ておく必要がある。

 けれども、クライアント側としては「いやいや、初めから税込み・認定ランサー指名料込み込みで提案してよ」となるだろう。

 つまり、何が言いたいのか。

 認定ランサー指名料の2%は、現実的には「ランサー側負担」となってしまうこともあり得る。=認定ランサーになると1.7%の収入減となる可能性がある。(※認定ランサー指名料のうち、0.3%はランサー側にバックされる)ということ。

2.認定ランサーよりも、非認定ランサーの方に補償制度が必要なのではないか?

 そもそも、認定ランサーは「補償制度が必要になるようなトラブルが、極めて起こりづらいランサー」である。ランサーズから認定ランサーに選ばれるためには、以下のような条件を満たす必要がある。

  1. 報酬の獲得額が上位20%に入っている
  2. クライアントからの評価が4.8以上ある
  3. 仕事完了率が90%以上ある
  4. メッセージの24時間以内の返信率が80%以上である
  5. 機密保持確認、本人確認、電話確認などのプロフィール設定項目が済んでいる

 ゆえに、認定ランサーが著作権侵害や情報漏洩、納期遅延などのトラブルを起こす確率は、かなり低い。(そのための認定ランサーなのだから!!)

 だとすると、万が一のトラブル時の補償制度が必要なのは「認定ランサーよりも、非認定ランサー」の方である。補償制度をつける対象が逆ではないのか、という疑問は拭えない。

 クライアントとしても「この人は信頼できるランサーさんだから、継続的にプロジェクトを発注しよう」とランサーズで継続案件をかけているケースが多い。

 ある日突然、「このたび認定ランサーになったので、申し訳ないのですが指名料の2%をご負担いただけませんか」と言われたら、複雑な心境になるだろう。

 わざわざ信頼のできる人を選んで発注しているのに、どうして補償制度の費用まで負担しなければならないの?と思うはずだ。信頼のできる「非認定ランサー」を探した方が得だと思われては元も子もない。せっかく認定ランサーになったのに、報酬や受注が減ってしまうのであれば本末転倒だ。

提案「補償制度は、オプションにすべきである」

 僕は、認定ランサーの補償制度そのものを批判したいわけではない。クラウドソーシングでの取引の安全性を担保するためにも、このような補償制度があることは素晴らしいと思う。いちランサーとしても、ランサーズの取り組みを応援している。

 ただし、補償制度の必要性を感じていないクライアントにまで、負担させるのはおかしいとこれだけは主張しておきたい。クライアント側の自由を制限しては、クラウドソーシングのメリットが薄れてしまう。

 補償制度は(認定・非認定の制限なく)クライアントがオプションで選択できるようにするのが理想だと思う。そうでないのなら「認定ランサー指名料は、実質的な手数料値上げではないの?」と言われても仕方あるまい。

 ランサーズには大変お世話になっているので「ランサー側のシステム手数料を下げろ」みたいなことは僕は決して言わない。システム手数料の20%を負担してでも、ランサーズを使うメリットは大きいからだ。

 けれども、クライアント側に不便を感じさせるような制度はやめて欲しい。補償制度そのものは素晴らしい試みだと思うので、お願いだからオプション制にしてほしい。

 クライアントがクラウドソーシングに求めるものは、もちろん「安心して取引ができること」もある。しかし、それ以上に「コスト削減」というのが最も重要だ。(これこそが本音だろう)

 クラウドソーシングの発注者は、法人とは限らない。個人の方もたくさんいらっしゃる。たった2%の指名料でも、節約したいと考える人は多いだろう。何度も言うけれど、認定ランサー指名料はオプション制にしてほしい。

最後に

 ランサーズを利用されるクライアントの方、ランサーの方、それからランサーズの運営に携わっている方々が、この記事を読んでくださっているのだと思う。

 もしもこの記事内容に共感してくださったのであれば、ぜひランサーズの方へその声を届けてほしい。ランサーズ運営も、サービス改善のために尽力している。

 上のお問い合わせフォームや公式Twitterアカウントの方に、改善してほしいことを伝えるのが一番良い方法だろう。改善案は、できるだけ多くの人の要望が集まったほうが良い。

 ランサーズも一企業として、利潤を追求しなければならない。認定ランサー指名料の件は、クライアント側からの改善要望が強ければ、見直しに繋がるかもしれない。

 ランサーズ、そしてクラウドソーシングの発展を心から願っている。僕自身も、ランサーとしてこれからも頑張っていきたい。

(了)

 

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音声入力で原稿を書くメリットとデメリット

唐突だが、この文章は音声入力によって書かれている。使用ソフトは AmiVoice SP2。まだ音声入力を始めて三日目だが、音声入力ソフトの優秀さには驚かされる。

「めっちゃすごいよね! 音声入力!!」

「うん、すごいすごい! 中の人はこんなに滑舌が悪いのに……」

( ↑ みたいな文章をリアルタイムで、ひとり話しながら入力している姿を想像してみて欲しい。シュールだ)

誤変換・誤認識よりも、思考が追いつかないのが問題

もちろん漢字の誤変換はある。そのつどキーボードで修正してやらなければならない。スマホでの音声検索が普及したこんにちでも、音声入力ソフトはまだ完璧ではない。けれど、実用には耐え得るレベルだ

ただ、僕としては音声入力は難しいと感じる。悪いのは音声入力ではない。僕なんか滑舌がものすごく悪くカミカミなのに、AmiVoiceさんはよく頑張ってくれている。

問題なのは、自分自身なのだ。自分の思考が、音声入力に追いつかない。音声入力中は、頭が真っ白になってしまう。

例えば、講演会場でいきなり司会にマイクを手渡されて「今から30分間アドリブで何かしゃべってください」と無茶ぶりされたときのように。

これは音声入力に慣れていないのが原因だと思う。僕はキーボード入力に慣れすぎていて、思考も《頭》ではなく《指先》でやっている感覚がある。だから指先のダンスなくして、文章を入力するのがすごくもどかしい。

音声入力のメリットとは何なのか

音声入力のメリットは、執筆速度が《速い》ことだとされている。だいたい目安としては、1分間に200文字は入力できるらしい。これは圧倒的なスピードだ。もしも60分間しゃべり続けることができたなら、12,000文字も書けてしまう。

1時間で12,000文字!! 尋常でなく、恐ろしいことだ。もしも本当に時速12,000文字出かけたで書けた(←音声入力特有の誤変換の例)なら、3日もあれば長編小説が書けてしまうではないか。

ところが、音声入力に切り替えてから執筆スピードが上がったかと問われれば、必ずしもそうではない。いや、多分いまのところはキーボードの方が速い。キーボード入力の方に、思考が最適化されてしまっているからだ。

慣れないうちは「音声入力はぜんぜん遅いじゃないか!」と絶望するかもしれない。それは音声入力が悪いのではない。音声入力の本来のスピードに、思考が追いつかないのが原因だ。

この文章も、音声入力で書いている。実際に思考しながら入力した場合に、分速何文字ぐらいになるのか、最後に紹介できればと思う。実際のところ、話しながら思考をしていると、しどろもどろになってしまう。なので、多分大したスピードは出ていないと思う。

ブラインドタッチができる人であれば、そちらのほうが速いだろう。現在では「Google日本語入力」などの入力ツールが非常に便利で、キーボード入力を後押ししている。

例えば「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。」と入力しようとするときに、音声入力であれば「アリガトウゴザイマス、ドウゾヨロシクオネガイイタシマス」と発声しなければならない。ところがGoogle日本語入力を使えば「あり/どうぞ」とキーを打つだけで、上記の文章が予測変換で入力できる。

だから、場合によってはキーボードの方がスピード面でも優れている。(音声入力だと、あとで誤変換・誤認識箇所を修正するのにも時間が取られるし)

音声入力の本当の利点は《速さ》ではなくて《楽さ》

僕もWebライターをしているだけあり、ブラインドタッチはそれなりにできる。目が疲れたときなんかは、まぶたを閉じて手だけを動かしている。しかし最近は、職業病である腱鞘炎に悩まされていて、調子が出ない。

そう、だから音声入力の最も大きなメリットは、キーボード入力と比べて「楽だ」ということ。1日に1時間や2時間程度の作業では、あまり音声入力のありがたみは感じられない。けれど1日の作業時間が5時間を超えるようになってくると、もう本当に、音声入力サマサマである。

原稿書き終えたあとの、疲労感が全然違う。音声入力は、楽だ。カラオケで5時間熱唱大会したことのある人もいるだろう。声を出す、というのは、意外と長時間やっても疲れない。学校の先生だって、日に6時間も講義をしているではないか。

ヘッドセットマイクを使っているので、大きな声である必要はまったくなく、ぼそぼそとしゃべる感じで大丈夫。喉への負担も少ないはずだ。あと、ナレーターのように文章に抑揚をつけて読み上げる必要はない。(むしろ棒読みが推奨されている)

対して、5時間ぶっ通しで指を動かし続けるのは、疲れる。個人的には原稿用紙を前に手を動かすのも、ピアノを弾くような陶酔感があり気に入っている。しかし、毎日書かなければならないのであれば、できるだけ楽をするに越したことはない。

その意味で、音声入力では、《速さ》を追い求めるよりも《楽さ》を追い求めた方が良いのかもしれない。

音声入力と、小説を書くこと

少し話は変わるが、僕は業務上使っているこの音声入力を「小説の執筆に活かせないだろうか」と考えている。もちろん今のところは、この試みはうまくいっていない。《語り》で書くことに慣れていないからだ。

僕は指先で思考する。手を動かさないことには、どういうわけか文章にキレが出ない。普段は凝っているはずのレトリックに、生命が宿らない。次に書くべき描写もポンポンとは浮かんで来ない。

けれども、小説の口頭筆記には憧れがある。

物語は本来、口から口へと語り継がれるものだった。今のように小説家がキーボードをカタカタと鳴らす時代になったのは、ごく最近だ。人類の歴史で見れば、小説が《語られた》時代も、それなりに長かった。

子供に読み聞かせをするように、小説が書けたなら、素敵だなと思う。

音声入力のデメリット

誤認識は無くせない。漢字の変換にも弱い。(「司会」と「視界」など、日本語には同音異義語が多い。一応、文脈から判断はしてくれるものの……)

あとから修正すれば構わないのだけれど、意外とその間違いに気がつかないことが多い。

だから音声入力で書いた原稿は、誤字脱字チェックを念入りにする必要がある。僕は原稿の校正作業には、音声読み上げソフト(VOICEROID)を使っている。音声入力ならば長文でも楽々執筆できるものの、それに比例して誤認識文字の修正作業も増えるのはデメリットといって良いだろう。

音声入力執筆のポイント

それから、音声入力で原稿を書くときには、プロット(簡単な筋書き)あるいは台本のようなものを用意しておいた方が望ましい。せめて、何を書くのかの箇条書きメモは欲しい。

というのもプロットや台本がないのは「アドリブでしゃべり続けること」と同じなのだから、ものすっごく難易度が高い。この記事はじつはアドリブで書いている(話している)のだけれど、もう頭のなかがグルグルで、構成をきちんと考えてから書き始めれば良かった、と後悔している。

もう一つ。音声入力の際には「言葉の重複」に気をつけたい。会話のような感覚で原稿を書いていると、《口癖》が出やすい。「だから」「なので」「そして」「けれども」のような接続詞を多用してしまって、文章がくどくなったりする。

 言葉の重複は、できれば少ない方が望ましい。キーボード入力だと言葉の重複に気をつける癖がついている。ところが、音声入力だとどうしても気が緩んでしまう。

そこらへんはやはり、慣れなのだろう。

さて、ここまで文章を入力してざっと30分かかった。現在の文字数は1,942文字。分速64.7文字で書けている計算となる。

 

あれ、遅い……。遅いぞ……。なんということだ……。

目安の分速200文字には程遠いぞ……。くっ、これが現実……。

 

なんとか音声入力に慣れて、分速100文字を出せるようになれれば、AmiVoiceを買った元が取れる。頑張っていきたい。

 ※この文章は、初稿:音声入力30分/修正&改稿:キーボード入力20分によって書かれました。(総文字数:3420文字)

(追記)

AmiVoice SP2を使って半年が経過したので、詳細なレビュー記事を書いてみた。購入を検討中の方はぜひ参考にされたし。

音声認識ソフト『AmiVoice SP2』を半年間使ってみた所感(辛口レビュー)

※2016年12月1日更新

 

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「Adsenseの代替を考える」は発想の順序が逆である

『Google Adsense 代替』『アドセンス 代わり』このような検索キーワードで私の運営ブログに訪れる人が多い。たいていこのようなキーワードで検索をすると、上位表示される記事ではアドセンスの代わりとして忍者アドマックスやnendを勧めていたりする。この件について、クライアントのアフィリエイターの方と話していた。「むしろ逆だよなぁ……」という見解で一致した。

 アフィリエイターとしては、むしろアドセンスの方が『収益の代替手段』であり、メインはASP(A8.netなど)から得る成果報酬なのだ。まず前提条件として、アドセンスでは『1PVあたり0.1円の収益が発生する』と仮定して考えていきたい。この数字に関しては、ポジ熊さんのブログ飯は難しくないよ!ブログで飯を食うまでにかかる年月 - ポジ熊の人生記の記事を参考にした。上記記事を読めば、ブログ飯の難易度についておおよその見当がつくだろう。

月5000PVのブログの例

 私がメインでやっている「はてなブログ」は、1日に160PVほどあり、月平均で5,000PV、年換算で60,000PVある。アドセンスが1PV=0.1円だとすると、1年あたりの期待収益は6,000円だ。残念ながら、はてなPro(ブログの有料プラン)の料金さえ賄えておらず、赤字となっている。

 では、今後もPV数が変わらないとして、年間6,000円以上を稼ぐことはできるだろうか。もしもできるのであれば、その手法はGoogleAdsenseのパフォーマンスを上回っているといえる。

 例えば、A8.netにある成果報酬額6,000円のアフィリエイトリンクをブログに貼り付けるのはどうだろう。具体的商品名を出すのは規約違反なのでぼかすけれども「転職サイト/健康食品/クレジットカード/お絵描きソフト/ネット開設/引っ越し」などなど、さまざまな分野から成果報酬額が6,000円を超える案件を見つけることができる。

 年収益が6,000円以上であればアドセンスに勝てるのだから、つまりは上記の成果報酬案件が1年にたったの1回さえ成約すれば、目的は達成されたことになる。確率を計算してみよう。1PVあたりの案件成約率が1/60,000PV=0.0016%しかなかったとしても(換言すると6万PVでたったの1回しかアフィリエイトが成約しなかったとしても)アドセンスより効率が良い。

 1PVあたりの成約率が0.1%を超えるのであれば、アドセンスの100倍の収益が得られる計算となる。期待収益を考えると、このようなブログには「アドセンスを貼った方が損になる」(広告主がA8とGoogleの双方に出稿していた場合、喰い合う可能性があるため)

 じつはアフィリエイトで稼ぐためにPV数はさして重要ではなくて、狙うキーワードと運さえ良ければ、月100PVでも1万円は稼げる。

 もしもここまで読んでA8.netに興味を持った方がいたら、是非下のリンクから会員登録をして、アフィリエイターとしてバリバリ稼ごう!

アドセンスが代替として有効な例

 私は目玉焼きは片面焼きよりも両面焼きの方が好きだ。なのでここで結論をひっくり返しておく。純粋な収益目的では、アドセンスよりもA8.netなどの成果報酬案件を取り扱った方が稼げる。(というより効率が良い)

 しかし「好きなことを書きたい」「自分の趣味を生かしたサイトを作りたい」といった場合には、A8.netの代替収益手段としてGoogleAdSenseでのマネタイズを考えるのが有効だ。

 例えば私はリクガメを育てているので「リクガメの飼育情報サイト」を運営している。ところがマイナー過ぎる題材のために、A8.netなどを探してもリクガメ関連の広告案件がひとつも見つからない。リクガメ飼育情報サイトに「クレジットカードのアフィリエイト」のバナーを貼ったところで、まったく成果に繋がらないのは目に見えている。このようなときに、代替の収益化手段としてアドセンスが強力な武器となる。

 アドセンスの広告は、閲覧ユーザーの属性に最適化されたものが自動で配信される。ゆえに「ASPのまったく関係ないカテゴリのアフィを貼る」よりかはアドセンスの方が収益可能性が高い。これはリクガメ飼育サイトに限らず、雑記系ブログでも同じことがいえる。

 リクガメであれば飼育グッズが売れるため、Amazonアソシエイトや楽天のアフィプログラムも貼れる。けれども料率を考えると、とてもそれメインでマネタイズするのは難しい。やはりアドセンス一択となる。

(訂正)しばらくサイト運営をしていて分かったのだけれど、「Amazonアソシエイトと楽天アフィリエイト」の組み合わせで、アドセンス収入を上回る月がそれなりにあった。

 Amazonと楽天の収益を合算して管理するなら「もしもアフィリエイト」経由で2つをやるのが圧倒的に便利である。報酬の振込手数料ゼロだし、住信SBIネット銀行の口座を持っている人であれば毎月1円から振り込んでくれる。

雑記系ブログでアドセンスが止められた場合にはどうするか

 例えば地球に隕石が落ちたり、ムラムラしてエッチな記事を書いたせいで、ある日突然ブログのAdSenseが止められてしまった場合のことを考える。もしもAdSense復帰が不可能となれば、別の手段でのマネタイズを考えるしかない。

 私ならば、忍者アドマックスなどの代替手段に走るくらいであれば、成果報酬型のASPに切り替えた方が得策だろうと判断する。雑記系ブログともなれば、コンテンツ総量は100記事を超えているであろうし、被リンクもそこそこ集まっているだろう。ぜひとも、この資産を生かしたい。

『おすすめクレジットカード!』『おすすめ格安スマホ!』のようなASPの成果報酬に繋げるための記事を書こう。アフィカスだ何だと外野から揶揄されようが、AdSenseが使えなくなったのならばやむを得まい。読者を取るか、金を取るか。いや、もちろん読者にとって役立つ記事でなおかつ収益の発生する記事であればWin-Winで、それに越したことはない。この話は突き詰めると『自分は何のためにブログをしているのか』という、ひとつの疑問に到達する。

 金のためならば、はじめから成果報酬型ASPに特化した専門サイトを作ったほうがはるかに効率が良いだろう。ジャンルを絞ったサイトであれば1000記事も積み上げる必要はなく、50記事もあれば収益を得るには事足りる。

《書く》という行為に自分がどのような意味を見いだすか。それを知ることから、すべては始まる。

(終わり)

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プロブロガーを嗤う、夢あるいは現実。

 西日本を四十年に一度の大寒波が襲うのだそうで、ウェザーニュースが「三日分の食料を確保せよ!」と警告を出している。僕は冷蔵庫のなかを確認するが、モヤシとジャガイモしか入っていなかったので絶望した。窓からは神戸の港が見える。ベランダで大きな雪だるまを作って遊んでいた子供時代を思い出す。未来が光に満ちていた頃。

 若者が「プロブロガーになる」と高らかに宣言したら、周りの人間は(あざけ)るだろうか(わら)うだろうか。甘い夢みてんじゃねぇよ。社会に出て世の中の不条理と厳しさを知れ。現実を見ろ。若いやつは身の程知らずで生意気だ。――、――と。けれど、僕は「プロブロガーという夢」にはもっと遥かに深い暗闇を感じる。

 甘い夢? それは逆ではないのか。「プロブロガーになる夢」が最後に残り、それに縋りつくしかなくなるほどの、過酷な現実を彼らは知っている。夢を見ているのではない。むしろ生きていく過程で、あまりにも多くの夢を手放してきたのではないか。村上龍は『作家は人に残された最後の職業』と書いた。今の世でブロガーは、僕たちに残された「最後の」職業なのだろう。*1 

 僕はブロガー志望ではなかったし、他の学生と同じように真っ当な就職活動に取り組んでいた。ところが失敗した。得たのは百通を超えるお祈り手紙だけだった。あまりにも祈られ過ぎたので自分が神様になってしまうかと思った。今では辺境のWebライターをやって生きながらえているが、サラリーマンに対して劣等感が無いといえば嘘になる。劣等コンプレックスの塊である。だからこそ、ブロガーであることに誇りを持ち、前向きに明るく振る舞う若者を見ると、あゝ自分も頑張らなければ、何をやっているんだ俺は、みんな必死でもがいているんだあがいているんだ、私が本気で生きなくてどうするんだと、感ずる。

 冬に始まった新アニメで『灰と幻想のグリムガル』という作品がある。一話を視聴した。ファンタジーな異世界に飛ばされた主人公たち、冒頭ではチームを組んでモンスターと闘っていた。六人がかりで相手をしてもゴブリンたったの一匹に苦戦を強いられる。みんな息が荒くなっていって、血も流れている。絶望感の漂う戦闘のなかで、登場人物のひとりが声を張り上げた。「これは命のやり取りなんだ!」ゲームじゃない、これは命のやり取りなのだ、と。その台詞が妙に、自分の心に響いた。

 灰と幻想のグリムガルのキャッチコピーは『生きるって、簡単じゃない。』アニメの公式サイトを見ると、登場人物それぞれが未来に憂えた視線を投げかけている。こんなトップ絵も珍しい。*2

 ブロガーが文章を書き綴るのも、命を懸けたやり取りなのだろう。言葉には血が流れている。明るい文体で綴っていても、タイプする文字は血と涙でぐしゃぐしゃになっているのかもしれない。みんな、生きて、何かと戦っている。たとえ道の向こうに未来がなかったとしても、進むしかないのだ。生きるために。

 

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*1:『13歳のハローワーク』村上龍2003年 幻冬舎

*2:TVアニメ「灰と幻想のグリムガル」公式サイト

はてなブログで「連載小説」を書くためのHTML,CSS設定

はてなブログでの小説連載におすすめのテーマ

 サブブログの方で連載小説を書いていて、その際に設定したHTMLとCSSをメモ書きとして書き残しておきたい。(※現在はサブブログを削除)

 まず、おすすめのテーマは"Innocent"。前身の"Blank"の頃から愛用していたが、15年12月にバージョンアップ版が公開された。非常にカスタマイズ性が高く扱いやすい。グローバルナビも簡単に設定することができ、本当に素晴らしい。下のテーマストアからインストールできる。

 Innocent - テーマ ストア

 じつは連載小説を投稿し終えてからこのテーマの存在を知った。くっ、もっと早くに知っていれば……。

HTMLの設定

 小説をブログに投稿するのであれば、あまり凝ったマークアップはやらないと思う。文字を大きくしたり、文字色を変えたりもできるが、小説ではあまりトリッキーなことはしない方が無難。したがって、ぜひとも知っておきたいHTMLはこれだけである。

<ruby>漢字<rp>(</rp><rt>るび</rt><rp>)</rp></ruby>

<!-- 使い方の例 -->
<ruby>匿名日記<rp>(</rp><rt>アノニマスダイアリー</rt><rp>)</rp></ruby>

 匿名日記(アノニマスダイアリー)
 と、上のようにうまい具合に表示される。漢字とカタカナの組み合わせでなくても大丈夫。いろいろ試してみると面白い。異能力バトルものを書く場合には使用頻度も高いと思う。ルビタグは便利なので、辞書登録をしておくと捗る。

 ちなみに以前は、漢字の方に"rb"タグも付けていた。けれど、HTML5からは不要となったらしい。
www.htmq.com

CSSの設定

 僕の場合は、以下のように設定している。デザインは大元のテーマのCSSが継承されるので、若干の見え方は異なる。ここでは冒頭で挙げた"Innocent"を使用。文字サイズ、フォントカラー、行間、段落のマージンなど、果たしてどれが読みやすいのかは悩ましい問題で、絶対的な答えは出ていない。

/*デフォルトの文字色を変える*/
body {color:#222;}

/*記事中の文章設定*/
.entry-content {
  font-size: 15px; /*文字の大きさ*/
  line-height: 1.6; /*行間*/
  letter-spacing:0.5px; /*文字と文字の間隔*/
}

/*段落と段落の余白*/
.entry-content p {
  margin: 0.7em 0 1em 0;
}

/*引用文の文字色*/
.entry-content blockquote{
    color:#555;
}

/*記事下のnext,prevの設定*/
.pager-prev::before,
.pager-next::before {
	color: #555;
}

.pager-prev::before {
	content: "次の話";
}

.pager-next::before {
	content: "前の話";
}

 最後のnextとprevの項目だけ補足しておきたい。

 例えば小説連載の途中であるこの記事↓
(※サブブログ閉鎖に伴いURLを削除)
 をページ下部までスクロールしてみると、このように表示されるのが分かる。

f:id:TokiMaki:20160120232759p:plain
(↑参考画像)

 上の例のように、記事前後のページへのリンクに「次の話」「前の話」という表記が書かれていないと、読者としてはどちらが古い話でどちらが新しい話なのか分からない。1話完結の短篇小説なら無問題なのだが、連載小説をやるとなると困ってしまう。

 そこで、CSSを用いて「次の話」「前の話」をリンクの上に付け加える。これだけでユーザビリティはかなり向上すると思う。惜しむらくは、僕がこの画期的な方法を知ったのが連載終了後だったことだ……。

ランサーズでは実名と匿名のどちらで活動するのが得策なのか

ペンネームで不利になることは一切ない

 例えばランサーズで「フリーランス」として活動するときに、プロフィールに載せる名前を実名にするかペンネームにするかで、迷うことがあるかもしれない。結論から述べると、ペンネーム(ハンドルネーム)でまったく問題ない。ランサーズで稼いでいる上位数パーセントの人たち《認定ランサー》の自己紹介欄を見ても、ペンネーム派が圧倒的多数だ。

ペンネームの一例

「ランサーズ」登録ライター一覧

 上記の登録ライター一覧を見てほしい。ランサーズでWebライターとして活動している人のリストだが、ペンネームどころかアルファベットのユーザー名表記のままの人も多く見受けられる。つまりランサーズでは「ライターの誰々さんが書いた」という自己ブランディングはあまり求められていない。

 ランサーズには、クライアントがランサーを評価できる「評価システム」が整っているので、つまりクライアントとしてはどのようなヘンテコなペンネームで活動していようが、評価の高い人に発注したい。自己紹介欄や経歴資格欄はしっかりと書く必要があるけれど「ペンネーム」は本当に何でもいい。

 ちなみに僕のペンネームは「五条ダン」と言う。まるで"ご冗談"のようなふざけた名前だが、この名前経由でも、仕事のお誘いを頂いたことがある。だから名前は本当に何でも良いのだ。

しかし「私は」実名顔出しで活動している

 ここが起承転結の「転」目玉焼きをひっくり返すパートだ。上の段落で「ペンネームでまったく問題ないよ! 匿名の方が多数派だよ!」と書いた。けれども、僕はランサーズで実名顔出しで活動している。多くの人が取っている方法と逆の手法を選ぶ《逆張り》こそが僕のモットーだからだ。

 フリーランスとしては、ペンネームと実名の双方で活動をしたことがあるので、ここではあえてランサーズで実名顔出しするメリットを語っておく。

他のランサーとの差別化

 割の良い案件には、多くのランサーが応募に殺到する。仕事の奪い合いになる。もしも仕事の単価が決まっている場合には、クライアントは次のようなランサーに発注したいと考えるだろう。

「実績のあるライター=認定ランサー」

 つまり、プロジェクトの争奪戦においては、ランサーズ公式の「認定ランサー」(上位数パーセントの実績者のみに与えられる称号)でなければ、不利に立たされるのだ。実績のあるライターはさらに実績を積み、実績のないライターは実績を積める仕事をなかなか獲得できない。

「人気のあるものがますます人気になる」は、この世を支配する法則のひとつである。

 つまり実績のないライターが認定ランサーに打ち勝つための戦略が「実名顔出し」なのだ。前述のとおり、認定ランサーの多くは匿名で活動している。ランサーズではほとんどの人が実名を出していない。だから、「実名であること」でクライアントの目を少しは引くことができる。

「実名の方が安心感がある」は、まやかしに過ぎない。しかし、クライアントの立場になって考えてみると、実名のライターを選びたくなる理由が見えてくる。まず、クライアントはライターに発注をする際、次のようなことを心配している。

  • 〆切を守れない人だったらどうしよう
  • 途中で音信不通になったらどうしよう
  • 原稿放棄してバックレるライターさんだったらどうしよう
  • コピペで著作権侵害するライターさんだったらどうしよう

 こんなひどいライターは本当にいるのか? と疑問に思われるかもしれないが、いる。本当にいる。世の中は広いもので、クライアントにもひどい人はいるが、それはライター側だって同じである。

 上記のようなリスクをなるべく回避するためには「実名顔出しのライター」に仕事を頼んだ方が安心感がある、というのは納得してもらえるだろう。なぜ安心感があるのか? 相手の身元がはっきりしていれば、いざというときは裁判にできるからだ。(もちろんペンネームだろうが何だろうが債務不履行があれば裁判にできるけれども、気持ちの問題としてそういう安心感がある)

 僕自身も、当初はランサーズで匿名活動をしていた。けれど実名に切り替えてから、プロジェクトの当選率が上がった。実名の恩恵を受けているのを実感する。

実名のもうひとつのメリット

 こちらのメリットの方が大きいかな。例えば筆者を重視するコラム記事の依頼の場合、前提条件として「実名顔写真付きで」記事を書いてください、という仕事がある。他の案件よりも単価が良いことが多いし、記名記事なのでそのまま実績紹介に使える。

 こうした案件は、実名を出す気がなければ受注できない。また、営業活動で会社にポートフォリオを持ち込む際にも、実名での実績があると非常にやりやすい。僕はあのSNSはうまく扱えないのだけれど、人によってはFacebookも大きな武器となるだろう。

 あと、せっかく実名で活動をするのであれば、是非「自分のポートフォリオサイト」を作っておきたい。仕事の受注をランサーズだけに依存するのは危険だ。手数料も20%取られてしまう。

 実名で実績を積めば、クライアントさんに名前を覚えてもらえ、もしかすると次回はポートフォリオサイトの方から直接発注してくれるかもしれない。(ランサーズを使っての直接取引の誘引は規約違反なので注意)

 本業でフリーランスをやるのであれば、実名を晒すデメリットはほとんどない。どーん!と名前を出してしまおう。

まとめ

  • ランサーズはペンネームでOK!ほとんどの人が匿名であるし、認定ランサーだって匿名で活動している。ペンネームで不利になることはない。
  • だがあえて私は実名で活動している。逆張り戦略も大いにあり!

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自己ブランディングの挫折

トピック「メディアクリエイター」について


 僕はWebメディアを使っての自己ブランディングが、ものすごく下手な人間だ。20以上のペンネームを持ち、ブログやWordPressや手打ちHTMLのサイトで活動をしてきたが、どれも零細メディアに終わっている。一貫した「自分」というものを、僕は持てない。何かを書けば書くほどに、自己同一性が拡散してゆき、自分が何者であるのか分からなくなってしまう。そういう類のニンゲンだ。

 きっと何者にもなれない。何者でもない。書かれた文章がそこにあるだけで《私》は実在しないのかもしれない。

「ブロガー」「メディアクリエイター」「アフィリエイター」「Webライター」何だって構わない。自分が何者であるかを知っている、――否、自分が何者であるかを自分で決められる人たちは、すごい。僕は彼らに 憧れている( リスペクト )し、 妬んでもいる( ルサンチマン )。同じ場に、自分では辿りつけないことを知っている。

 自分が何者であるかを決めるのに、優劣はない。ブロガーの人は、自分のことをアフィリエイターだとは名乗らないだろうし、アフィリエイターの人も自身をブロガーとは呼ばない。第三者からは彼らのやっていることが同じに見えたとしても、本人にとっては全然違う。「アフィリエイターとブロガーを一緒にするな」と双方から怒られてしまう。

 この問題は「純文学とライトノベル」を語る問題に似ている。両者の関係に、優劣はない。純文学がライトノベルを馬鹿にすることはないし、ライトノベルが純文学を殺すこともない。けれど、人によってそれぞれの 立ち位置( ポジション )があるわけで、自分の属している場所こそ良いところだと信じたい。

 僕は活字中毒で、お腹の空いた青虫のように、文章であればどのようなものでも読んできたし、書いてきた。純文学、海外文学、ライトノベル、ケータイ小説、児童文学、BL小説に、妹萌えの官能小説。すべてのジャンルを読んで、同じだけを書いた。変に手を広げすぎたせいで、小説のジャンル間にある差異が分からなくなってしまった。

 どのような小説も、主題があり、構成を持ち、描写によって成り立っている。どれだけレトリックや脚本構成を細かく分析しようが、純文学とライトノベルのあいだに差異は見つからなかった。あるのは傾向の差のみである。差異が存在しないことは、アイデンティティを剥奪されることと同義であり、人を不安にさせる。認知的不協和から逃れるためにも、人々は《差異》を見いだすことを余儀なくされる。

 話を戻すと「メディアクリエイター」とは、差異である。ブロガーとの差異を見いだすことにより、自分自身の価値を創造している。これは自己ブランディングのもっとも有効な手法だ。差異があるから価値が生まれる。価値がないのなら、差異を見つけるしか無い。

「ブロガー vs メディアクリエイター」の対立構造は、本当はどこにも存在しない。両者に優劣はなく、争う必要だってない。けれども、私が私であるために、僕たちは差異を求めて他者と戦うのだ。

SEOにおける長文信仰

 クライアントさんから連絡が入った。「SEOの効果を高めたいので、ちょっとリライトして記事の文字数を増やしてもらえませんか?」僕はその場で快諾をする。今月は収入がピンチなのだ。国民年金の引き落としで口座残高がゼロになるくらいのピンチだった。引き受けないわけにはいかない。

 しかしリライト案件か。リライトは文字単価が安い。多分今回も1文字単価0.5円を切るだろう。クライアントの提示した元記事は、およそ3000文字の文量があった。Webコンテンツの記事において、3000文字は十分なボリュームだ。ここからさらに文字数を増やす必要があるのだろうかと、首を傾げる。

「それでですね、五条さんには、この記事の文字数を3000文字から15000文字に増やしてほしいんですよ」顧客はさらりと言ってのけた。僕は目を白黒させて椅子から転げ落ちる。聞き間違えかと思った。「い、いちまんごせんもじ、ですか!?」

 クライアントは一言、競合サイトをチェックしてみてください。とだけ言い残して、スカイプのチャットを切った。僕はさっそく当該記事が狙っている検索キーワードでググり、競合をチェックする。すると上位表示されている、とある記事が目に入った。クリックして中身を見ると、目眩がするほどの文字がぎっしり。計測したところ1万文字を超える文字数だった。正気、なのか……。天を仰ぐ。

 ただの、健康食品の紹介記事に、1万文字なのだ。今回依頼されたのは、健康食品のアフィリエイト用の記事であった。1万文字も語れる内容があるとは思えない。だが現実に、ライバルサイトのひとつは超長文の殴り込みで攻めていた。クライアントさんはその競合に、文字数勝負で打ち勝とうとしていた。

 昨今のSEOにおいては、コンテンツの「量」と「質」が重視される。文字数が多ければ多いほど有利ということでは決して無いが、少なくとも「300文字の記事」と「3000文字の記事」があった場合には、後者の方が検索上位にあがりやすいだろう。

 しかし、である。「3000文字の記事」と「15000文字の記事」のあいだに果たして差異はあるのだろうか。これで後者の方がSEOに強いとされるのであれば、それこそ都市伝説( オカルト )の領域ではないのか。15000文字も書くとなれば、伝えるべく情報をまんべんなく薄めた味気のない記事になってしまう。水を混ぜすぎたカルピスはもはや水と区別がつかない。適切な文量を間違えれば、毒にも薬にもならないのではないか。

 けれども、今後このような文字数水増しのリライト案件が増えてくるのを、僕は歓迎したい。Webライターの収入は執筆文字数で決まる。長文信仰が広まるのは商機だ。何より、たとえ何十万文字であろうと手を抜くつもりはさらさら無かった。

 超長文を読者に読ませる。それは長篇小説を書く際にも必須のスキルだ。小説家を志すワナビとして、ここらでひとつ修行しておこう。

(了)

 

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